母の一人暮らしを支える中で、何度も考えてきたことがある。
介護サービスを増やすタイミングは、どこで判断すればいいのか。
母は今、実家の離れで一人暮らしを続けている。昼食は配食サービスを使い、私は週に一度ほど買い物や確認に行く。ヘルパーには、今は買い物だけを、短い時間お願いしている。
それでも、これで十分なのかは分からない。
サービスを増やすのが早すぎれば、母の暮らしを狭めてしまう気がする。遅すぎれば、家族だけで支えきれないところまで進んでしまうかもしれない。
今回は、介護サービスを増やすタイミングをどう考えるか、自分なりに整理しておきたい。
増やすタイミングは、事故のあとでは遅い

介護サービスを増やすと聞くと、大きな出来事のあとを想像しやすい。
転倒した。
火の元で危ないことがあった。
食事が取れなくなった。
薬の管理が大きく乱れた。
そういうことが起きれば、誰でも支援を増やす必要を感じる。家族も本人も、状況が変わったことを受け止めやすい。
ただ、本当はそこまで待たない方がいいのだと思う。
大きな事故や体調悪化のあとでは、選択肢が狭くなる。急いでサービスを探すことになる。本人も不安な状態で、新しい人や仕組みを受け入れなければならない。家族も落ち着いて考える余裕が少なくなる。
母の暮らしを見ていても、変化は急には来ない。
買い物に行ける日が減る。
掃除が後回しになる。
電話に出ないことが増える。
書類の確認を一人で進めにくくなる。
暑さや寒さへの対応が少し心配になる。
一つひとつは、小さな変化だ。
だから、まだ大丈夫に見える。
しかし、その小さな変化が重なったとき、暮らしは家族の補いでようやく成り立っている状態になる。本人だけで回っているように見えて、実際には家族や配食、電話確認が支えている。
介護サービスを増やすタイミングは、何かが起きたあとではなく、「家族が補っている部分が増えてきたとき」なのだと思う。
私自身は、その順番を守れなかった
偉そうに書いているが、私自身はこの順番を守れなかった。
母は冬のある日、カーディガンを羽織ったまま、ガスコンロで調理をしていた。その右の袖に火が燃え移り、大きな火傷を負った。
幸い、火事には至らず、命に関わることもなかった。ただ、利き手である右手が、思うように使えなくなるほどの火傷だった。
私がそのことを知ったのは、すぐではなかった。
母は病院へ行くのにも救急車を呼ばず、タクシーで向かったという。そして病院で、息子には内緒にしてほしいと頼んだらしい。心配をかけたくなかったのだと思う。さすがにそれはできない、自分で話しなさいと諭され、ようやく私の耳に入った。
火傷の治りは悪く、今もすっきりとは治っていない。完全に手が使えないわけではないが、ストマの処理がうまくいかず、買い物にも一人では行きにくい。それでも母は、自分でなんとかしようとしていた。
私も通ってはいたが、週に一度では、十分に支えきれなかった。しばらくの間、母が不自由を我慢しながら暮らす形になってしまった。
その様子は、妻の父の耳にも入っていた。義父は以前から、母のことを気にかけてくれていた人だ。火傷のことも含めて全体を見たうえで、ヘルパーを頼んではどうかと勧めてくれた。それが、ようやく私が動くきっかけになった。
頼むと決めてからも、一度に大きくは変えなかった。本当はストマの処理や家事も手伝ってもらえればと考えたが、母は一度にあれもこれも頼むことに、抵抗があるようだった。だから、一番頼みやすい買い物から始めた。私が行けない日の不足を補ってもらう、短い時間の支援だ。
買い物を頼んだだけで、火傷による不自由がすべて補えるとは思っていない。それでも母にとっては、心配事が一つ減るだけで、ずいぶん助かっているようだった。
ヘルパーの会社が、今後負担が大きくなればいつでも言ってください、と言ってくれたことも心強かった。すぐに全部を頼まなくていい。そう思えるだけで、母も受け入れやすかったのだと思う。
振り返れば、火傷の前から、母の暮らしには小さな無理が重なっていた。買い物が負担になり、力のいる作業が難しくなっていた。そこで支えを足していれば、母が一人で我慢する時間は、もっと短くできたはずだ。
「事故のあとでは遅い」と書いたのは、きれいごとではない。私自身が、そのあとになって動いた側だからだ。
本人の「大丈夫」だけでは決められない

母に聞くと、たいてい「大丈夫」と返ってくる。
体調も大丈夫。
食事も大丈夫。
掃除も大丈夫。
困っていることはない。
そう言われると、子の側は踏み込みにくい。本人が大丈夫と言っているのに、外のサービスを増やそうとするのは、本人の暮らしを管理するように感じる。
ただ、これまでの経験から、私は「大丈夫」をそのまま受け取らないようになった。
母が嘘をついているわけではない。
心配をかけたくないのだと思う。まだ自分でできると思いたい気持ちもある。人に頼ることに慣れていない世代でもある。
だから、言葉より暮らしのあとを見る。
冷蔵庫の中に同じものが増えていないか。
配食の容器がきちんと片づいているか。
薬やストマ用品の減り方に無理がないか。
洗濯物やゴミ出しが滞っていないか。
電話に出ない理由が、たまたまなのか、操作の問題なのか。
こういうところに、本人が言わない困りごとが出る。
サービスを増やす判断は、本人の言葉を無視することではない。本人の言葉と、実際の暮らしを両方見ることだと思う。
「大丈夫」と言っているから何もしない。
「危ない」と感じたからすぐ増やす。
どちらか一方ではなく、間にある変化を拾う。
そのためには、訪問したときに見る場所を決めておくことが大事だと感じている。
家族の補いが増えたら、支援を増やすサイン
介護サービスを増やすかどうかを考えるとき、私は母本人の状態だけを見ていた。
歩けるか。
食べられるか。
着替えられるか。
電話で話せるか。
もちろん、それは大事だ。
ただ、もう一つ見なければならないものがある。家族がどれだけ補っているかだ。
買い物は私が行く。
通院も私が付き添う。
薬局や役所の手続きも私が見る。
電話で必要なものを聞く。
書類が届けば、次に行ったとき確認する。
こうしたことが積み重なると、母の暮らしは「一人でできている」のではなく、「家族が横から支えているからできている」状態になる。
この違いを見落としやすい。
母は一人で暮らしている。だから、周囲から見れば自立しているように見える。実際、できていることもたくさんある。
だが、家族の予定が変わったときにすぐ困るなら、その暮らしは少し不安定だ。
私が出張で行けない。
体調を崩して訪問を控える。
仕事の都合で平日の手続きに動けない。
道路事情で実家へ行く時間が読めない。
そういうとき、母の生活に穴が開くなら、そこはサービスで補えるか考えるべきところだと思う。
介護サービスを増やすタイミングは、親ができなくなったときだけではない。
家族が補い続ける前提に無理が出てきたときでもある。
支える側の事情を見ることは、冷たいことではない。長く支えるために必要な現実だと思う。
いきなり大きく増やさなくていい
介護サービスを増やすと聞くと、生活が大きく変わるように感じる。
毎日誰かが来る。
家の中のことを全部任せる。
本人が自分でやることが減る。
そう考えると、本人も家族も身構える。
だが、実際にはもっと小さく始めていいのだと思う。
先に書いたように、母にヘルパーを頼んだときも、最初から大きく変えたわけではない。買い物の補いという、一番小さなところから始めた。掃除やその他のことは、母が受け入れられる範囲を見ながら、少しずつ考えていけばいい。
この「少し」が大事だった。
母にとっても、外の人が家に入ることへの不安が小さくなる。家族にとっても、任せる範囲が見える。支援する側にも、母の暮らしや性格を少しずつ知ってもらえる。
サービスを増やすことは、生活を奪うことではない。
むしろ、本人が自分で続けたいことを残すために、負担の大きい部分だけを外へ出すことだと思う。
たとえば、買い物の楽しみは残す。
ただし、重いものや不足分はヘルパーや配達で補う。
掃除も、本人ができるところは続ける。
ただし、足元が危ない場所や力がいる作業は手伝ってもらう。
食事も、作れる日は作る。
ただし、昼食だけは配食で安定させる。
全部を外に出すか、全部を家族で見るか。
その二択にしない方がいい。
一部だけ外に出す。必要になったら、また少し増やす。その方が、親にも家族にも受け入れやすい。
相談する前に、困りごとを分けておく

介護サービスを増やすかどうか迷ったとき、まずやることは相談だと思う。
ただ、相談の前に、困りごとを分けておくと話が進みやすい。
母本人が困っていること。
家族が補っていること。
危ないと感じること。
本人が続けたいこと。
外のサービスに任せられそうなこと。
この五つに分けるだけでも、見え方が変わる。
たとえば、買い物は母にとって楽しみでもある。だから、全部を外注すればいい話ではない。私と一緒に行く買い物は残しながら、足りない日や重いものだけ補う方が合っている。
一方で、書類や手続きは母にとって負担が大きい。これは家族が見るか、必要に応じて相談先につなぐ必要がある。
掃除は、できている場所とできていない場所が分かれる。本人が気にしているところと、家族が危ないと感じるところも違う。
こういう具体的な分け方をしておくと、ケアマネジャーや地域包括支援センターに相談するときも、「何となく不安」ではなく、「この場面を支えたい」と伝えられる。
介護サービスは、使えるかどうかだけで考えると分かりにくい。
何のために使うのか。
誰の負担を減らすのか。
何を本人に残したいのか。
そこを言葉にしておく必要がある。
増やす前に、減らしたくないものも確認する
サービスを増やす話をするとき、つい「何ができなくなったか」に目が向く。
掃除が難しい。
買い物が難しい。
通院が難しい。
書類の管理が難しい。
それは必要な確認だ。
しかし、それだけでは本人の暮らしが小さく見えてしまう。
母には、できるだけ残したいものもある。
自分で選ぶこと。
買い物に出る楽しみ。
配食を受け取り、顔を合わせること。
自分の部屋の物の置き方。
近所とのつながり。
テレビを見ながら、自分のペースで過ごす時間。
サービスを増やすときは、これらを減らしすぎないようにしたい。
支援は、本人の暮らしを便利にする一方で、本人の役割を減らすこともある。何でもやってもらえる状態が、必ずしも本人にとってよいとは限らない。
母の場合も、買い物は負担である一方、外に出る楽しみでもある。そこを全部取り上げると、生活は安全になるかもしれないが、日々の張り合いが減るかもしれない。
だから、増やす前に考える。
何を手伝ってもらうのか。
何は本人に残すのか。
何は家族が続けるのか。
この線引きをしておくと、サービスを増やすことへの抵抗も少し和らぐ。
介護サービスを増やす目的は、親を何もできない人として扱うことではない。
できることを残しながら、難しくなった部分を支えることだと思う。
タイミングは、点ではなく幅で考える
介護サービスを増やすタイミングに、はっきりした一日はない。
今日から必要。
昨日までは不要。
そう割り切れるものではない。
むしろ、幅で考えた方がいい。
最近、家族の補いが増えてきた。
本人の「大丈夫」と暮らしの様子にずれが出てきた。
訪問できない日に不安が残る。
同じ困りごとが何度も出てくる。
支える側が、予定を組むたびに無理を感じる。
こういう状態が続くなら、それは相談のタイミングなのだと思う。
相談したからといって、すぐサービスを増やさなければならないわけではない。今は見守りでよいと言われるかもしれない。別の方法を提案されるかもしれない。家族が気づいていなかった選択肢があるかもしれない。
大事なのは、困ってから初めて動くのではなく、迷っている段階で話してみることだ。
私自身、母にヘルパーを頼むまで時間がかかった。もっと早く相談だけでもしておけばよかったと今は思う。
相談は、決断ではない。
判断材料を増やすための入口だ。
介護サービスを増やすことは、暮らしを続けるための調整
介護サービスを増やすことに、私はどこか重い意味を持たせていた。
母の一人暮らしが弱くなった証拠。
家族だけでは支えられない証拠。
次の段階に進む合図。
そう考えると、なかなか動けなかった。
今は、少し違う見方をしている。
サービスを増やすことは、暮らしを続けるための調整だ。
母が一人暮らしを続けるために、外の目を少し入れる。私が長く関わり続けるために、自分だけで抱える部分を少し減らす。本人の役割を残しながら、危ないところや負担の大きいところを補う。
それは、家族が手を離すことではない。
むしろ、家族が関わり続けるための形を整えることだと思う。
今後、母の状態がどう変わるかは分からない。今のサービスで足りる時期もあれば、足りなくなる時期もあるだろう。施設や住まいの見直しを考える日が来るかもしれない。
そのときに慌てないためにも、サービスを増やすタイミングを、事故や限界のあとに置かないようにしたい。
家族の補いが増えたとき。
「大丈夫」と暮らしの様子がずれてきたとき。
本人に残したいことと、外に任せたいことが見えてきたとき。
そのあたりから、相談を始めればいいのだと思う。
答えを急がず、けれど遅らせすぎない。
定時のあとの時間を使って、少しずつ支え方を整えていく。


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