実家の古い箪笥を、まだ開けられずにいる|誰の物か分かるうちに、母に聞いておくこと

実家の古い箪笥を、まだ開けられずにいる|誰の物か分かるうちに、母に聞いておくこと 親と実家

実家の母屋の居間と仏間には、私の知らない物がいくつもある。

多くは、私が家を出てから増えた物だろう。ただ、それにしては古そうな物も混じっている。祖母の物かもしれない。

大切な物なのか、値の張る物なのかも分からない。見たところ、高価な物はなさそうだ。それでも、勝手に処分する気にはなれない。

それらが誰の物で、なぜそこにあるのか。記録は何も残していない。分かっているのは、母の記憶だけである。

居間と仏間に、知らない物が増えていた

母屋は、私が子どものころに祖母と両親と暮らした家だ。今、母は隣の離れで暮らしていて、母屋はほとんど使っていない。

久しぶりに居間と仏間を見回すと、見覚えのない物が目に入る。置物、箱、包みのままの何か。私が家を出たあとの暮らしの中で、少しずつ増えたのだろう。

自分の育った家なのに、知らない物のほうが多い部屋がある。そのことに、少し戸惑った。

母は物持ちがいい。言い換えれば、物を手放すのが苦手な人だ。片付けも得意なほうではなく、少しうっかりしたところもある。

ただ、これは母だけの話ではない。私も迷ったときは残すほうを選ぶ性分で、そこは母譲りだと思っている。物の少ない時代を生きてきた母が、使える物を手元に置いておきたいと考えるのは、自然なことでもある。

そう考えると、母屋に物が残っているのは、誰かが怠けたからではない。誰も決めないまま、時間が過ぎたというだけのことだ。

古い箪笥を開けるのが怖い

天井裏の入口を開けるほどではない。それでも、古い箪笥や道具箱の引き出しを開けるのには、勇気がいる。

テレビで、古い金庫を開ける番組を見ることがある。中に何が入っているかに期待が持てるなら、開けるのはきっと楽しいだろう。ただ、我が家の箪笥にそういう期待をかけられる可能性は、ほとんどない。

それよりも、見なければよかったと思う物が入っているのではないか。その不安のほうが大きい。

中にありそうな物は、だいたい想像がつく。

手続きを忘れたままの書類。しまい方が悪くて色が褪せた写真。古い乾電池のように、時間がたつと傷んでいく物。処分されずに残っている祖母の衣類や持ち物。

おそらく、いらない物ばかりだろう。それでも、私が一人で開けて、一人で捨ててしまうのは気が引ける。

いずれ人の手を借りて片付ける日が来るかもしれない。そのときも、不用品回収業者に頼む前に家族で決めておくことを考えた記事に書いたとおり、残す物を決めるのは家族の側である。業者は、決めた物を運び出すところからしか手伝えない。

父が断れなかった美術の図鑑

木の棚に並んだ、ほとんど開かれていない美術の全集本

母屋には、美術の図鑑が何巻も残っている。

父が大工の現場にいたとき、訪ねてきたセールスから買ったものだ。シリーズ物で、当時でもかなりの値段だったらしい。なぜそんな物を買ったのかと、父が母に叱られていたのを覚えている。

きっと、断れなかったのだと思う。今でいえば押し売りに近い。

図鑑は、ほとんど開かれていないはずだ。我が家の暮らしに、美術の図鑑を眺める時間はあまりなかった。

使わない物なら、処分すればいい。理屈ではそうなる。ただ、父が亡くなって20年以上たった今では、かえって手放しにくい物になってしまった。

図鑑そのものに思い入れがあるわけではない。断れずに買ってしまった父と、それを叱った母。その場面ごと、図鑑に残っている気がする。

物の値打ちと、物についた経緯は別のものだ。図鑑を前にすると、そのことがよく分かる。

赤べことこけしと、お鷹ぽっぽ

古い飾り棚に置かれた、鳴子こけしと赤べことお鷹ぽっぽ

両親は、ともに山形の出身だった。

だから母屋には、東北の民芸品がある。赤べこ、こけし、お鷹ぽっぽ。親戚からもらった物と、山形へ行ったときに買った物が混じっている。どれも、暮らしに必要な物ではない。

山形へ行ったのは、数えるほどしかない。幼いころに1度、小学生のときに2度。2度目は母方の祖父が入院していたときで、3度目はその祖父の葬儀だった。

車で10時間以上かかる道のりだった。祖父母には会いたかったが、私は車に酔いやすい子どもで、長い移動が苦手だった。

母方の祖母は着物を着ていた。向こうの言葉で話すので、最初は何を言っているのか分からなかった。たまにしか会えない孫を、とても可愛がってくれた。

葬儀の帰りの車で、母はずっと泣いていた。車酔いに加えて、その姿を見ているのがつらかったことを覚えている。

行ったのは数回なのに、そのときのことは今も割とよく覚えている。赤べこやこけしは、私にとってはその道のりの記憶とつながっている。

ただ、どれが誰からもらった物で、どれがいつ買った物なのか。そこまでは、私には分からない。それを知っているのは母だ。

そういう目で見ると、母屋の物は、ほとんどが時間を重ねている。図鑑も、民芸品も、母屋で一緒に暮らした祖母の衣類も、それぞれに我が家の歴史の一部だ。簡単に処分できる物は、思っていたより少ない。

同じような家は、少なくないのではないかと思う。親が長く暮らした家の物は、量が多いから片付かないのではない。一つずつに経緯がついているから、手が止まるのだ。

記録は、母の記憶だけだった

木箱に結んだ、何も書かれていない白い荷札

困るのは、その経緯がどこにも書かれていないことだ。写真も、メモも、箱に書いた字もない。

母も、最近は母屋で過ごす時間がほとんどない。物を前にして、見ながら思い出す、という感じだ。印象の深い物は今でもよく覚えている。逆に言えば、物を見せなければ思い出せないことも多いのだと思う。

だから、聞くなら母屋で、物を前にして聞くしかない。離れで「仏間のあれは何だったっけ」と尋ねても、話はたぶん進まない。

聞くことは、三つで足りると考えている。母の物か、父の物か、祖母の物か。いつごろ、どこから来た物か。母はそれを残したいのか、私に任せたいのか。

答えは、物の写真を1枚撮り、その横に一行書いておけば足りる。「仏間・赤べこ・山形の物・昔からある」くらいでいい。写真を判断の記録として撮る考え方は、実家整理で後悔しやすいことの記事にまとめた。

片付けの話をすると、母は、そのうちやると言う。そう言い続けているうちに、父が亡くなって20年以上がたった。祖母の物は、それより前から残っている。

母にとっての「そのうち」は、急ぐ理由のない言葉なのだろう。それを責めるつもりはない。ただ、待っている間に、聞ける時間のほうが先に減っていく。

開ける順番も、少しだけ考えておきたい。古い電池は液漏れしていることがあるので、素手で触らない。書類は捨てる前に、母に中身を見てもらう。写真や衣類のように、見ればつらくなるかもしれない物は、急がない。

私の物も、自分でしまった物しか残っていない

母屋には、私が子どものころの物もいくつか残っている。

ただ、それは親が取っておいた物というより、私が自分でしまっておいた物ばかりだ。写真も幼いころのものが中心で、小学生になると少なくなる。中学からは、学校で撮ったもの以外はごくわずかしかない。

我が家は、記録を残すことに手間をかける家ではなかった。良い悪いではなく、そういう家だった。

物も記録も、誰かが残そうとしたときにしか残らない。私の子どものころの物がそうだったように、母屋の物の経緯も、誰かが書き留めなければ、母の記憶が薄れるのと一緒に分からなくなっていく。

それを書き留めるのは、たぶん私の役目だ。

処分を決めるためではなく、名前を付けておくために聞く

片付けを考えると、どうしても「捨てるか、残すか」から入ってしまう。

実家の片付け費用を調べたときも、私が見積もったのは物の量と作業の手間だった。どの物にどんな経緯があるかは、費用の計算には出てこない。

ただ、今の母屋で急ぐべきなのは、捨てる判断ではないと思う。母に確かめられるうちに、物に名前を付けておくことだ。名前の付いた物なら、手放す日が来ても、何を手放したのかが分かる。

親が施設に入ったあとの実家の順番を考えたときも、先に聞きたいのは「捨ててよいか」ではなく「これは誰の物か」だと書いた。居間と仏間を見回して、その順番には期限があると気づいた。物は置いておけば残るが、母の記憶はそうはいかない。

箪笥を開けるのは、まだ少し怖い。見なければよかった物が出てくるかもしれない。それでも、母と二人で開けるなら、出てきた物の意味を、その場で聞くことができる。

最初に聞くのは、あの図鑑のことにする。父がなぜ断れなかったのか、母なら覚えているかもしれない。

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