親の用事で仕事を休むと言ったとき、男性の側には、ときどき別の問いが返ってくる。
配偶者に頼めないのか、という問いである。
休むこと自体を止める言葉ではない。聞いた側にしてみれば、ほかに手があるなら、と思っただけかもしれない。ただ、この問いには一つの前提が入っている。家の中に、代わりに動ける人がいるはずだ、という前提だ。
私がこの問いを最初に意識したのは、ずいぶん若いころだった。自分が言われたのではない。言われている人を、横で見ていた。ここでは、その場面から今の自分の休み方と聞き方までを書く。
若いころ、上司に家族のことを聞かれている先輩を見た

かなり前のことになる。
当時の職場で、先輩が親の用事で休みを申し出ていた。上司はそれを聞いて、奥さんに頼めないのか、という意味のことを返した。
先輩の答えは短かった。妻も体調が万全ではない。それに、両方の親の面倒を見なければならない。
上司の問いより、先輩のその答えのほうが、今も記憶に残っている。
当時は、定時に帰ることにさえ引け目があったころでもある。休むこと、早く帰ることに、今より説明が要った。家の事情を口にするのは、その説明の一部だった。
いま振り返ると、先輩はあの場で、家の中のことを二つ明かしている。妻の体調と、見ている親の数である。どちらも、聞かれなければ職場で言う必要のなかったことだ。
問いは、家の中に空いている人がいる前提で立っている
配偶者に頼めないのか、という問いが成り立つには、いくつかの条件がそろっている必要がある。
配偶者が元気であること。配偶者の手が空いていること。見るべき親が一組だけであること。そして、その親の用事を配偶者が引き受けるのが自然だ、と考えられていること。
先輩の家は、少なくとも最初の三つが当てはまらなかった。妻の体調は万全ではなく、見ている親は二組あった。問いが想定していた「空いている人」は、その家にはいなかった。
問いを向けた側に、悪意があったとは限らない。
むしろ、手を貸すつもりの問いだった可能性もある。ほかに手があるなら、休まずに済む。休まずに済むなら、そのほうが本人も楽だろう。そう考えれば、筋は通る。
ただ、その筋の中には、家の中の配置がすでに書き込まれている。誰が元気で、誰の手が空いていて、誰が親の用事を持つのか。聞く側が知らないはずのことを、問いのほうが先に決めてしまっている。
それに、この問いが向けられやすいのは男性のほうだと思う。家の用事は配偶者が持つものだ、という前提が、問いの形に表れている。逆向きの前提もあって、病院で女性だけだと軽く見られる場面は今もある、と以前書いた。どちらも、家族の中の役割を外から決めている点では同じだ。
家の中の分担は、外からは見えない

我が家にも、分担はある。
妻の父のことは、妻と妻の二人の妹が中心になっている。三人で話し合って、誰が何を持つかを分けている。私はそこでは呼ばれたときに行く側で、中心にはいない。
私の母のことは、私が見ている。私は一人っ子で、母は離れで一人暮らしをしている。介護保険では要介護の認定を受けている。
外から見れば、私には妻がいる。それだけを見れば、配偶者に頼めないのか、という問いは成り立つように見えるだろう。
実際には、妻には妻の父のことがある。妻の家族は三人で分け合い、私の母のことは私が持っている。どちらの家の分担も、外からは見えない。 見えるのは、配偶者がいる、という事実だけだ。
家ごとに事情は違う。親の数も、きょうだいの数も、それぞれの体調も、住んでいる場所の距離も違う。同じような状況のご家庭は、決して少なくないのではないかと思う。家族がいることと、家族の中に空いている人がいることは、別の話である。
頼めば手伝ってもらえることと、頼むことは別だ
私の母のことで、妻に助けを求めたらどうなるか。
おそらく、手伝ってくれると思う。そう思える関係であることは、ありがたい。
それでも今のところ、母のことはなるべく自分でなんとかしようとしている。頼んでいないのは、頼めないからではない。
外からの問いは、この二つを一緒にしてしまう。頼める人がいるなら、頼めばいい。そう聞こえる。
けれど、頼める人がいることと、実際に頼むことの間には、家の中での判断が一つ挟まっている。いつ頼むのか、何を頼むのか、どこまで頼むのか。それは、それぞれの家が自分たちで決めることだと思う。
介護の役割分担表を作ってみたときも、主担当とは別に「動けないときの代替」の欄を置いた。代わりに動ける人を書いておくことと、普段からその人に回すことは違う。 表の上でも、代替は主担当が動けないときのための欄である。
聞く側に回った今は、家族の分担を聞かない

今の私は、休みの申し出を受ける側にもいる。
親の用事で休む人に、家族のほかの人はどうしているのか、とは聞かないようにしている。事情も深くは聞かない。その人の家の中で、すでに誰かが何かを決めている。そこへ外から問いを入れても、休みの形は変わらないことが多い。
一方で、明らかに本人の体調が悪くて休む場合は、話せる範囲で聞いている。
家族の用事と、本人の体調とで、聞き方を分けていることになる。本人の体調は、本人のことだ。家族の分担は、本人の家の中のことだ。同じ「休みます」でも、踏み込んでよい場所が違う。
仕事を割り振る側からすれば、ほかに手はないのか、と考えること自体は不自然ではない。ただ、それを口にすれば、あの日の上司と同じ問いになる。
私自身も、親の用事で休む管理職の一人である。休む側に立つ日があるから、聞く側に回ったときの線を先に引いておきたい。
休む側では、家の事情を一行だけ先に渡す
休む側としての私は、必要なときには、母が一人暮らしで要介護であることを話すようにしている。
長い説明はしない。病名も、要介護の程度も、家の中の分担も話さない。一人暮らしの母がいて、介護が要る。伝えるのはその一行である。
短い一行だが、二つの言葉がそれぞれ別のことに答えている。一人暮らしは、母のそばに家族がいないことを伝える。要介護は、用事が一度きりではなく、この先も続くことを伝える。誰が、どのくらいの間、という二つが先に分かれば、聞く側が家の中を想像する余地はほとんど残らない。
配偶者に頼めないのか、という問いが出てくる前に、その前提を外しておくことになる。
休暇の申請でも、私は理由欄に母の用事の種類まで書いている。通院なのか、役場なのか。それと同じで、家の事情も、仕事に必要な分だけを先に置いておく。
もちろん、話すかどうかは人による。家の事情を職場で口にしたくない人もいるし、それで構わないと思う。あの日の先輩のように、聞かれてから答えるしかない場面もある。
そのときも、家の中の事情を全部並べる必要はないと思う。先輩は妻の体調と親の数を明かしたが、問いへの答えとして要るのは、家の中の分担はもう決まっている、という一点だけだ。誰が何を持っているかまで言わなくても、休みの話は先へ進む。
ただ、先に置いた一行は、後から問われて明かす二つより軽い。自分で選んだ言葉で、自分で選んだ分だけを渡せるからだ。
あの先輩が聞かれてから口にした種類の言葉を、私は今、聞かれる前に使っている。

