親の手術で仕事を休むとき|考える余裕がない日のために決めておくこと

親の手術で仕事を休むとき|考える余裕がない日のために決めておくこと 仕事

親の手術に付き添う日、仕事をどうするか。

これから手術の日程が決まっている人なら、休みをどう取るかを考えられる。だが私の場合はそうではなかった。

母の手術は緊急のもので、その日が来ることを私は知らなかった。連絡を受けて病院へ向かい、気づいたら夜になっていた。何時間かかるのか、仕事をどう調整するのか、そんなことを考えている余裕はどこにもなかった。

だから、これから書くのは段取りの話ではない。考える余裕がなくなる日のために、今のうちに決めておけることは何かという話だ。

手術と言われた時点で、休み方は考えていなかった

母から電話があり、私が救急車を呼んだ。その日の職場への連絡については別に書いたので、ここでは繰り返さない。

はっきりしているのは、あのとき私は「何時間休むか」を一度も考えなかったということだ。

考えなかったのではなく、考えられなかった。会社を休むかどうかも、迷った記憶がない。休んで病院へ向かうしかなかったし、それが間違いだったとも思っていない。

親の手術に立ち会う日は、たぶん誰にとってもそういう日だ。休みの種類を比べたり、午後から戻れるかを計算したりする場面ではない。

まず向かう。それでいい。

これから書くことは、その判断を変えるためのものではない。向かったあとに、少しでも足元が定まるようにするための話だ。

病院は、私が着くのを待っていたのだと思う

病院の受付に置かれた書類とボールペン。家族が着くまで手術が始まらない場面があることを表す

私が病院に着いたとき、母の検査はすでに終わっていた。

そこで緊急の手術が必要だと告げられ、その場で同意書を書いた。書いてすぐ、手術に入った。

あとから冷静になったときに、考えたことがある。病院は、私が着くのを待っていたのではないか。

家族の署名がなければ手術は始められない。だとすれば、待てるだけの余裕があったということなのか。それとも、私が着くまでの時間の分だけ、何かが変わっていたのか。

答えは出ていない。医師からそういう説明を受けたわけでもない。今も分からないままだ。

ただ、この問いを持ち続ける必要はないのだと、今は思っている。着くのが早かったか遅かったかを、後から採点しても仕方がない。私にできたのは、連絡を受けてすぐ向かうことだけだった。

そのうえで、これから同じ場面に立つ人に一つだけ渡せることがあるとすれば、家族が着くまで進まない場面があるという事実だと思う。

これは、遅れたら悪くなるという意味ではない。そう受け取ってほしくない。医師は医師の判断で、待てる範囲を見ている。ただ、こちらの側にできることは「早く着く」以外にないというだけの話だ。

だから、迷わず向かっていい。職場への説明も、休暇の種類も、そのあとで間に合う。向かう前に何かを整えようとして十分二十分を使うより、車を出したほうがいい。私はそうした。それだけは、間違っていなかったと思っている。

手術の時間は目安であって、約束ではない

母の手術は、3時間から4時間だったと記憶している。

終わったと聞いたとき、思っていたより早いと感じた。だがそれは結果としてそうだっただけで、始まる前に確定していた数字ではない。

手術の所要時間は、聞けば教えてもらえる。ただしそれは目安だ。早く終わることもあれば、長くなることもある。開いてみて分かることもある。

だから、「手術は4時間らしいから、その間に仕事を片づけよう」という組み立ては成り立たない。私はそもそもそんな発想に至らなかったが、日程が分かっている人ほど、そう考えたくなるかもしれない。

そして、その日の私が病院にいたのは、結果として10時間くらいだった。

手術の三倍近い。ただ、その10時間に何をしていたのか、私ははっきり覚えていない。 説明を聞き、書類を書き、待ち、また説明を聞き、母が病室へ移るのを見届けた。その順番も、細かい時刻も、記憶に残っていない。

10時間という数字は、あとから振り返って「そのくらいだった」と分かるものであって、その日の私が意識していたものではない。

その間、時間のことなど気にしていられなかった

夕方の光が差す病院の廊下。手術の間、時間が経ったことに気づかないまま過ごした当日を表す

正直に書いておきたいことがある。

家族の手術の日に、時間を気にしている人はいないと思う。特に状態が悪ければ、なおさらだ。何時に終わるかより、どうなるのかしか頭にない。

本当は、やるべきことはあったはずだ。他の家族へ連絡する。親戚に伝える。母の家の戸締まりを確かめる。仕事の相手に一報を入れる。あとから思えばどれも必要なことだった。

だが、そのときの私はそれどころではなかった。落ち着いて順番をつけることも、優先順位を決めることもできなかった。

これは、備えが足りなかったから起きたことではない。家族の手術の日に、普段どおり動ける人のほうが少ない。 そう決めてかかったほうがいい。

私は当日、いくつかの連絡を落とした。悪気があったわけでも、忘れていたわけでもない。頭がそこまで回らなかった。あとから「なぜ言ってくれなかったのか」と言われる可能性も、当然あった。

そういうものだと思う。あの日にきちんと連絡を回せる人がいたとしたら、それは立派なことだが、できなかったからといって責められる筋合いでもない。

だから私は、その日の自分に何かを期待するのをやめた。期待できないなら、期待しなくていいように、前もって減らしておくしかない。当日にやることを増やすのではなく、当日に考えることを減らす。 備えるというのは、そういう意味だと今は思っている。

決めておけるのは「その日どうするか」ではない

自宅の机に置かれたメモ用紙とカードケース。考える余裕がなくなる前に決めておくことを表す

備えるといっても、当日の段取りを細かく作っておく話ではない。作っても、その日には見ない。

決めておけるのは、考えられない状態でも実行できる、ごく短いことだけだ。私が今なら決めておくのは、次の四つくらいになる。

決めておくこと具体的になぜ当日には決められないか
職場へ最初に伝える相手誰に、どの手段で(電話か、メールか)誰に言えばいいかを考える余裕がない
家族・親戚への連絡の担当自分以外に振れる人が一人いるか同じ説明を何度もする体力が残らない
病院で必要になるもの保険証、診察券、本人の薬の情報取りに戻る時間が惜しい場面がある
翌日以降を保留にする言い方「明日の見込みは今夜連絡します」見込みが立たないのに答えを求められる

四つとも、当日に考えると重い。だが、今なら十分ほどで決められる。

一つ目は、迷う時間をなくすためのものだ。誰に言えばいいかを考えるところから始めると、それだけで電話を後回しにしてしまう。相手を一人決めておけば、内容が整っていなくてもかけられる。

二つ目は、自分の体力を守るためのものだ。同じ説明を何人にも繰り返すのは、思っている以上にこたえる。誰か一人に伝えて、そこから先を任せられるなら任せたほうがいい。任せる相手がいないなら、いないという前提で連絡先を絞っておく。

三つ目の「本人の薬の情報」については、自分の医療情報を家族にどう残すかで自分の側を整理したことがある。親の分も同じで、どこに何があるかを知っているだけで、その日の一往復が減る。

四つ目は、周りのためのものだ。職場でも家族でも、「いつ戻れるのか」と聞かれる。分からないと答えるのは気が引けるが、分からないものは分からない。戻る時刻を答える代わりに、こちらから次に電話する時間だけを先に言う。 これを一言決めておくと、その場で考えなくて済む。

休み方は、後から直せる

私は転職したばかりで有給休暇がなかったため、この日は欠勤にした。

当時はそれしか選べなかったが、今から振り返っても、当日に休暇の種類を選んでいる余裕はなかったと思う。まず休む。手続きは後で合わせる。 その順番でよかった。

休暇の種類そのものは、落ち着いてから確認すればいい。介護休暇と有給のどちらを使うかは制度によって扱いが違うし、入院が長引きそうなら介護休業を申請する前に確認することもある。どちらも、病院の廊下で考えることではない。

日程が分かっている手術であれば、この順番は逆にできる。前もって職場へ伝え、休暇を決め、当日を空けておける。その場合に何を病院へ確認しておくかは、通院の付き添いで休むときの相談の順番のほうに書いた。

ただ、予定されていた手術であっても、当日に何が起きるかまでは決まっていない。一日を空けておいて、余ったら使う。 逆はできない。

備えておけるのは、時間ではなく最初の一手

母の手術の日を振り返って、私が今いちばん確かだと思うことを書いておく。

その日が何時間で終わるかは、前もっては分からない。分かるようにもならない。

分かるようにしようとするから苦しくなる。10時間だったのは結果であって、私が管理できたものではなかった。

代わりに決めておけるのは、最初の一手だけだ。誰に、何を、どの順番で伝えるか。それだけを短く決めておけば、頭が動かない日でも、体は動く。

私は何の心構えもないまま、あの日を過ごした。それでも母は今も一人で暮らしているし、仕事も続いている。だから、備えがなければ立ち行かないという話ではない。

ただ、あのとき決められなかったことを、今なら十分で決められる。それだけのことで、次に同じ日が来たときの自分と、周りの人の負担は、少し軽くなるかもしれない。

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