母は麺類が好きだ。
実家の台所には、小さなカップ麺がいつも置いてある。うどんも焼きそばも、普通のカップヌードルも、種類を問わずに食べる。
最近、そこに冷凍の麺が加わった。スープと麺が一緒に凍ったもので、私が教えたものだ。母は、それを気に入ったようだ。
電子レンジで温めるだけで、火を使わない。一人で暮らす親の食事として、よくできた道具だと思う。ただ、使ううちに一つ気づいたことがある。電気が止まった日には、この便利さがそのまま止まる。
昼は配食、夜は小さなカップ麺
母の食事は、時間帯ごとに支え方が違う。
昼は、配食サービスの弁当が毎日届く。朝はパンを食べているようだ。私が実家にいたころの朝は、基本的に米だった。パンもときどき食べていた気はするが、今とは逆である。
夜は、母が自分で用意する。ただ、台所に立つのが好きな母も、夜に一から作る日は前より少なくなった。
その夜の食卓によく出てくるのが、小さなカップ麺だ。母にとって、これは主食というより汁物に近い。味噌汁の代わりで、汁物がないと食卓が寂しいのだという。焼きそばのほうは、おかずの扱いになるらしい。
一緒に買い物をしていて気づいたが、小さなカップ麺は、普通の大きさのものより値段が高いことが多い。それでも母は小さいほうを選ぶ。残すのが嫌なのだ。その気持ちは何となく分かる。差もわずかなので、私はそれでよしとしている。
夜にも配食を広げる前に、冷凍の弁当を少しずつ試しておく、という考え方もある。在宅で続ける介護のお金を整理したときにも、毎日の契約の手前に置ける予備として考えた。母の夜の食卓では、その役を冷凍の麺が担い始めている。
冷凍の麺をすすめたら、次の買い物で名前を聞かれた

母は、新しい物に自分から手を出すほうではない。その母が、スープと一緒に凍った麺は気に入ったらしい。別の日の買い物のとき、この前のはどれだったかと、母のほうから聞いてきた。
続けて、冷凍のパスタも教えた。これも気に入ったようだ。
最近の冷凍食品は、確かによくできている。冷凍の麺は具までおいしく、野菜も入っている。一人暮らし向けに小分けにした品もある。種類が多く、母が食べたことのない味もあって、それが楽しいらしい。
冷凍食品といえば、私の中では弁当のおかずのイメージだった。今の売り場には、宅食向けや年配の人向けの品も並んでいる。体調に気を配る人にとっても、使える幅が広がっていると感じる。
母と外食に出かけると、母が選ぶ一品はほとんど変わらない。その母が、家では食べたことのない冷凍の味を一つずつ試している。新しいことには消極的な母でも、食べる物に関しては、試してみる気持ちが残っているのだと分かった。
覚えた商品は、今では買い物を頼んでいるヘルパーに買ってきてもらっているようだ。私が教えた一品が、私のいない日の買い物にも入るようになった。自分で作る手間と、この仕上がりを比べれば、一度覚えた味でいいと思うのだろう。
配食の弁当は、献立を届ける側が決める。冷凍の麺は違う。売り場で母が選び、名前を覚えて人に頼み、自分で温めて食べる。台所に立つ回数は減っても、何を食べるかを自分で決める部分は、まだ母の手に残っている。冷凍食品を手抜きと見るより、その部分を支える道具と見るほうが、今の母の暮らしには合っていると思う。
電子レンジなら、火を使わずに済む

冷凍の麺には、味のほかにもよいところがある。
電子レンジで温めるだけなので、火を使わずに済む。母は以前、ガスコンロで調理中に袖へ火が移り、右手に大きな火傷を負った。その経緯を思うと、火を使わずに一食が済むのは安全だと感じる。
ただ、電子レンジにも火傷の心配は残る。私が気にしているのは、温めすぎだ。熱くなりすぎたスープを取り出すときにこぼせば、そのまま火傷になる。
湯を注ぐカップ麺と、スープの入った冷凍の麺。母の場合、安全の面ではどちらも大きな違いはないと考えている。どちらを選んでも、熱いものを扱うことに変わりはないからだ。
国民生活センターは、2026年3月に電子レンジの事故について注意を呼びかけた。最初に挙げているのは、パッケージに書かれた加熱時間の目安を参考に、加熱しすぎないことである。温めすぎを防ぐいちばん簡単な方法は、袋に書かれた時間を守ることなのだと思う。
目の見えない義父も、電子レンジで食べている

電子レンジを頼りにしているのは、母だけではない。
妻の父は目がほとんど見えないが、一人で暮らし、電子レンジを使って食事をしている。コンビニのチルド弁当もよく使う。義父も麺類が好きで、特にうどんが好物だ。カレーうどんをよく買っているという。最近話したときには、今の冷凍食品は便利でおいしいと、義父のほうから熱心に語っていた。
義父の場合、湯を使う物は事情が違う。湯を沸かし、容器に適量を注ぐ。目が見えないと、この工程が難しく、危ないと私は考えている。母なら差のない二つが、義父にとっては大きく違う。最初からスープの入った物を温めるだけなら、湯を扱う工程そのものがなくなる。
もちろん、義父が一人で全部をこなしているわけではない。分かりやすい食品を選び、温めるだけの状態にしておくのは、妻と妻の二人の妹である。賞味期限も、義父には見えない。その点にも気をつけて用意しているようだ。
目で確かめられない物を口にするのは、勇気のいることだと思う。温まり具合も、中身も、日付も見えない。それでも食べられるのは、準備する側と食べる側の間に、決まった手順ができているからだろう。
義父が携帯電話のボタンに目印を付けて使っているのと、どこか似ている。道具そのものより、道具を使える形に整える段取りのほうが、暮らしを支えている。
母と義父では、同じ電子レンジでも、本人が受け持つ範囲が違う。母は自分で選んで覚え、ヘルパーに頼むところまで自分でできる。義父の場合は、選ぶところと確かめるところを家族が受け持ち、温めて食べるところを本人が受け持つ。どこまでを本人が決め、どこから家族が整えるか。冷凍食品を親の食事に入れるときに考えるのは、商品の良し悪しより、その線の引き方なのかもしれない。
電気が止まると、冷凍庫の中身は食べられなくなる
冷凍食品は便利で、助かっている。ただ、その便利さは電気があってのものだ。
災害で停電すれば、冷凍庫も電子レンジも止まる。凍った麺は溶けていくだけで、温める手段もなくなる。母の夜の一食は、電気が来ている前提の上に乗っていた。そのことに、しばらく気づかなかった。
非常用の水は用意した。足りないのは、電気を使わずに食べられる物と、温める手段だ。カップ麺とパックご飯、それにカセットコンロを用意しておこうと思っている。パックご飯の多くは湯せんでも温められるので、コンロがあれば電子レンジなしで食べられる。
農林水産省の災害時に備えた食品ストックガイドには、普段食べている物を少し多めに置き、食べたら買い足していく「ローリングストック」の考え方が紹介されている。熱源を確保しておくことも、同じガイドで勧められている。
母の場合、小さなカップ麺はすでに毎晩の汁物として食卓に入っている。いつもの棚に少し多めに置いておけば、それがそのまま備えになる。
一方で、カセットコンロは火を使う道具である。火傷の経験がある母に、停電の日だけ火を使ってもらうことになる。置くのであれば、置き場所と使い方を、母と一緒に確かめておく必要がある。
冷凍庫の横に、電気が止まっても食べられる棚を一つ
冷凍の麺は、母の夜の食事を少し豊かにした。火を使わずに済み、好きな麺類で、知らない味を試す楽しみもある。
親に冷凍食品をすすめるなら、好きな物の中から、温めるだけで済むものを一つ選んでみる。本人がその名前を覚えて、また買おうとするなら、それはもう暮らしの道具になっている。
ただ、電気に頼る道具は、電気が止まった日に一緒に止まる。冷凍庫を頼りにするなら、その横に、電気が止まっても食べられる物の棚を一つ置いておきたい。母の好きな小さなカップ麺を、いつもより少し多めに並べるところから始めようと思う。

