仕事帰りに実家へ寄る水曜日|習慣になると、親にとっては「必ず来る日」になる

仕事帰りに実家へ寄る水曜日|習慣になると、親にとっては「必ず来る日」になる 仕事

水曜日の夕方、会社に放送が流れる。今日はノー残業デーです、早めに帰りましょう。

その放送を聞くと、周りも少しずつ片付けを始める。私にとっては、仕事帰りに実家へ寄る日の合図でもあった。

半年前までは、週に一度、水曜日か木曜日に実家へ寄っていた。今は隔週になっている。

寄る日を決めておくと、行く側は段取りが楽になる。ただ、続けているうちに、母にとっては「必ず来る日」になっていた。この記事では、仕事帰りに親の家へ寄る日の流れと、その習慣が少しずつ重くなっていったこと、それを軽くするためにやってきたことを書いておく。

寄るのは水曜日、ノー残業デーの日だった

私の職場では、水曜日がノー残業デーになっている。夕方に放送が入り、皆も割と早く帰る。席を立つのに、誰かの目を気にしなくていい日だ。

若いころの私は、定時で上がることにどこか後ろめたさを感じていた。定時に上がることを恥だと思っていた時期のことを思えば、放送に背中を押されて帰れる日は、今の私にはありがたい。

寄るのは水曜日か木曜日が多い。理由はノー残業デーだけではない。週末に実家へ行く週もあるので、週末と週末のちょうど間に顔を出しておく、という意味もある。

週末に行くのは、明るい時間でないと済まない用事があるときだけになった。買い物以外の用を済ませるときと、草刈りの時期である。それとは別に、2か月に一度くらい、週末の昼に母を外食へ連れて行くこともある。

平日の夜にできることは限られている。だから、平日の寄り道は買い物と様子見が中心になる。

定時に出ると、いちばん混む時間に走ることになる

夕暮れの郊外の道に連なる、渋滞の車のテールランプ

困っているのは、道である。

会社から実家までは、車で1時間ちょっとかかる。定時に会社を出ると、道がいちばん混む時間にぶつかる。そういう日は、1時間を超えることも珍しくない。

ところが、仕事で1時間ほど残業して出た日は、渋滞が抜けていて50分ほどで着くことがある。出発を1時間遅らせても、着く時間は数十分しか変わらない。

急いで向かう方がいいのか、少し待ってから向かう方がいいのか。これは今も悩みどころである。早く出れば母を待たせずに済むが、車の中で過ごす時間は長くなる。遅く出れば運転は楽だが、母はその分待つことになり、私の帰りも遅くなる。

距離そのものは、母が一人暮らしに戻ったころから変わっていない。実家までの距離と通い方は以前にも書いた。変わったのは、同じ道でも出る時間で所要時間がこれだけ違う、と分かってきたことだ。

行く前の電話で、母は買う物を決める

スーパーの食品売り場に並ぶ、野菜などの日々の食材

会社を出る前に、母へ電話を一本入れる。今から行く、とだけ伝える。

母はその電話で、買い物で何を買うかを決めている。着くころには、行く店も、見たい売り場も、母の中では決まっている。

母は、週に一度の買い物に時間をかける。気持ちは分かる。自分の目で選びたいし、たまの買い物なのでじっくり楽しみたいのだと思う。

一方で、こちらは一日働いたあとである。疲れていて、正直に言えば早く帰りたい日もある。売り場の前で母が迷っている間、急かしたくなる気持ちを抑えていることもある。

遅めに出た日は、家に帰り着くと9時ごろになる。

夕食は、帰ってから食べる。私は風呂のあとに夕食をとる習慣がある。平日は昔から残業が当たり前の暮らしだったので、妻が私の分を作り置きしてくれている。寄った日も、それは変わらない。

帰りが9時になるのは、残業した日と変わらない。翌日の仕事に響くことも、ほとんどない。

それでも、残業とは違う重さがある。残業は、自分で終わる時間をある程度決められる。寄る日の夜は、母の買い物の長さも道の混み方も、自分では決められない。自分でコントロールできない義務は、同じ9時でも負担に感じることがある。水曜日と木曜日は、朝から仕事が早めに終われるかどうかを気にしている。

毎日から、週に一度まで減らしてきた

最初から週に一度だったわけではない。

母が最初に手術を受けたあとの1か月は、毎日定時で帰って病院へ顔を出していた。母が実家に戻ってからも、仕事帰りに寄れる日は寄り、週に2度ほど様子を見に行った。

あのころは、正直に言って大変だった。

ちょうど転職したばかりの時期でもあった。しばらくすると仕事も任されるようになり、定時で帰れない日が増えた。同じ回数を続けるのは難しくなっていった。

幸い、母の体調も少しずつ落ち着いていった。それに合わせて回数を減らし、しばらくして、週に一度に落ち着いた。それが水曜日だった。

減らしたのは、私の都合だけではない。母の状態が良くなっていたから減らせた。その順番は、今でもそう思っている。

来られない週に、母は妻へ電話をかけた

夜の食卓に置かれた、ラップをかけた一人分の夕食

週に一度が続くと、水曜日は母にとって「必ず来る日」になった。

あるとき、仕事でどうしても寄れない水曜日があった。間の悪いことに、母からの電話にも出られなかった。

すると母は、私の自宅に電話をかけてきた。出たのは妻である。息子が来ない、という電話だった。

心配もあったのだと思う。ただ、習慣になって当たり前になっていたぶん、なぜ来ないのか、という言い方にもなった。

それを聞いたときは、負担に感じた。仕事で寄れない日があることは、母の暮らしの側からは見えにくいのだろう。分かっていても、少し悲しくなった。

一方で、妻は母から別の話も聞いていた。どんな理由でもいいから、来てくれるだけで嬉しい。母はそう言って、声を弾ませていたそうだ。

一人で暮らしていれば、週に一度の来客は大きな出来事なのだと思う。それは分かる。ただ、来てくれるだけで嬉しいと言われても、それを義務として受け取る側の重さは、あまり変わらなかった。

最近は、電話の終わりに、母がよろしく頼むねと言うことが増えた。一人では何もできないという不安から出る言葉なのだと思う。言われるたびに、自分が背負っているものの形を、改めて確かめるような気持ちになる。

「今週はいいよ」と言われるようになった

変わってきたこともある。

このところ、出張が多くなった。来週は来られない、と前もって母に伝えることが増えた。出張で行けない週に、出発前に母へ伝えておくことも、少しずつ決まってきた。

そのうちに、母も私が忙しいことに気づいたのか、ときどき、今週はいいよと言うようになった。

母は、地域のバスを使って、簡単な買い物なら自分でできるようになった。用事で出かけたときには、買い物も済ませてきてもらう。自分でできることは、自分でやってもらうようにしている。

母は、私の目のないところで自分の意思で買い物をするのを、楽しんでいるようにも見える。予算の範囲内であれば、それでいいと思っている。その方が、私も助かる。

週に一度、買い物ヘルパーにも来てもらっている。買い物をヘルパーに頼んだあと、家族の側で決め直したことは別の記事に書いた。ヘルパーの買い物と母自身の買い物が回るようになって、私が寄るのは隔週で済むようになった。

寄る日を続けるために、決めておけること

仕事帰りに親の家へ寄ることを、何年も続けている人は少なくないと思う。続けてきて、決めておけばよかったと思うことがいくつかある。

一つは、曜日を決めても「必ず」にはしないことだ。曜日が決まっていると、行く側の段取りは楽になる。その一方で、親の側では来ることが前提になっていく。来られない週があることを、最初から伝えておく方がいい。

二つ目は、来られない週を先に伝えることだ。当日に連絡がつかないまま来ないと、親は理由を想像するより先に、来ないことに不安になる。分かっている予定は、前の週のうちに伝えておく。

三つ目は、出る時間を一つに決めつけないことだ。定時に飛び出すのが早いとは限らない。道の混み方は地域ごとに違うので、一度、少し遅らせて出た日と比べてみる価値はある。

四つ目は、買い物を一人の手に集めないことだ。子が行く、親が自分で行く、ヘルパーに頼む。手が分かれていれば、子が行けない週も暮らしは止まらない。

介護保険の訪問介護では、買い物の代行を生活援助として頼むことができる。使うには要介護や要支援の認定が要り、ケアマネジャーや地域包括支援センターに相談して、ケアプランに入れてもらう形になる。どんな支援をどこまで家で増やせるかは、施設を考える前に、家で増やせる支援で整理した。子が寄る回数を減らしたいと思ったら、まずそこから見てみるとよい。

どちらか一方に寄りかかる形になると、どこかに歪みが出る。親が子に頼りきりになっても、子が親の暮らしを全部抱え込んでも、長くは続かない。助け合えるうちは、歩み寄れるところで歩み寄り、お互いが相手に依存しすぎない形を作っておくことも大切だと思う。

それでも、年を追うごとに、母が私に頼る度合いは上がっていくだろう。その覚悟はしておく必要がある。だからこそ、今は無理のない範囲で歩み寄っておきたい。長く続けるためには、それが大切だと考えている。

今の私は、隔週の水曜日か木曜日に寄っている。放送を聞きながら、今日は何時に出るかを考える。母の「今週はいいよ」が聞こえる週は、少しほっとする。寄る日は、その日の仕事の終わり方を見て決めている。

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