仕事帰りに、またプールに通い始めた

仕事帰りに、またプールに通い始めた 人生後半

仕事帰りに、またプールに通い始めた。

大きな決意をしたわけではない。健康診断の数字が気になり、主治医から体重を落とすように言われ、実家の草刈りの翌日に体の重さを感じるようになった。その積み重ねの中で、そろそろ何かを戻さなければと思った。

以前の私は、週に二、三回プールで泳いでいた。通勤も片道六キロほど自転車だった。意識して運動しているというより、暮らしの中に体を動かす時間があった。

転職して車通勤になり、コロナ禍も挟み、いつの間にか運動は週末の散策くらいになった。仕事、母のこと、実家のことを優先しているうちに、自分の体を動かす時間は後ろへ下がっていた。

今回は、体力を取り戻すというより、これ以上落とさないためにプールへ戻った話を書いておきたい。

車通勤になって、体を動かす時間が消えた

転職前の私は、自転車で通勤していた。

片道六キロほどの距離だった。雨の日や荷物が多い日は別として、普通の日は自転車で会社へ向かった。朝に体を動かし、夕方にまた同じ距離を帰る。それだけで、ある程度の運動になっていた。

当時は、それを運動だと強く意識していなかった。

ただ通勤しているだけだった。けれど今振り返ると、毎日の往復が体の土台を作っていたのだと思う。多少食べすぎても、仕事で座りっぱなしでも、自転車に乗る時間が自然に帳尻を合わせてくれていた。

転職して、通勤は車になった。

今の会社は車でなければ通いにくい場所にある。仕事の都合を考えても、車通勤は自然な選択だった。転職と同時に車を買い、生活の動線が変わった。

車通勤は便利だ。

雨の日も濡れない。荷物も積める。移動時間も自分の空間になる。疲れている日には、ありがたさを感じる。

ただ、体は動かなくなった。

朝は車に乗り、会社では机に向かい、帰りも車に乗る。家に着けば夕食を取り、少し片づけをして、ブログを書いたり調べものをしたりする。歩数は、意識しなければほとんど増えない。

通勤が変わると、体の使い方も変わる。

その当たり前のことを、私はしばらく見ないでいた。

以前は、週に二、三回泳いでいた

コロナ禍の前、私は週に二、三回プールに通っていた。

仕事帰りに寄り、少し泳いでから帰る。長い距離をきっちり泳ぐ日もあれば、軽く水に入るだけの日もあった。水の中にいると、肩や腰の力が抜ける。陸の上で歩くのとは違う感覚があった。

泳ぐのが特別に得意なわけではない。

タイムを測るわけでもない。大会に出るわけでもない。ただ、決まった時間に行き、着替え、プールに入り、何往復かする。それだけだった。

それでも、続いていた。

理由は、プールが自分に合っていたからだと思う。

走ると膝や腰が気になる。ジムで筋トレをするほど、自分を追い込む気持ちにもなれない。家で運動しようとしても、すぐ別のことを始めてしまう。私の場合、水に入るところまで行けば、あとは自然に体を動かせた。

プールでは、スマホも仕事のメールも見られない。

水の音と、自分の息だけになる。会社で考えていたことも、実家の気がかりも、泳いでいる間は少し遠くなる。体を動かす時間であると同時に、頭を静かにする時間でもあった。

その習慣が、いつの間にか途切れた。

一度行かなくなると、再開するまでの腰は重い。水着やゴーグルがどこにあるか探すところから始まる。どの時間帯が混むのか。そんな小さな手間が、再開を遠ざける。

ただ、再開にあたって、ありがたいことがひとつあった。

市民プールの回数券が、まだ手元に残っていたのだ。何年も前に二十五枚綴りを買い、数枚だけ使って行かなくなっていた。料金は当時から変わっておらず、有効期限もなかったので、そのまま使えた。

数枚しか減っていない回数券は、私がどれだけ長く離れていたかも教えてくれた。

運動習慣がなくなるのは、大きな理由があるときだけではない。

小さな中断が続き、気づくと暮らしから消えている。

健康診断の数字が、背中を押した

プールを再開しようと思った直接のきっかけは、健康診断の数字だった。

血圧は薬を飲んでいる。HbA1cも、治療の手前のところにいる。主治医からは、体重を五キロ落とすように言われている。どれも、今すぐ生活がひっくり返るような話ではない。

けれど、放っておいてよい話でもない。

若いころなら、少し気をつければ戻ると思えた。食べる量を減らし、数日動けば、体は応えてくれるような感覚があった。

今は違う。

少し食べすぎた分は、そのまま残る。運動不足の影響も、すぐには戻らない。草刈りに行った翌日は、体のあちこちが重い。孫を抱っこすればうれしいが、腕や腰にははっきり負担がくる。

健康診断の数字は、脅すものではないと思っている。

ただ、今の生活の癖を見せてくれる。車通勤で動かない。仕事では座る時間が長い。実家に行く日は一気に体を使う。平日は運動せず、週末だけ無理をする。

そういう暮らし方が、少しずつ数字に出ているのだと思う。

私は医師ではないので、運動だけで何かが解決すると言うつもりはない。薬も、検査も、必要な相談も続ける。そのうえで、体を動かす時間を暮らしに戻したいと思った。

大きな目標を立てると、たぶん続かない。

何キロやせる。何分泳ぐ。毎日必ず行く。そう決めると、できなかった日に嫌になる。だから今回は、目標を小さくした。

仕事帰りに寄れる日に行く。

泳げる距離だけ泳ぐ。

疲れている日は、水に入るだけでもよい。

それくらいの始め方にした。

仕事帰りに寄る形が、自分には合っている

市民プールの駐車場で車の荷室に置いた仕事鞄とプール用品

運動を続けるには、時間の置き場所が大事だと思う。

私の場合、休日に運動しようとすると、実家の用事や家のこととぶつかりやすい。草刈り、買い物、母の書類、通院の段取り。休日は自由に見えて、意外と予定が入りやすい。

朝に運動する方法もある。

歳をとって、自然と早起きになった。それなら朝に泳げばよさそうなものだが、プールは早朝には開いていない。早い施設で九時、多くの市の施設は十時からで、出勤前には間に合わない。

だから、仕事帰りにした。

施設選びも、車通勤に合わせて考え直した。昔は自転車で、近所のプールにそのまま通っていた。けれど今の生活圏とは場所が違うし、そうした施設の駐車場は有料のことが多い。車で寄れて、駐車場のある公共施設を改めて探した。

幸い、会社は郊外にある。

そのあたりの施設は、無料の駐車場を備えている。仕事帰りに車で寄るには、ちょうどよかった。家に帰ってからもう一度出るのではなく、帰宅の流れの中に入れる。これなら、まだ続けやすい。

いったん家に帰ると、私は座ってしまう。

夕食を取り、風呂に入り、パソコンを開く。そこから運動のために外へ出るのは、かなり気持ちがいる。仕事帰りなら、まだ体も外向きのままだ。着替えさえ持っていれば、そのままプールへ入れる。

再開してみると、最初は思ったより泳げなかった。

以前の感覚で泳ぎ始めると、息が上がる。肩も重い。水の中では体が軽いはずなのに、動かしていない時間の長さはごまかせなかった。

それでも、不思議と嫌ではなかった。

以前の自分と比べれば落ちている。けれど、今の自分がまた水に入っている。それだけで、少し戻ってきた感じがあった。

続けるためには、昔の自分を基準にしない方がいい。

今の体で、今できるところから始める。

そう考えると、距離や速さにこだわらなくて済む。

久しぶりのプールには、思い出すことが多かった

市民プールのロッカーで夏服とプール用品を準備する様子

久しぶりに通い始めると、忘れていた細かいことを次々に思い出した。

まず、水着が古びていた。以前のものは生地が薄くなり、色も抜けていた。水着は塩素で少しずつ傷む。長く置いていたものを引っ張り出しても、もう元には戻らない。一着、買い直した。

昔よく着ていたラッシュガードは、同じ型がもう作られていなかった。

売り場で似たものを探したが、品ぞろえはすっかり変わっていた。離れているあいだに、道具の側も静かに移り変わっていたのだと知った。

ロッカーは、相変わらず小さい。夏はよいが、冬は上着がかさばってうまく収まらない。脱いだものをたたみ直しながら、こういう小さな不便も込みでのプール通いだと思い出した。

プールには、プールの作法もある。

多くの施設では、一時間に一度ほど十分の休憩が入る。その間は水から上がって体を休める。慣れないころは中途半端に感じたが、年相応に泳ぐには、ちょうどよい区切りだと今は思う。

歩く向きを間違えて、注意されたこともある。

水中歩行のコースで、私は逆の方向に進んでしまっていた。長く通っているらしいお年寄りに、はっきりと正された。決まりを知らなかったのは私の方なので、素直に従った。久しぶりに来た側として、その場の作法を一から覚え直す気持ちになった。

子どものレッスンがある時間は、歩くコースが混み合う。

顔なじみらしいお年寄りどうしが、話しながらゆっくり歩いていることもある。前が詰まって思うように進めない日もあるが、公共のプールとはそういう場所なのだろう。泳ぎに来る人も、体を動かしに来る人も、おしゃべりを楽しみに来る人もいる。

そう考えると、進めないことも、あまり気にならなくなった。

プールは、体だけでなく頭も切り替えてくれる

静かな市民プールの水面とレーン

プールに行くと、仕事の続きから少し離れられる。

更衣室で着替え、シャワーを浴び、水に入る。そこで一度、会社員の時間が切れる。管理職としての判断も、メールの返信も、翌日の段取りも、しばらくは持ち込めない。

泳いでいる間は、考えごとをしようとしても続かない。

息を吸う。水をかく。足を動かす。壁まで行って戻る。体の動きに意識が向く。頭の中で堂々巡りしていたことが、少しほどける。

母のことを考えないわけではない。

実家の草も、相続の書類も、保険のことも、消えるわけではない。だが、泳いでいる間だけは、それらを正面から抱えなくて済む。終わって着替えるころには、少しだけ落ち着いている。

50代後半になって、体を動かす時間は、気合いで自分を鍛える時間ではなくなってきた。

むしろ、崩れないための調整に近い。

仕事を続ける。母を支える。実家のことを少しずつ進める。ブログを書く。そうしたことを続けるには、体だけでなく、頭の疲れも抜いていかないと持たない。

プールは、その切り替えに合っている。

汗をかいている感覚は薄いが、終わると体は使っている。水の中なので、膝や腰への負担も走るより少ないように感じる。ただし、無理をすれば肩や腰を痛めることもあるだろうから、そこは過信しない。

若いころのように、行けるだけ行く、泳げるだけ泳ぐ、というやり方はしない。

疲れている日は短くする。体調が悪い日は行かない。痛みがあればやめる。主治医に相談することがあれば聞く。

続けるためには、やりすぎないことも必要だと思う。

体力を取り戻すより、暮らしに運動を戻したい

プールを再開したからといって、急に体重が落ちるわけではない。

健康診断の数字がすぐ良くなるとも限らない。腰痛が消えるわけでもない。草刈りが楽になるとも言い切れない。

それでも、何もしないよりはいい。

今の私に必要なのは、特別な運動計画ではなく、暮らしの中に体を動かす場所を戻すことだと思っている。

若いころは、体力があることを前提にしていた。多少無理をしても、あとで戻ると思っていた。けれど今は、体力は放っておくと静かに落ちていくものだと感じる。

落ちた体力を一気に取り戻そうとすると、たぶん長続きしない。

だから、まずはプールに行く日を作る。

着替えを車に積んでおく。

行けた日は、短くてもよしとする。

行けなかった日を責めない。

これくらいのゆるさでいい。

母の老いを見ていると、できていたことが少しずつ重くなる過程が見える。私はまだ支える側にいるが、支える側の体も同じように年を取っている。

それを嘆くより、今のうちに小さく手を打つ。

プールへ行くことは、その一つだ。

仕事帰りに少し泳いで帰る。家に着いたら、いつもより少し体が軽い。よく眠れる日もある。翌朝の血圧や体重がすぐ変わらなくても、体に向き合ったという感覚は残る。

派手な健康管理ではない。

答えも、まだ出ていない。続けられるかどうかは、これからの自分にかかっている。ただ、また水に入るところまでは戻ってきた。プールに通う中で気づいたことは、これからも折にふれて書いていきたい。

今は、それで十分だと思っている。

定時のあとの時間を使って、少しずつ自分の体を動かす時間を積んでいく。

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