母の耳が、遠くなってきた。
気づいたのは電話だった。こちらの話を聞き返すことが、前より増えた。母に聞くと、最近聞こえにくいと言う。
まったく聞こえないわけではない。年をとればこういうものか、と受け止められる程度である。ただ、この先進んでいくなら、補聴器を考える日が来るのかもしれない。
そう思ったとき、真っ先に浮かんだのは、どの補聴器がいいかではなかった。母は、それを使い続けられるだろうか、という心配だった。
この記事では、補聴器を買うかどうかを決める前に、家族として何を確かめておけるかを整理しておく。
電話で、聞き返すことが増えた
母との連絡は、ほとんどが電話である。メールやLINEは使わないので、母の聞こえの変化は、電話の声で知ることになる。
最近は、同じことを二度言う場面が増えた。言い方を変えてもう一度話すと、ようやく話が進む。母のほうも、聞こえにくいことを自分で分かっている。
母には、電話を持つ手と、当てる耳の組み合わせが決まっている。聞こえにくいほうの耳に、いつも受話口を当てる。反対の耳に替えてみたらどうかと言ったことはあるが、母はなぜか試さない。
もっとも、反対の耳ならよく聞こえるのかどうかも、実は分かっていない。私が知っているのは、電話越しに聞こえる母の様子だけである。どちらの耳が、どのくらい聞こえているのか。家族の私は、それを測ったことがない。
電話の受け答えから分かることと、分からないことは、母との電話で気づく小さな変化でも整理した。耳のことも同じで、電話の印象だけで「補聴器が要る」とは決められない。
補聴器と聞いて、先に浮かんだ二つの心配
補聴器が必要になったら、と考えたとき、心配は二つあった。
一つは、なくしてしまうことだ。補聴器は小さい。外したときにどこへ置いたか分からなくなる、ということは十分にあり得ると思う。安い物ではないだけに、なくしたときのことが先に頭に浮かぶ。
もう一つは、そもそも使いこなせるかどうかである。着ける、外す、電池を替えるか充電する、音の大きさを合わせる。毎日の手順が一つ増える。慣れるまでのあいだに、面倒になってしまわないか。
この二つは、補聴器の性能では解決しない。母の暮らしの中に、補聴器が入る場所があるかどうかの問題だと思っている。
渡した物が、使われないまま残っている

使いこなせるかを心配するのには、理由がある。
母は、こちらが用意した物を、使わないままにしておくことが多い。
以前、妻が、買い物にも使える軽い手押し車を選んで母に渡したことがある。歩くときの支えにもなり、荷物も載せられる。けれど、使った形跡は今もない。
メールやLINEも、覚えておけば便利だからと、孫に教えてもらっていた時期がある。母は聞いてはいたが、覚えるところまでは行かなかった。今も、連絡は電話だけである。
母は、新しいことを勧められると「無理」と言うことが多い。一度試してうまくいかないと、もう一度試そうとはしない。
これを責めるつもりはない。新しい道具を使うには、新しい手順を覚える必要がある。年を重ねて、それがどれだけ負担になるのかは、私にはまだ分からない。義父の携帯電話選びを書いたときにも、新しい道具に慣れていく力は、人によってまったく違うと感じた。
ただ、補聴器を考えるうえでは、これは避けて通れない事実である。母にとっては、最初の一回でうまくいくかどうかが、ほとんどすべてになる。
補聴器は、耳鼻科で聞こえを調べるところから

補聴器をどう選ぶのか、調べてみた。
国民生活センターは、補聴器をめぐるトラブルについて注意を呼びかけている。勧められるまま高額な補聴器を買ったが、耳鼻咽喉科では不要と言われた、という相談もあったという。そのうえで、購入前の流れを次のように示している(国民生活センター「補聴器トラブルを防ぎましょう!」)。
| 順番 | すること | 確かめられること |
|---|---|---|
| 1 | 耳鼻咽喉科(補聴器相談医)を受診する | 聞こえの状態と、補聴器が必要な状態かどうか |
| 2 | 認定補聴器技能者のいる販売店で選ぶ | 本人の聞こえと暮らしに合う機器 |
| 3 | 試しに使い、調整を重ねる | 聞こえの改善と、着け心地や使いやすさ |
| 4 | 納得してから購入する | 返品できない買い物を、試す前に決めずに済む |
最初が販売店ではなく耳鼻科になっているのは、聞こえにくさの原因が補聴器で補えるものかどうかを、先に確かめるためだと理解した。聞こえにくさの原因は一つではなく、補聴器より治療が先になる場合もあるからだ。
試しに使える期間や条件は、販売店によって違う。認定補聴器技能者のいる店かどうかと合わせて、購入の前に聞いておくことになる。
費用の面でも、耳鼻科から始める意味がある。補聴器相談医が必要性を記した診療情報提供書があれば、購入費用は医療費控除の対象になり得る(国税庁「補聴器の購入費用に係る医療費控除の取扱いについて」)。
補聴器の費用を支える仕組みは、ほかにもある。聴覚障害で身体障害者手帳の認定を受けると、障害者総合支援法の補装具として、補聴器の購入費の支給を受けられる。手帳の対象にならなくても、市町村によっては別の補助がある。まずは住んでいる市町村の福祉の窓口で聞く(島根県「補聴器の購入をお考えの方へ」)。
どの仕組みも、入口は聞こえを調べるところにある。補聴器の値段を比べる前に、使える制度があるかを確かめておくほうが、あとで迷わずに済む。
試してから決められるなら、心配の半分は確かめられる

調べてみて、少し考えが変わった。
私の心配は、母が補聴器を使い続けられるかどうかだった。それは、買う前に完全には分からない。けれど、試しに使ってみる期間があるなら、その一部は確かめられる。
着けたり外したりを、母が嫌がらないか。外したあと、決まった場所に置けるか。聞こえがよくなったと、母自身が感じるか。どれも、試してみなければ分からないことだ。
一方で、母は一度うまくいかないと、次を試さない。試す期間は、母にとって最初の一回でもある。音が合わないまま、着け心地が悪いまま終わってしまえば、そこで補聴器の話は終わるのだと思う。
だとすれば、急いで決めないことのほうが大事になる。調整に時間がかかる前提で、合うまで付き合ってくれる店を選ぶ。家族の側も、最初の数回は一緒に行けるかを考えておく。先の島根県の案内も、受診や購入のときは、聞こえにくさで支障が出ないよう家族などと一緒に行くことを勧めている。補聴器の値段や機能を比べるのは、その後でいい。
補聴器の前にできることもある。たとえば、電話の受話音量を上げておくことだ。家族の側で設定しておけば、母は今の手順のままで聞こえやすくなる。母の場合、手順を変えること自体が難しいので、手順を変えずに済む工夫のほうが続く見込みがあると思っている。
いまは、買うかどうかより、進んだと判断する目安を持っておく
今の母の聞こえは、暮らしが回らなくなるほどではない。本人も、年のせいだと受け止めている。今すぐ補聴器を、という段階ではないと私は考えている。
ただ、何をもって「進んだ」と判断するのかは、決めておきたいと思った。電話で聞き返す回数がさらに増える。テレビの音が大きくなる。病院やヘルパーさんとの話が通じにくくなる。こうした変化が重なってきたら、耳鼻科へ行く話をする時期だと思う。
母に受診の話をするときの言い方は、認知症の受診をどう切り出すかを考えたときと同じで、「聞こえにくそうだから、一度先生に聞いてみないか」から始めたい。母が実際に困っていることから話すほうが、受け入れやすいはずだ。
補聴器は、買った日がゴールではない。母がそれを毎日使う日が来て、初めて意味を持つ。だから私は、どれを買うかより先に、母が使い続けられる形かどうかを確かめたい。

