定年まで、あと数年になった。
数字としては前から知っていた。それが実感に変わったのは、ここ最近のことだ。何かを成し遂げたい年齢でもなく、慌てて何かを始める歳でもない。ただ、残された時間の使い方を、少し丁寧に考えるようになった。
いつの間にか、古株になっていた

転職してから何年か経つ。
同じ時期、あるいはその後に入ってきた中途採用の人間が十人以上いた。気がつくと、半分以上が辞めていた。理由は人それぞれだろうから、私の口から語ることではない。ただ、結果として私は、転職組の中で古い方に入る立場になっていた。
外から来た人間が長く居着く会社と、そうでない会社がある。前者か後者か、入ってみないとわからないところがある。たとえ事前に調べても、文化というのは外からは見えにくい。古い会社ほど、その会社にしかない流儀がある。良し悪しではなく、ただ「そうなっている」というだけのことだ。
私が辞めずに残ったのは、特別な理由があるわけではない。前職が同業だったので、似たような場面を以前にも見ていたからだ。前職でも、この時期はこうだった、こういう人がああして、結果こうなった。記憶があるから、目の前の出来事に過剰に反応しなくて済んだ。
それが幸運なのか、惰性なのかは、自分でもわからない。
長くいると、会社のことを何でも知っているような気持ちになる。けれど実際には、知らないことのほうが多い。変わった制度もあれば、新しい設備もある。若い人のほうが詳しい分野もいくらでもある。
それでも、長くいる人にしか見えないものはある。以前に似た問題が起きたこと、どこで話が止まりやすいか、誰に相談すれば早いか。記録に残っていない経緯や、過去にうまくいかなかった理由もそうだ。
そうした記憶は、知識として誇るものではなく、判断の材料として渡すものなのだと思うようになった。自分が正しいと証明するために使うのではなく、次の人が余計な遠回りをしないために使う。古株になった自分にできることは、案外その程度なのかもしれない。
期待されなくなる、ということ
定年まで10年を切ったあたりから、肌で感じることがある。
会社から見たときの、自分の位置がゆっくり変わっていく感覚だ。期待がなくなるわけではない。ただ、注がれる視線の量が減っていく。組織は、ある時期から次の世代に光を当てるようにできている。それは仕方のないことで、自分も若い頃に同じことを上の世代に対してしてきたのだと思う。
頭ではよくわかっている。
ただ、わかっていることと、寂しくないことは別の話だった。
過去の実績は、転職先では換算されない。長年の経験で得た判断が通らないこともある。「この会社にどれだけ貢献したか」という別の物差しで測られるからだ。当然のことだと頭では理解している。それでも、自分のなかで折り合いをつけるのに、少し時間がかかった。
私の側にも、愛社精神と呼べるほどのものはない。それはおそらく、お互い様なのだろうと思っている。距離をとった関係のまま、定年までを過ごすことになる。それでいい、と最近は思えるようになってきた。
感情を、仕事に持ち込まなくなった
若い頃は、違うと思えばそう言った。
正しいと感じれば、簡単には引かなかった。理不尽が許せないという気持ちが、自分の性格の根のところにあった。今でも本質は変わっていないのだろうとは思う。
ただ、表に出さなくなった。
過去には、感情のままに動いて人間関係をこじらせたことが何度かある。自分の評価を下げたこともあった。それでも自分のスタイルだと信じてやってきたのだが、ある時期から、何かが少しずつ変わっていった。流せるものは流す。引けるところは引く。諦めることも、選択肢に入れる。
これを「大人になった」と呼ぶのか、「角が取れた」と呼ぶのか、自分でも判定がつかない。早くこの感覚を持てていたら、別の道もあったかもしれない、と思うことはある。出世のことではなく、もっと穏やかに通り過ぎられた場面が、いくつかあったのではないかという話だ。
今さら悔やんでも仕方がない。気づいたのが今だっただけのことだ。
感情を抑えられるようになった一方で、何でも我慢すればいいとも思っていない。危険なことや、誰かに大きな負担を押しつけることまで、黙って流す必要はない。以前と違うのは、反応する前に、これは本当に今ここで言うべきことかを一度考えられるようになったことだ。
口に出すことをやめたのではなく、出し方とタイミングを選ぶようになった。自分の正しさを通すことより、問題が前に進むことを優先する場面が増えた。その変化は、若い頃の自分から見れば、諦めに見えたかもしれない。
けれど、定年までの残り時間を考えると、すべての場面で自分が勝つ必要はない。仕事を続けながら、関係を壊さず、次の人へ渡せるものを残す。そのほうが、今の自分には大切な仕事に思える。
後継者を育てる、ということ

私の職場では、管理職の役割のひとつに、後継者を育てるという項目がある。
定年が近づくほど、その比重は大きくなる。技術的な知識は、ある程度は渡せる。長く続けてきた仕事の蓄積は、文書化したり、手順を見せたりすることで、形に残せる部分がある。
難しいのは、姿勢の方だ。
仕事に向き合う構え、判断の癖、引き際の見極め。こうしたものは言葉で渡せない。日々の動きを見せ続けるしかない。そして、見ている側がそれを受け取るかどうかは、こちらの管轄外だ。
種を蒔いて、芽が出るかどうかは見えないまま会社を去る。それが管理職の仕事の正体なのだと、最近思うようになった。
伝えるときに難しいのは、自分のやり方をそのまま正解として渡してしまうことだ。自分が長く働いてきた環境で役に立った方法が、今の状況でも同じように通用するとは限らない。
だから、手順だけでなく、なぜその確認が必要なのか、どこで判断を変えるのかを話すようにしている。ただし、最後に選ぶのは相手だ。自分の経験を渡すことと、相手のやり方を決めることは別である。
うまく伝わらない日もある。説明したつもりでも、相手にとって必要な順番ではなかったり、こちらが大事だと思った部分が残らなかったりする。それでも、何度か話し、実際の仕事を一緒に見て、必要なら記録に戻る。引き継ぎは、一度の説明で完了する作業ではないのだと思う。
自分がいなくなったあとに、後継者が自分と同じ考え方をする必要はない。違うやり方で仕事が続くなら、それは失敗ではない。むしろ、誰かが自分の手を離れて判断できるようになることが、引き継ぎの終わりなのかもしれない。
会社に残るものと、自分に残るもの
仕事をしている間は、成果や資料や手順が会社に残る。それらは組織の財産になるが、定年を迎えたあとも自分のものとして持っていけるわけではない。会社の情報には守るべきものがあり、過去の資料をそのまま外へ持ち出すこともできない。
そう考えると、定年までに残すものを、会社に置いていくものと自分のなかに残るものに分けて考えたほうがよさそうだ。会社に置いていくのは、整理された手順、判断の経緯、次の人が使える記録。自分のなかに残るのは、問題を見つける視点、失敗したときの立て直し方、人と調整するときの距離感だ。
後者は、職場を離れても使える。ただし、会社の機密や個人情報を持ち出すという意味ではない。自分の経験を一般化しすぎず、守秘義務や相手の立場に配慮しながら、自分の言葉で振り返るという意味だ。
ブログを書いていると、仕事で起きたことをそのまま書けない場面が多い。だからこそ、固有名詞や具体的な数字から離れ、何に悩み、どう考え、どこで気持ちが変わったのかを整理する。その作業は、定年後にも持っていける自分の習慣になっている。
「残す」より「続ける」を選ぶ
定年後、何が残るのかと考え始めて、ひとつの感覚にたどり着いた。
「残す」ことは、自分の手を離れたところで判定される。誰かが憶えていてくれるか、何かが受け継がれるかは、自分では決められない。
それより、「続ける」ことのほうが、自分には向いている気がする。
仕事の場では、誠実に向き合うことを続ける。後継者に対しては、伝わるかどうかは脇に置いて、自分が信じている動き方を続ける。会社の外では、書くことを続ける。読む人がいてもいなくても、書いた時間だけは確かに自分のなかに積まれる。
英会話も同じだ。仕事に必要だから始めたものだが、定年後にどこまで使うかはまだわからない。それでも、仕事以外の場所で人と話すための練習にはなる。会社の肩書きがなくても続けられるものを、今のうちから一つでも持っておくことは、思っていた以上に大きい。
「定年後に何をするか」を決めるより先に、「今の生活のなかで何なら続けられるか」を試している。続けられるものが見つかれば、結果が小さくても、自分の時間が会社だけでできているわけではないと実感できる。
派手なことではない。続けたところで何が起きるかも、わからない。ただ、続けるという行為そのものが、結果よりも先に、自分を支える気がしている。
今のところ、それが定年までの残り数年に対する、私なりの答えだ。
定時のあとの時間を使って、少しずつ積んでいく。

