実家で作業をしていて、ぎっくり腰になった。
腰から力が抜けていく瞬間、「やばい」と思った。
今回は、誰かの助けを借りなければならないほどではなかった。自分で車を運転して帰り、翌日からは仕事にも出ている。ただ、しばらくの間、この痛みが戻らなかったら相当まずいな、という考えが頭から離れなかった。
母を支える側の私が動けなくなったら、どうなるのか。これまで何度か、仮の話として書いてきた。今回、それが少しだけ本当になった。
母の買い物は、一回休みにした

その日は、実家の庭木と草の手入れをしていた。高い枝を切る道具を使っていて腰を痛めた経緯は、実家の草刈り道具は、買ったあとが長いに書いた。
作業のあとは、母を買い物に連れて行くつもりだった。
腰を痛めてすぐ、母に、今日は連れて行けないと話した。そのときは、帰ることを優先したかった。車に乗り込めるうちに乗り込み、家まで運転できるうちに帰りたかった。いつもよりゆっくり走ったので、五十分ほどかかった。
母は、買い置きの食材で何とかなる、ヘルパーさんが来るまで大丈夫だと言った。
その言葉に、正直ほっとした。母の買い物は、私が連れて行く日とは別に、週に一度ヘルパーさんにも頼んでいる。私の一回が抜けても、母の冷蔵庫がすぐに空になるわけではない。買い物の窓口を二つに分けておいたことが、今回は効いた。
実家の作業のほうは、途中でやめた。草刈りも木の剪定も、まだ終わっていない。九月に親指を切ったときと同じで、また中断である。
すぐに来てもらえる人は、いなかった
運転席に座ってから、考えたことがある。
もし、ここで動けなくなっていたら、誰に来てもらえばよかったのか。
すぐに来てもらえる人は、いない。妻には、実家まで来る手段がない。同じ県内とはいえ、実家までは距離がある。実家へは、いつも私一人で通っている。私が行けなくなったら誰が代わりに行くのかは、これまで一度も決めていなかった。
母のほうは、ヘルパーさんと買い置きで、しばらくは回る。けれど、実家で動けなくなった私を、母が助けられるわけではない。母の暮らしの支えは二つに分けてあっても、私自身の代わりは、誰も決まっていなかった。
家族で年に一度、お金と介護の確認をするときに、私が動けないときの連絡先を妻と共有しておく、と書いたことがある。それは、私が自宅にいて動けない場面を考えていた。実家で、一人で、動けなくなる場面までは考えていなかった。
妻には、何となく腰が痛いとだけ伝えた
痛めたあと、家族にどう伝えたかも書いておく。
妻には、詳しく話さなかった。何となく腰が痛くなった、とだけ伝えた。いろいろ言われるのが面倒だと思ったからだ。
実家を出る前、母は、大丈夫か、と言った。そのあとも、同じことを繰り返し言ってきた。何度言われても腰が治るわけではないので、もういいと伝えた。
母は昔から、思ったことや不安なことを、そのまま口に出す人だ。口に出すことで、母のほうは落ち着くのかもしれない。ただ、言われる側は、心配をもう一つ受け取ることになる。
あとから考えると、おかしなものだと思う。私はこれまで、母の「大丈夫」をどこまで信じるかを考えてきた。母が大丈夫と言うときほど、言葉の外を見るようにしてきた。その私が、妻には不調を小さく伝え、母の心配は途中で止めている。
何かあったとき、最初に連絡するのは妻である。その妻に、私は腰の具合を詳しく話していない。母の「大丈夫」と、私の「何となく」は、たぶん同じ形をしている。
仕事はデスクワークだから、休まずに済んだ

翌日からも、仕事は休んでいない。
今の仕事はデスクワークで、座ってさえいれば、何とかこなせる。困るのは、座るまでと立つときだ。椅子から立ち上がる、車に乗り降りする。そのたびに腰に響く。トイレも、思っていた以上に大変だった。
親の通院や入院のときには、仕事をどう休むかを何度も考えてきた。自分の体のことで休むかどうかを考えたのは、久しぶりだった。今回は、仕事の中身に助けられた形である。体を使う仕事だったら、こうはいかなかった。
ただ、病院には行けていない。
ぎっくり腰になった日は週末で、かかりつけの整形外科は休みだった。翌日、仕事帰りに寄るつもりでいたが、診療時間に間に合わずにあきらめた。三日目には痛みがいくらか治まり、注射を打ってもらうほどではないと判断した。今は、湿布とドリンク剤、痛み止めで何とかしのいでいる。
母の通院のためなら休みを取るのに、自分の通院は、仕事帰りに間に合わなければそれで終わりにしている。書いてみると、ずいぶん後回しにしている。
前のぎっくり腰では、注射を打ったその日に痛みが引いた
ぎっくり腰は、初めてではない。
最初は、同じ整形外科でブロック注射を打ってもらった。そのときの先生は、先代だった。
転職して間もないころに、もう一度なった。このときは、二年ほど我慢していた右肩の五十肩も一緒に診てもらった。先生は代替わりしていて、おそらく先代の息子さんなのだろう。息子さんといっても、私より少し若いくらいの同世代である。
その先生が、ステロイド注射を打ちますか、と言った。
私はてっきり、前と同じブロック注射だと思っていた。五十肩やぎっくり腰にステロイド注射を打つという知識もなかった。それでも、痛みには代えられず、お願いしますと答えていた。
あくまで私の場合の感想だが、打っている最中から、すっと痛みが引いていく感じがした。肩と腰の両方に打ってもらい、会計を済ませるころには、うそのように痛みがなくなっていた。
そのとき、先生から言われたことがある。五十肩は、我慢せずに早めに来るように。発症から時間がたっていると、注射が効かない可能性があるから、ということだった。
今回も、あの注射が頭にあった。それでも、仕事帰りに間に合わなかった。治療の中身は、そのときの症状を見て医師が決めるものだ。ただ、早めに来るようにと言われたことを、私はまた守れていない。
二週間前に、コルセットを捨てたばかりだった

転職して間もないころのぎっくり腰のとき、腰のコルセットを買った。
しばらく使ったあとは、会社の机の引き出しに入れたままになっていた。何年も出番がない。ちょうど二週間ほど前、これだけ使わないなら、もう要らないだろうと判断して処分した。
その二週間後に、ぎっくり腰である。
だいたい、要らないと思って処分した物にかぎって、あとで必要になる。古い書類やメールも同じで、捨てたり消したりしたあとに、見たくなることがある。
コルセットを捨てたのは、腰の不安がもう過去のことだと思っていたからかもしれない。実際には、実家の作業が増えて、腰にかかる負担はむしろ増えていた。
同じ作業を同じようにすれば、また同じことになる
腰は、まだ治りきっていない。
庭の作業は、まだ残っている。ただ、同じ作業を同じようにすれば、同じことを繰り返す可能性が高いと思っている。
原因を一つに決めることはできないが、運動不足がたたったように思う。若いころの感覚で、いきなり重い道具を持って一日動いた。健康診断の数字や体重は、気にしてきたつもりだ。けれど、重い道具を持って一日動く前に、体をならしておくことまでは考えていなかった。
作業の前に、何か運動を始めなければならない。今考えているのは、できるだけ階段を使うことと、プールを復活させることだ。仕事帰りに、またプールに通い始めたと書いたのに、今はまた足が遠のいている。体重も増えているので、減らすことも必要なのだと思う。
母の暮らしを支える仕組みは、少しずつ整えてきた。ヘルパーさん、配食、買い置き。どれも、私が行けない日があっても回るように、と考えてきたものだ。その仕組みの中に、私自身の体は入っていなかった。
母の買い物は、一回休んだだけで済んだ。次に休むのが一回で済むかどうかは、私の腰しだいである。

