数年前から、部下が出す休みの届を承認する立場になった。
自分が出す側だったころ、理由を書く欄は空欄でも構わないと思っていた。受ける側になった今も、その考えは変わっていない。
ただ、管理する側としては、部下の事情をある程度は把握しておく必要がある。誰がいつ、どのくらい職場を離れるのかが見えなければ、その日の仕事の置き場所を決められないからだ。
空欄でいいと思いながら、何も分からないままでは動けない。矛盾しているようだが、この二つは別のことを指していた。
私が必要としていたのは、休む理由の中身ではない。いつからいつまでいないのか、という不在の幅のほうだった。
昔は、問われれば答えていた
自分が届を出す側だったころ、理由を尋ねられれば答えていた。
周りの多くもそうだったと思う。聞かれたら言う。言えば話は終わる。そういうものだと受け取っていて、抵抗を感じた記憶がない。
ただ、それは私が答えやすい事情しか持っていなかっただけかもしれない。答えにくい事情を抱えた人が、あのころ黙っていられたかというと、それも分からない。
今は違う。「それは答えなければいけませんか」と返ってくることがある。少なくない、と言っていい。
これを困ったことだとは思っていない。以前から心の中にはあった問いが、言葉になって出てくるようになっただけである。
定時に上がることを恥だと思っていたころを振り返っても、そのときにはその時代の論理があった。良し悪しを言うつもりはない。
それでも、受ける側に回った私は、そこで一度立ち止まることになった。自分が答えていたからといって、同じ答えを人へ求める理由にはならない。
届を受けて読んでいるのは、日付と時間だった

休みの届が回ってくると、理由の欄には短い言葉が並んでいる。
「私用」「家事都合」。書く側にとって、あの欄は「これ以上は説明しない」という線を引く場所になる。隠しているのではなく、書かなくても手続きが進むなら、それで足りるという判断である。
受ける側から同じ欄を見ると、読んでいるところが違う。その人が明日いないという事実と、いない間に誰かの手元で止まる仕事のほうを見ている。
だから、理由の欄に何が書いてあっても、次に目が行くのは日付と時間の欄になる。
その日の仕事を動かすとき、私が必要としている情報は決まっている。
- その日、誰がいないのか
- 半日で戻るのか、一日を通していないのか
- 次に出てこられる日が立っているか
- こちらの返事を待つ仕事が残っていないか
- 代われる相手が決まっているか
この五つが埋まれば、置き場所は決められる。
逆に、親の病名や家庭の込み入った事情を詳しく聞いたところで、この五つは一つも埋まらない。事情を知っても、止まった仕事は動かないのである。
制度の側でどうなっているかは、理由欄に親の用事をどこまで書くかを書いたときに厚生労働省の説明で確かめた。年次有給休暇を何のために取るかは労働者の自由とされており、その目的を材料に取得を拒むことはできない。
答えはそこで出ている。ここで書きたいのは制度ではなく、それでも毎回同じところで起きる、小さなやり取りのほうである。
聞き方ひとつで、相手を追い込むことがある

受ける側になって、いちばん気を使うのはここだ。
仕事と私生活の境目は、人によって違う。同じ一言が、ある人には世間話になり、ある人には踏み込みになる。
家族のかたちも、家のことにどれだけ時間を使うかの考え方も、一人ずつ違う。世代が違えば違うし、同じ世代でも違う。性別や、育ってきた環境によっても変わる。属性でひとくくりにできるものではない、というのが今の実感である。
だから、事情を尋ねる一言は、思っているより重い。悪気なく聞いたことが、相手を追い込む形になることもある。
管理する側が気を使う場面は増えた。それを面倒だとは思わない。相手が一人ずつ違うのだから、必要な手間だと考えている。
そのうえで私が決めているのは、答えなくても済む聞き方をすることだ。答えを引き出す言い方をしなくても、仕事を動かすのに必要なものは受け取れる。
それでも聞きたくなるのは、先が見えないときだ
では、把握しておきたい気持ちは何なのか。
私の場合、それが強くなるのは決まった場面である。休みが急に決まったとき、同じ時期に何人か重なったとき、そして、その休みがこの先も続きそうに見えたときだ。
このとき頭にあるのは、実は理由の中身ではない。今回だけで終わるのか、しばらく続くのかという見通しである。
一度きりの休みなら、その日の仕事を動かせば済む。続くのであれば、仕事の持ち方そのものを変えたほうがいい。誰か一人の手元にしか無い仕事を減らし、期限の置き方を変える必要が出てくる。
つまり、聞きたくなっているのは期間であって、事情ではない。どちらも「理由を教えてほしい」という一つの言葉になって出てくるので、聞かれた側には同じものに見える。
母が急に入院した日のことを思い出すと、休む側にも見通しなどなかった。親が急に入院した日に仕事をどう休んだかを振り返っても、その日の私が言えたのは、今日は行けないということだけである。翌日どうなるかは、自分でも分からなかった。
見通しを聞くのはよいが、まだ無いものを求めても出てこない。分かった時点で更新する、という形にするしかない。
それに、続くかどうかへの備えは、本人へ尋ねなくても始められる。一人の手元にしか無い仕事を減らす。期限を少しずらせる形にしておく。誰かの家庭の事情が分かってから動かすより、先にそちらを整えておくほうが早い。
質問の形が、返ってくる答えを決めている
同じことを知りたい場面でも、聞き方を変えると、返ってくる答えの種類が変わる。
| 聞き方 | 返ってくるもの | 割り振りに使えるか |
|---|---|---|
| 何の用事か | 家族の事情、病気の話 | 使えない |
| いつ戻れそうか | 日付、時間、見込み | 使える |
| しばらく続きそうか | 今後の見通し | 使える |
「何の用事か」と尋ねれば、答える側は事情を話すしかない。話したくない人にとっては、そこで一度身構えることになる。
「いつ戻れそうか」であれば、答えは日付と時間で返ってくる。私が必要としていたのは、最初からそちらだった。
私が周りへ理由欄の話をするときは、「差し支えなければ書いてください」と、お願いの形で伝えている。命令にしてしまうと、書かない道が閉じてしまう。書くかどうかは、その人の手元に置いておきたい。
短く書かれた理由から、勝手に事情を決めつけないことも同じである。「私用」の二文字の後ろに、何もないとは限らない。自分が休む日を周りがどう受け取るかを考えていたころを思えば、何も足さずに出したい日があるのは分かる。
書く側は、理由を削る代わりに不在の幅を渡せる

ここまでは受ける側の話だが、届を出す側にも使えることがある。
理由を詳しく書きたくないなら、書かない代わりに不在の幅を自分から渡すという手がある。
「私用」とだけ書いて、あとは聞かれるのを待つ。この形だと、相手には日付以外の手がかりがない。だから追加で聞かれ、聞かれた側は「そこまで説明しないといけないのか」と感じることになる。
同じ「私用」でも、終日いないこと、翌朝には戻ること、急ぎの件は誰に渡してあることが分かっていれば、聞く理由はほとんど残らない。
家族の事情は一文字も増えていないのに、相手が必要としていた情報は揃っている。
私自身は母の用事のとき、用事の種類までは書いている。ただ、これが正しい形だとは思っていない。どこまで職場へ渡すかは、人それぞれでいい。同じ数時間の不在でも、時間単位の有給と介護休暇のどちらを使うかは、終わりの時刻が読めるかどうかで分けている。
減らすべきは、家族の情報のほうである。渡すべきは、仕事が止まる時間のほうだ。この二つを入れ替えるだけで、往復は減らせる。
渡す場所は、届の中でなくてもいい。前日のうちに口で伝えてもいいし、共有している予定表へ時間だけ残しておいてもいい。事情の中身を足さずに、いない時間だけを見えるようにする方法はいくつもある。
ただし、申請の様式も、その扱い方も勤め先によって違う。何を書くよう求められているのかは就業規則で確かめ、迷うところがあれば担当の窓口へ聞きたい。自分の工夫で省けるのは、規則が求めていない部分だけである。
把握するのが親切だ、と考える人もいる
やっかいなのは、自分が聞かないと決めても、それで終わらないことだ。
上の世代には、事情を把握しておくことこそ管理だと考える人がいる。誰が何を抱えているかを知っていれば、手当てができる。本人のためにもなる。そういう考え方である。
悪意から出ているわけではない。実際、それで回っていた時期があったのだと思う。私自身、問われれば答えていた側なのだから、その世界を知らないわけではない。
ただ、今は事情を聞かれたくない人が確かにいる。知っておけば助けられる、という前提そのものが揺れている。
だから私は、時代が違いますよ、とやんわり伝えるようにしている。強く反論はしない。長く信じてきた考え方が、一度の説明で入れ替わるとは思えないからだ。
すぐには通じなかった。それでも言い続けているうちに、少し変わった気はする。聞かなくてもよい、という前提が以前より通るようになった。
私が下から見ていたころは、上の人は変わらないものだと思っていた。変わらないのではなく、時間がかかるだけだったのかもしれない。
理由は聞かない、と自分の側で決めておく
届を出す側と受ける側は、固定された二人ではない。
同じ人が、ある日は自分の休みを申請し、別の日は誰かの不在を前提に仕事を動かしている。私も両方をしている。
やっかいなのは、この二つで求めるものが逆になることだ。自分が書くときは、できるだけ短く済ませたい。人の届を見るときは、もう少し分かるといいのにと思う。同じ人間の中で、都合よく入れ替わる。
その入れ替わりを、その場の気分で行き来させないために、自分の側で決めておくことにした。
私は、休む理由を聞かない。代わりに、いつ戻れそうかを聞く。それで足りなければ、しばらく続きそうかを聞く。事情は、本人が話したいときに話せばいい。
自分が出す側になった日も、同じ順番で考える。理由を足す前に、不在の幅を先に渡す。
「私用」の二文字を読み解こうとするのをやめたら、聞くことは一つで足りるようになった。

