母の通院に付き添った帰り、昼をどうするかを考える日が増えた。
病院を出る時刻が、ちょうど昼どきに重なる。そのまま実家へ送って帰ることもできるが、母に何が食べたいかを聞くと、たいてい決まった店の名前が出てくる。毎回違う店を試したいわけではないらしい。
その店で母が頼むものが、この何年かで変わった。量が減った。ただ、選ぶものは変わっていない。
ここでは、母との外食で気づいたことを書く。食欲が落ちたときにどうするかという話ではなく、食べる量が減っても、外食を楽しみにする気持ちがどう残っているのかという話だ。
病院の帰りに、昼をどうするかを考えるようになった
母の体調は落ち着いていて、病院へ行く目的も定期の検査が中心になった。付き添う回数そのものが、この数年で減ってきた。
付き添う日は一日休みを取る。検査の日は終わりの時刻が読めないので、半日では組まないことにしている。結果として、病院を出たあとに時間が余る日がある。
以前は、その時間をどう使うかを考えていなかった。母を実家へ送り、様子を見て、それで終わりだった。
今は、昼どきに重なったら食べて帰る。私の側の理由もある。食べられるうちは、食べてもらいたい。 それだけだ。
母は車を手放しているので、自分で店へ行くことはできない。誰かが乗せて行かなければ、外食という選択肢は最初から無い。私が付き添う日は、母にとって数少ない外食できる日でもある。
母は毎回、同じことを言う
何が食べたいかを聞くと、母は昔からある町の中華料理店の名前を出す。専門店でも新しい店でもない。
その店に入ると、母は決まって「お父さんとよく来た」と言う。毎回だ。品書きを開く前に出てくることもある。
父が元気だった頃、父と母はその店へ通っていた。父が実家の敷地にある作業場で、大工の仕事をしていた時期だ。
だから、母がその店を選ぶ理由を、私は推し量らなくていい。本人が毎回、口に出している。料理が好きで、父と来た店だから行きたい。 それ以上に分解する必要のない話だった。
同じ話を何度も聞くことになる。それが苦になったことはない。むしろ、その一言が出るのを待っているところがある。私が母を乗せてその店へ向かうのは、天津飯を食べさせるためだけではない。
父が中華屋を選んでいたのには、理由があった

私も、その店を知っている。母から聞いた話としてではなく、自分の足で行った店だ。
学生の頃、父の仕事を手伝っていた時期がある。子どもの頃から現場へ連れて行かれて、できることをやらされていたので、その延長のようなものだった。
父は昼に弁当を持って行くこともあった。ただ、私が手伝う日は外で食べることが多かった。気を使っていたのだと思う。
選ぶ店は、たいてい中華だった。味が濃くて、量の多い店。 力仕事のあとに食べるものとして、父の中では決まっていたのだと思う。
現場は方々にあったので、行く店も地域ごとに違った。どの町にも一軒はそういう中華屋があって、昼どきは作業着の客で埋まっていた。店の名前は、ほとんど覚えていない。
覚えているのは、あの時間のほうだ。午前の作業で体が重くなったところで座り、出てきたものを黙って食べる。一日のうちで、いちばん息がつけるのがあそこだった。 父にとってもそうだったのだと思う。
母を連れて行く町中華も、その延長にある。父が母を連れて行ったのも、たぶん同じ理由だ。
セットが単品になり、単品も残すようになった

母がその店で頼むものは決まっている。天津飯だ。
以前は、中華そばと天津飯のセットを頼んでいた。今は天津飯だけを頼み、食べられるところまで食べる。
うどんとそばの店でも同じことが起きた。以前は何品か付いた御膳を頼んでいたが、今は一番好きなえびおろしそばを単品で頼む。その単品さえ、残すことがある。
体調が悪いわけではない。検査の結果も落ち着いている。一度に食べられる量が、年々少しずつ減っているというだけのことだ。
残したからといって、私は何も言わない。もったいないとも、行儀が悪いとも思わない。頼んだものを全部食べることと、外食を楽しむことは、別のことだ。
ただ、これが続くようなら見方は変わる。体重や飲み込みに変化が出ているなら、それは外食の話ではなくなる。そのときに何を見て、どこへ相談するかは親の食欲が落ちたとき何を見るかのほうに書いた。今の母は、そこに当てはまらない。
父が選んでいたのは、量の多い店だった。その同じ店で、母は今、一品だけを頼んで、食べられるところまで食べている。店は変わっていない。変わったのは、こちら側だ。
減ったのは量で、好きなものは変わっていない。セットが単品になっても、母が選ぶのは天津飯とえびおろしそばのままだ。減らすときに何を残すかで、その人が本当に好きなものが分かる。
店は一度閉まって、違う時間で戻ってきた

その店は、一時期、閉まっていた。
事情は知らない。家族でやっている店のようなので、これまでどおりに続けられない何かがあったのだと思う。詳しいことを聞ける間柄でもないので、私が知っているのはそこまでだ。
しばらくして、店は再開した。ただ、営業の時間が以前とは変わった。今は平日の昼だけになっている。
それでも、戻ってきてくれたことのほうがありがたい。 私にとっても好きな店だ。そのまま無くなっていてもおかしくなかったのだから、時間が変わったくらいのことを惜しがるのは筋が違う。
とはいえ、こちらの都合とは別の話でもある。母がその店へ行けるのは、私が平日に休みを取って付き添う日だけになった。
これは困ったことのようでいて、実はつながっている。通院の日は平日だ。 病院の帰りに、その店は開いている。母が行きたがる店と、母を乗せて行ける日が、たまたま重なった。
一方で、週末に母と出かけることもある。買い物に付き合う日だ。買い物の付き添いは、品物を運ぶだけの用事ではなくなっている。その日は、あの店は開いていない。
だから週末は別の店になる。うどんの店が多い。母がそこを選ぶこともあるし、私がそのつもりで運転していることもある。
行ける曜日が違うから、行ける店も違う。同じ母を連れて行っているのに、平日と週末では食べているものが違う。 当たり前のことだが、気づくまで意識していなかった。
もう一つ、気づいたことがある。母が何を食べられるかは、私がいつ休めるかで決まっている。
平日に休みを取れる日があれば、母は父と通った店の天津飯を食べられる。取れなければ、店が開いていても行けない。私の仕事の都合が、母の外食の中身を決めている。
そう書くと重たく聞こえるが、実際はそこまでの話でもない。外食は年に何度かのことで、母の毎日が私の予定表に握られているわけではない。それでも、支える側の予定が、そのまま支えられる側の選択肢の幅になるという形は、外食に限らないのだろうと思う。
毎日の食事は別の仕組みで回っている。昼の一食は配食で決まるようにしたので、外食は生活を支えるための食事ではない。年に何度かの、そうでない日だ。
珍しく、ソフトクリームを食べた
先日、週末に買い物へ行った帰りのことだ。
うどんの店が続いていたので、違うものにしようと思い、通り沿いのラーメン店に入った。初めての店だった。新しい店に入ろうと言ったのは私で、母が望んだわけではない。
食べ終わったあと、母がメニューを見て「ソフトクリームが食べたい」と言った。
珍しいことだった。母は普段、食後に何かを頼む人ではない。それを言い出して、出てきたものをうれしそうに食べていた。
好きだと分かっているものを選ぶ母が、そうでないほうへ一度だけ手を伸ばした。初めての店だったからか、その日の気分だったのかは分からない。
ただ、その様子を見ていて思ったことがある。母が自分で運転していた頃も、こういう時間を持っていたのだろう。派手なことをする人ではないので、贅沢と呼べるほどのものではない。ただ、食べることが好きな人が、その範囲で楽しんでいた時間はあったはずだ。
これも私の想像でしかない。当時の母が何を食べていたかを、私は知らない。車を手放してから、母が外で何かを食べる機会は、私が連れて行く日だけになった。 前はそうではなかった、ということを、ソフトクリームで思い出しただけだ。
私も、間違いないものを選ぶようになった
母の注文の仕方を見ていて、自分のことに気づいた。
私も、初めての店で冒険しなくなった。品書きを開いて、失敗しないと分かっているものを選ぶ。外食の回数がそれほど多くないからこそ、当たりを引きたいのだと思う。
これは母だけの話ではなかった。たまにしかない機会だから、一番好きなものを選ぶ。 年齢が違っても、そこは同じだった。
だとすれば、母が同じ店の同じ料理を頼み続けることを、変化がないとか、選択肢が狭いとか、そういうふうに見るのは違う。母はちゃんと選んでいる。選んだ結果が毎回同じだというだけだ。
新しいものを勧めたくなることはある。せっかく外で食べるのだから、と思う。だがそれは、私が母に何かをしてあげたいというだけの話だ。母のほうは、もう自分の好きなものを知っている。
食べ切ってもらうことを目標にしなくてよかった、と今は思っている。量は減っていく。それは止められない。止められないものを数えるより、何を選ぶかのほうは、まだ母が決められる。
次に付き添う日も、私は何が食べたいかを聞く。答えは分かっている。店に入れば、母が何と言うかも分かっている。それでも聞く。

