親の手術後の付き添いはいつまで|毎日通った最初の1か月と、週3回に変えた時期

親の手術後の付き添いはいつまで|毎日通った最初の1か月と、週3回に変えた時期 仕事

親の手術が終わったあと、病院へはいつまで通えばいいのか。

母が緊急の手術を受けた日のことは、別の記事に書いた。ただ、手術の日は一日で終わる。そのあとに続いた入院は、約3か月あった。

その間、私は最初の1か月を毎日、2か月目からは週3回ほど病院へ通った。泊まり込みを求められたことは一度もない。毎日通ったのは、会いたかったからではない。容態が変わっていないかと、足りない物がないかを確かめるためだった。

振り返ると、通う回数が変わったのは、何日たったからでもなかった。母の容態と、病室と、洗濯物の回し方が変わったからだった。今回は、手術のあとの入院期間に、家族の通い方がどう変わっていったかを書いておく。

毎日通ったのは、呼ばれる前に確かめるためだった

母の手術のあと、病院から付き添いや泊まり込みを求められることはなかった。看護は病院の側でしてもらえる。家族に求められたのは、説明を聞くことと、必要な物をそろえることだった。

それでも、最初の1か月は毎日病院へ寄った。仕事を定時で終え、その足で病院へ向かう。

当時はコロナが広がっていた時期で、面会には時間の決まりがあり、人数も滞在時間も厳しく限られていた。病室に長くいられるわけではない。様子を見て、要る物を聞いて、帰る。毎日通ったといっても、中身はその程度である。

手術は終わっても、母の容態はまだ安定していなかった。変わったところはないか、足りない物はないか。それを確かめに行っていた。

もう一つ、理由があった。病院から急に呼ばれたとき、すぐに動けるのは私しかいない。仕事の途中で突然呼び出されるより、こちらの都合のつく時間に行っておくほうがいい。毎日こちらから出向いていれば、呼び出される場面を少しでも減らせると考えていた。

ただ、毎日行くこと自体が、母にとってのリスクではないかとも思っていた。私は昼間を会社で過ごし、多くの人と同じ場所にいる。その足で病室へ入るのである。行く理由と、行かないほうがいい理由を、両方抱えたまま通っていた。

私は転職したばかりで、有給休暇がまだなかった。手術の当日に仕事をどう休んだかは別に書いたとおりで、そのあとも休むと欠勤になる。だから昼間は働き、定時のあとに通う形しか取れなかった。

平日の足は、思っていたより確保できなかった

平日の朝、車が出払ったカーシェアの区画と車止め

私が行けない日中は、妻が何日か仕事を休んで通ってくれた。

当時、私たちの家はカーシェアの会員だった。病院まで行く足はある、と思っていた。ところが、平日の車がなかなか予約できない。

それまで、カーシェアを使うのはいつも週末だった。平日にこれほど利用者が多いとは、考えたこともなかった。週末に空いていたのは、たまたま私たちの使い方が平日の利用者とずれていたからだったのだと思う。

母の入院が続くあいだ、家族の誰がどの日に行くかは、車が取れるかどうかにも左右された。行く気があっても、足がなければ行けない。通う回数を決めていたのは、家族の気持ちだけではなかった。

最初の1か月は、個室にしていた

手術のあとしばらく、母の容態はよくなかった。そのため、最初の1か月は個室を頼んでいた。

面会が短く限られる中で、個室なら周りに気を遣わずに済む。母にとっても、私たちにとっても、その時期は個室でよかったと思っている。

容態が落ち着いてきたころ、私は母に、相部屋へ移ってはどうかと話した。

母の返事は、はっきりしなかった。個室のほうがいいのだろうということは、様子を見ていて分かった。母は社交的なほうではなく、人に気を遣う性格でもある。大部屋は落ち着かない、と言った。

母は、保険に入っているから大丈夫だとも言った。ただ、入院で出ていくお金は部屋代だけではない。しかも、いつまで入院が続くのかは、その時点で誰にも分からなかった。

私は、また具合が悪くなったら個室へ戻ればいい、と話した。母は納得しきってはいなかったと思うが、大部屋へ移った。

個室か大部屋かは、本人の性格でも答えが変わる

仕切りカーテンが半分引かれた、大部屋の窓際の病床

あとになって、妻の父の入院のときのことと比べることがある。

妻の父は、家族が個室を勧めても、もったいないと言って大部屋を選ぶ。大部屋のほうが話し相手がいていい、とも言う。迷う様子がない。

同じ入院でも、大部屋を居心地よく感じる人もいれば、そうでない人もいる。母にとっての大部屋は、義父にとっての大部屋とは違う場所だったのだと思う。

それでも、あのとき母を大部屋へ移したことを、私は間違いだったとは思っていない。入院の終わりが見えないうちに、続けられる形へ移しておく必要があった。ただ、移るように言うのは家族でも、そこで毎日過ごすのは本人である。戻れる道を残して話したのは、そのためだった。

個室から移るかどうかで迷ったら、容態が悪くなったときに戻れるのかを、先に病院へ聞いておくといいと思う。戻れると分かっていれば、本人にも話しやすい。

洗濯物は、入院セットでほとんど賄えた

床頭台にたたまれた女性用の入院セットの寝間着とタオル、家族が届けた紙袋

入院中の家族の用事として、洗濯物と日用品の補充を思い浮かべる人は多いと思う。私もそう考えていた。

母の病院では、寝間着やタオル、日用品に、おむつまで含めたセットを日額で頼むことができた。いわゆる入院セットである。これで、入院中に要る物のほとんどが賄えた。

毎日通っていた時期に、洗濯物の持ち帰りまで重なっていたら、面会の短い時間はそれだけで終わっていたと思う。

それでも、セットに含まれない物はあった。肌着や、母がふだん使っている細かな物である。それは妻が用意してくれて、私が病院へ届けた。

入院セットを使えるかどうか、何が含まれるかは、病院によって違う。入院の手続きのときに一度聞いておくだけで、そのあとの通い方がかなり変わる。

毎日から週3回へ変えたのは、2か月目からだった

2か月目に入るころには、母の容態は落ち着いてきた。大部屋にも移り、身の回りの物は入院セットで回っている。私は、毎日の面会を週3回ほどに減らした。

入院中は週3回ほど通ったと以前に書いたのは、この2か月目以降のことである。最初の1か月は、毎日だった。

振り返ると、通い方は次のように変わっていた。

時期母の様子と病室私の通い方変えた理由
手術から1か月容態が安定せず、個室毎日、定時のあとに寄る。妻も何日か平日に通う容態と足りない物を確かめ、急な呼び出しを減らすため
2か月目から容態が落ち着き、大部屋へ週3回ほど容態と身の回りの物の回り方が変わった
約3か月で退院一人で今までどおりとはいかない自宅で同居へ退院後の暮らし方を先に決めた

減らすきっかけは、医師から何か言われたことではなかった。母の様子が変わり、家族が持っていく物が減り、病室が落ち着いた。その結果として、毎日行く理由が少しずつ減っていった。

退院できる状態になったのは、手術から約3か月後である。ただし、母は一人で元の暮らしに戻れる状態ではなかった。そのあと私の家で約2か月一緒に暮らしたことは別に書いた。入院中の付き添いが終わっても、支える形が変わっただけで、終わったわけではなかった。

二度目の手術は、通い方を前もって決められた

母はその後、肝臓への転移が見つかり、もう一度手術を受けている。

このときは、最初の手術とはずいぶん違った。突然ではなく、手術までに準備の期間があった。手術の前の検査入院のように、日程の決まった用事が先に並んでいく。家族のほうにも、一度目の経験がある。入院中に何が要り、どのくらいの頻度で通うことになるのか、おおよその見当がついていた。

手術そのものも、思っていたより母の負担は少なかったようだ。回復までの時間も、前回より短かった。

入院中は、定期的に検査の結果を聞く場があった。看護師さんから連絡をもらい、その日に合わせて予約を入れる。説明を聞く日が先に決まっていれば、仕事の休みも前もって組める。休みの種類をどう選ぶかは、介護休暇と有給の使い分けで整理した。

二度の入院を通して分かったのは、手術後の付き添いがいつまで続くかは、日数では決まらないということだ。決めていたのは、容態と、病院が家族に求めることと、家族の足だった。入院の最初に聞いておきたいのは、三つある。泊まり込みは要るか。入院セットは使えるか。容態が悪くなったら個室へ戻れるか。これが分かっていれば、毎日通う時期を、必要な長さで終えやすくなると思う。

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