親の通院に付き添うときと、妻の父の病院へ行くときとでは、自分の立ち位置がまったく違う。
母のほうは、私が決めて、私が休んで、私が付き添う。通院の付き添いで仕事を休むときのことは別に書いた。
妻の父のほうは、そうではない。中心にいるのは妻と、妻の二人の妹である。私は呼ばれたときに行く。
呼ばれる回数は多くない。それでも、なぜその日に呼ばれたのかを考えると、家族の付き添いというものが一人で完結する話ではないと分かってきた。
今回は、付き添いの主役ではない側から見た話を書いておきたい。
中心にいるのは、妻と二人の妹である
妻の父の暮らしは、基本的に三姉妹で回っている。
誰かが様子を見に行き、誰かが用事を引き受け、必要なら三人で相談して決める。義父自身も、ヘルパーを自分で手配して毎日の家事を外へ出しているので、生活そのものが娘たちだけに寄りかかってはいない。
ただ、これは「婿は関わらない」という話ではない。三姉妹が、それぞれの夫に負担をかけまいとしているだけである。
そこは長年の付き合いで分かっているつもりだ。何かあれば、こちらはすぐに動く。妻もそれを分かっていて頼んでくる。二つの実家をどう抱えるかについては別に書いたが、遠慮し合っているわけではない。
だから、呼ばれる日というのは「例外的に許可が下りた日」ではなく、娘たちだけでは手が足りないと分かった日である。
呼ばれるのは、荷物のときだけではない

最初のうち、私が呼ばれるのは力仕事の日だと思っていた。
入院が決まって、着替えや洗面用具を一式まとめて運ぶ。家財が壊れたので買い直しに付き合う。義父の家の模様替えをする。どれも荷物と手数の話で、人手が要るから呼ばれるのだろうと考えていた。
だが、それだけではなかった。
説明を聞く場に呼ばれることがある。 病院で話を聞く日、三姉妹だけで行くのではなく、私も一緒に行く。荷物を持つ必要はない場面である。
最初はなぜ自分が要るのか分からなかった。あとから考えると、理由は一つではないようだった。
一つは、単純に聞く人が多いほうがいいということだ。医師の説明は一度きりで、あとから「あれはどういう意味だったのか」と家族の間で食い違うことがある。その場にいた人が二人より三人、三人より四人いれば、思い出せる範囲は広くなる。
もう一つは、その場で質問を出せるかどうかである。説明を聞いている最中は、頭が追いつかない。聞き返せずに終わって、あとから電話で確認することになる。人数がいれば、誰かが気づく確率は上がる。
そして、もう一つ理由があった。これがいちばん書きにくい。
女性だけだと軽く見られる場面は、今もある
これは書くかどうか迷った。書き方を間違えると、誰かを責める話になってしまう。
女性だけで行くと、話の扱われ方が変わる。 残念ながら、そういう場面は今も存在する。
きちんと聞いてもらえない。説明が短く済まされる。押し切られそうになる。三姉妹はそれを何度か経験している。気のせいではないし、被害妄想でもない。
本来、あってはならないことだと思う。 誰が行っても、説明の中身も態度も同じであるべきだ。それは間違いない。
だが「あるべき」と「ある」は別である。今日の説明を聞くのは今日であって、世の中が変わるのを待ってはいられない。
だから、そういう場面に50代後半の男が一人いると違う、と三姉妹は考えている。そして実際に違う。 私が何か特別なことをするわけではない。説明を聞き、分からないところを一つ二つ聞き返し、帰りに妻たちと内容を確認する。それだけである。それだけで、話の運び方が変わることがある。
気持ちのよい理由ではない。 座っているだけで扱いが変わるのなら、変わるべきなのは私の側ではない。それでも、その日の義父が困らないことのほうが先だと思うから、呼ばれれば行く。
いつかこの章が、読み返して意味の分からない昔話になればいいと思っている。今はまだ、そうなっていない。
私が少し詳しいのは、経験の数が多いだけである
もう一つ、呼ばれる理由がある。
医療や病院まわりの事情に、私のほうが妻より多少詳しいことがある。制度に強いわけでも、勉強したわけでもない。単純に、関わってきた回数が多いというだけである。
父が長く闘病していた。母のがんの手術と入院があり、通院にも付き添ってきた。自分自身も検査や通院の頻度が人より多い。病院という場所に慣れているというより、慣れざるを得なかった。
だから、次に何を聞いておくべきか、この説明のあとに何が起きるかが、なんとなく先に見当がつく。入院や退院のときに家族が確認することを整理できたのも、自分の家で何度か通ってきたからにすぎない。
これは誇れることではない。慣れというのは、慣れるだけの出来事があったということでしかない。
ただ、家族の中で誰が病院に慣れているかは、いざというときにけっこう効く。説明を聞いて、その場で一つ聞き返せるかどうかで、あとの手間がずいぶん変わる。聞けなかった一つを確かめるために、翌日また電話をかけ、つながらず、折り返しを待つ。そういう半日を何度か使ってきた。
誰が付き添うかを決めるとき、都合がつくかどうかだけで決めないほうがいい。 その場で質問を思いつける人がいるか。あとで内容を突き合わせられる人が複数いるか。そこまで見ておくと、一回の付き添いで済むことが増える。
病院ではない日にも、二人でないと足りないことがある

呼ばれるのは病院の日だけではない。
義父はほとんど目が見えない。慣れた家の中なら記憶で動けるが、外へ出るとなると話が別になる。時々、外食に連れ出すことがあるのだが、これは妻一人では難しい。
段差、椅子の位置、料理の並び。誰かが先に見て、誰かが横についている必要がある。二人いれば成り立つことが、一人だと成り立たない。
こうして並べてみると、私が呼ばれる場面には共通点がある。一人では足りないときである。 荷物でも、説明でも、外出でも、理由は同じだった。
家族の付き添いというと、誰か一人が背負う姿を思い浮かべやすい。だが実際に必要なのは、その日その場面で人数が足りるかどうかという、もっと素朴な話だった。
そう考えると、支える側の数え方も変わってくる。「主に見ている人」を一人決めて終わりにするのではなく、足りない日に呼べる人が何人いるかで見たほうがいい。毎日は関われなくても、年に何度か半日だけ動ける人は、思っているより役に立つ。
私はその「何度か」の側にいる。それでいいのだと、最近は思うようになった。
呼ばれる関係は、役割の前からあった

ここまで役割の話ばかり書いてきたが、それだけではない。
私が義父と初めて会ったのは19歳のときで、妻と付き合い始めたころだった。あれから何十年も経っている。その間ずっと、義父は私にとってよい相談相手であり、話し相手だった。
だから、病院へ呼ばれて行くのは、頭数を埋めるためだけではない。単純に、会って話したい相手でもある。 用事がなければ会いに行く口実がない、というのが正直なところで、呼ばれるのはむしろありがたい。
三姉妹が私の「使い道」を考えてくれているのは、半分は本気で、半分は昔からの付き合いを分かった上でのことだと思っている。負担をかけまいとしてくれているが、こちらは負担だと思っていない。
配偶者の親との関係は、家によってずいぶん違うのだろうと思う。気を遣うばかりの人もいれば、ほとんど行き来のない人もいる。うちがたまたま長く続いただけで、そこに正解があるわけではない。
ただ、関係が先にあると、呼ばれることが負担になりにくいのは確かだった。役割だけで結ばれていると、頼むほうも頼まれるほうも構えてしまう。役割ができるずっと前に会っていたことが、いま効いているような気がする。
頼まれていなくても、休む日がある
ここまで「呼ばれたら行く」と書いてきたが、正確ではない部分がある。
平日に呼ばれることは、ほとんどない。三姉妹はそれぞれ都合をつけて動いているし、私が会社を抜ける前提で予定が組まれることはない。
ただ、手術や入院の日が平日だと分かっているときは、頼まれていなくても休んだことが何度かある。
三姉妹は「休まなくてもよかったのに」と言ってくれる。実際、その日は何事もなく終わることのほうが多い。私は待合室にいて、話を聞いて、帰るだけである。
それでも、休んでよかったと思うことのほうが多い。
理由は、母の手術の日に一日が終わってしまった経験があるからだ。手術の所要時間は目安でしかなく、前と後ろに家族の時間が発生する。予定より早く終わることもあれば、その場で何かを決めなければならないこともある。そういう日に、連絡が取れるだけの距離にいるのと、その場にいるのとでは違う。
もしものために休む、というと大げさに聞こえるかもしれない。だが実際には、何もなかった日を無駄だと思わないことにした、というだけの話である。
何も起きなければ、その日は少し長い待ち時間で終わる。起きたときに人が足りなければ、あとから取り返せない。取り返せないほうを避けるようにしている。
これは頼まれてやっていることではないので、押しつけないようにも気をつけている。休めない日は休めない。行けるときに行く。そのくらいの構えでちょうどいいと思っている。
主役でなくても、出番はある
親の付き添いと、家族の付き添いは違う。義父と母では、暮らしの条件そのものが違った。私の関わり方も、同じではなかった。
母のほうは、日程を自分で決めて、休みを取って、一日を空ける。妻の父のほうは、呼ばれてから動くのが基本で、大きな日だけこちらから空ける。
だから配偶者側にできる準備は、細かい段取りではないと思っている。
動ける余地を、少しだけ残しておくこと。 予定を詰めきらない。その日のうちに終わらせなくてもよい仕事を見分けておく。行けないときは早く伝える。そして、手術や入院の日程が分かった時点で、自分の予定表にも書いておく。
普段動いているのは三姉妹で、私は足りない日に呼ばれる。その回数は多くない。だが、少ないことと、関わっていないことは違う。声がかかれば行く、という前提が共有されているから、普段は呼ばれずに済んでいる。
家族の誰かに付き添う日は、これから増えるのだろうと思う。そのとき自分が主役なのか、呼ばれる側なのかで、用意しておくものは変わる。主役でないなら、細かい計画より、空けておける半日のほうが役に立つ。
呼ばれる側にも、自分で決めて空ける日がある。それを決めるのは頼まれたかどうかではなく、あとから取り返せるかどうかだった。

