親の一人暮らし|義父と母、それぞれで違ったこと

親の老い

私の母は、実家の離れで一人暮らしをしている。

妻の父も、妻の母が亡くなってから実家で一人暮らしをしている。

どちらも高齢で、どちらも一人で暮らしている。そう書くと、同じ問題のように見える。だが、実際に近くで見ていると、まったく同じではない。年齢が近くても、体の状態、家の環境、近くにいる家族、連絡手段、本人の判断力によって、家族が感じる不安は大きく変わる。

二つの一人暮らしを見ながら、私は「親が一人で暮らしている」という言葉だけでは、何も分かったことにならないのだと感じるようになった。


同じ一人暮らしでも、中身は違う

母と妻の父は、ほぼ同年代だ。

どちらも配偶者と暮らしていた時期があり、今は一人で暮らしている。子ども世代が日常生活を気にかけ、何かあれば動く。表面だけ見れば、似た状況に見える。

だが、二つを並べてみると、違いのほうが目立つ。

母はがんの手術後、ストマを装着している。車は手放し、免許も返納した。公共交通機関がほぼない地域で、徒歩圏内に小さなスーパーが一軒あるだけだ。私は週に一度ほど実家に通い、買い物や様子確認をしている。

妻の父は、視力をほとんど失っている。目が見えないという点では、生活上の不安は大きい。だが、頭は鮮明で、会話も達者だ。慣れた家の中であれば、記憶を頼りに移動できる。家族も近くに住んでいる。

どちらが大変か、という話ではない。

困りごとの種類が違うのだ。

母の場合は、身体の回復後の生活、買い物、通院、連絡手段、実家の維持が重なっている。妻の父の場合は、視力の問題、安全確認、訪問者への対応、そして妻の母を亡くした後の生活の立て直しが大きい。

同じ「一人暮らし」という言葉の中に、これだけ違う現実が入っている。


距離の違いは、安心感を変える

一番大きい違いは、家族との距離だと思う。

私の実家は、車で一時間前後かかる。通えない距離ではない。だが、気軽に様子を見に行ける距離でもない。

電話がつながらないときがある。母がスマートフォンをマナーモードにしたまま戻し忘れ、固定電話にも出ない。家にいるのか、外にいるのか、体調を崩しているのか、電話口では判断できない。

そういうとき、私は車を出すかどうかを考える。

行けば往復で二時間以上かかる。買い物や用事を済ませれば半日は使う。仕事のあとなら、帰宅は遅くなる。休日なら、予定はそこに吸い込まれる。

一方、妻の父のほうは、家族が近くにいる。何かあれば駆けつけられる距離にいることは、それだけで大きい。

まず誰かが見に行ける。玄関の見守りカメラもある。誰が来たのか、不審な訪問者がいないか、あとから確認できる。目が見えない妻の父にとっても、家族にとっても、安心材料になっている。

家族の数にも違いがある。私のほうは子が一人。妻には妹たちがいる。長女である妻が家を出たあとも、妹たちは実家の近くに家を構えた。誰も家を継いではいないが、義父の暮らしの近くに、複数の家庭がある。

妹たちはまだ子育ての途中だ。義父のところへ通うのは負担もあるはずだが、仕事終わりや休みの日に顔を出しているようだ。自然と役割分担もできているように見える。私を含めて婿のほうは、声がかからない限り口を出さないようにしている。

妻の両親には、妻と妹たちだけでなく、それぞれの家族も長くお世話になってきた。だから、孫たちも義父を慕っていて、時間があれば顔を出していると聞く。

距離は、単なる移動時間ではない。

不安を確認に変えるまでの時間だ。

近ければすべて解決するわけではない。近くにいる家族にも、それぞれ仕事や家庭がある。毎日通えるから楽、という話ではない。

それでも、様子を見に行ける人が近くにいるかどうかは、一人暮らしの親を支えるうえで大きな差になる。


連絡手段の違いも大きい

母との連絡手段は、ほぼ音声通話だけだ。

メールもLINEも使えない。留守番電話も難しい。こちらが電話をかけ、つながれば話せる。つながらなければ、それ以上の確認手段がない。

スマートフォンにワンタッチボタンを設定しているので、母から電話をかけることはできる。だが、それ以上の使い方は難しい。写真を送る、文字で残す、体調を簡単に知らせる。そういうことは期待できない。

この薄さは、思った以上に家族側の判断を難しくする。

「今日は顔色が悪い」
「薬が足りない」
「冷蔵庫の中身が減っている」
「郵便物がたまっている」

こうした小さな変化は、現地に行かないと分からない。

妻の父の場合は、本人の視力に大きな制約がある。だからこそ、家族側が環境を整える必要がある。見守りカメラを玄関に設置したのも、その一つだ。

もちろん、カメラで家の中の生活すべてが分かるわけではない。むしろ、そこまで見る必要はないと思っている。家族であっても、本人の生活には境界がある。

それでも、玄関だけでも分かることはある。訪問者が来たか。長く誰も出入りしていないか。何か不自然な動きがないか。

情報が一つ増えるだけで、家族の不安は少し変わる。

母の実家にも、いずれ見守りの仕組みは必要になると思っている。だが、Wi-Fiもなく、母自身も機械に馴染みが薄い。設置すれば終わりではなく、その後の管理も考えなければならない。

一人暮らしを支えるには、本人の能力だけでなく、情報が家族に届く仕組みが必要なのだと感じている。


本人の判断力が残っていることの大きさ

妻の父を見ていて感じるのは、判断力が保たれていることの大きさだ。

目はほとんど見えない。生活上の不便は大きい。家族から見れば心配な場面もある。ガスコンロ、電子レンジ、熱い飲み物、段差。危ないと思うものはいくつもある。

それでも、会話はしっかりしている。状況の説明もできる。こちらの話も理解できる。自分の意思も言える。

これはとても大きい。

本人が何に困っているのかを言葉にできる。何を嫌がっているのかも分かる。家族が提案したことに対して、受け入れるかどうかを自分で判断できる。

母も、今のところ自分の意思ははっきりしている。

ただ、母の場合は、昔からお金や財産の話をしたがらない。保険や通帳、家のことになると、会話が進みにくいことがある。生活の困りごとは言えるようになってきたが、将来の整理や財産の話になると、まだ慎重になる。

ここにも違いがある。

体の状態だけでは、一人暮らしの難しさは測れない。本人がどこまで説明できるか。家族とどこまで話し合えるか。自分の暮らしをどこまで把握しているか。

その差が、子ども世代の動きやすさに直結する。

親を支えるというのは、ただ手を出すことではない。本人の意思を聞きながら、必要なところだけ支えることだと思う。

そのためには、本人が話せるうちに聞いておくことが多い。


家の形と地域の条件も違う

母の暮らす実家は、母屋、離れ、大工小屋がある。

母は今、離れで暮らしている。平屋で、動線が短く、風呂も使いやすい。一人暮らしには母屋より向いている。

ただ、敷地全体で見れば、管理するものは多い。母屋は空き家になっている。大工小屋には古い道具や農機具も残っている。小さな畑も点在している。墓や仏壇の問題もつながっている。

母の一人暮らしを支えることは、母の部屋だけを見ることでは終わらない。

周囲の草、母屋の換気、郵便物、保険、固定資産、墓、仏壇。少しずつ別の問題が顔を出す。

歩んできた道や住んでいる場所も、暮らしの形を変える。

妻の父の住まいは都心にある。徒歩圏内に店も多く、ヘルパーや配食サービスも届きやすい場所だ。

義父はもともと知識のある人で、義母を亡くして間もない頃から、自分でヘルパーを頼むことを決めていた。今は毎日、洗濯・掃除・買い物をお願いしている。昼食は宅配弁当を取っている。これは私の母と同じだ。

家族が踏み込む前に、本人が自分の生活を組み立て直していける。決められる範囲が本人に残っていることも、一人暮らしの形を変える条件になる。

妻の父の実家にも、後継の問題はある。妻のきょうだいは誰も実家を継いでいない。墓や仏壇のことも、いずれ考えなければならない。

ただ、今の段階で家族が向き合っている中心は、妻の父の日々の生活だ。目が見えない状態で安全に暮らせるか。訪問者に対応できるか。妻の母がいなくなった後の生活をどう支えるか。

私の母の問題は、生活支援と実家整理が同時に進んでいる。

妻の父の問題は、生活支援と妻の実家の今後が、少し時間差を持って迫っている。

どちらも先送りにはできない。ただ、今すぐ手をつける場所は同じではない。

そこを見誤ると、必要以上に焦ったり、逆に本当に必要な準備を後回しにしたりする。


比べることで見えてきたこと

母と妻の父を比べることに、最初は少し抵抗があった。

人を比べるようで、よくない気がしたからだ。

だが、最近は少し考え方が変わってきた。優劣をつけるためではなく、条件を整理するために比べることは必要だと思うようになった。

一人暮らしの親を見るとき、私は次のような点を確認するようになった。

近くに行ける家族はいるか。
本人は電話以外の連絡手段を使えるか。
判断力は保たれているか。
家の中で危ない場所はどこか。
買い物や通院はどうしているか。
家そのものの管理は誰がするのか。
墓や仏壇、空き家の問題は後ろに控えていないか。

こうして並べてみると、「親が一人で暮らしている」という言葉の中に、いくつもの層があることが分かる。

同じような状況のご家庭は少なくないのではないかと思う。

親はまだ元気に見える。本人も「大丈夫」と言う。子ども世代も、仕事や自分の家庭がある。だから、緊急ではない問題は後回しになりやすい。

だが、一人暮らしの親の問題は、ある日突然一つだけ起きるのではない。

体のこと。
家のこと。
お金のこと。
連絡のこと。
地域との関係。
配偶者を亡くした後の気持ち。

それらが重なって、少しずつ形を変えていく。

母の一人暮らしも、妻の父の一人暮らしも、まだ答えは出ていない。これから状況は変わる。今できていることが、来年も同じようにできるとは限らない。

だからこそ、比べながら、記録しながら、準備しておきたい。

どちらか一方だけを見ていると気づけないことがある。二つの家を見ているからこそ、条件の違いと、共通する不安が見えてくる。

派手な解決策はない。

それぞれの家に合った支え方を、家族で少しずつ探していくのだと思う。

定時のあとの時間を使って、少しずつ考えていく。

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