墓じまいという言葉を、以前はどこか遠い話として聞いていた。
自分の家にも墓があり、仏壇もある。年に数回、お坊さんに来ていただいている。それでも長いあいだ、自分が引き継ぐ問題として正面から考えてこなかった。
実家の母屋をこの先どうするか考え始めたとき、ようやく気づいた。母屋を残してきた理由には、仏壇があることも、お経をあげていただく場所であることも含まれていた。家の問題は建物だけでは終わらず、仏壇と墓のことまでつながっている。
そのつながりが見えたことが、私にとって墓じまいを考え始めたきっかけだった。
受け継いだものとして守ってきた
我が家の仏壇と墓は、代々受け継がれてきたものだ。宗派も、そのまま受け継いだ形で続いている。
私自身は、特定の信仰に強いこだわりがあるわけではない。ただ、家にあるものを大切にする気持ちは持ち続けてきたつもりだ。手を合わせる時間や、年に数回のお経の場には、自分なりに意味を感じてきた。
そうやって関わってはきたが、連絡や段取りの中身までは深く知らないまま来た。誰に連絡をして、いつ何を準備するのか。費用がどのように動いているのか。そういうことは、長らく母に任せていた。
墓参りをすることと、墓を管理することは同じではない。手を合わせてきたから分かっているつもりになっていたが、実際には知らないことの方が多かった。
父が亡くなったあと、ほとんどを母に任せてきた
父が亡くなったとき、私は財産のことに関心がなく、母が暮らしていければそれでいいと考えていた。今振り返ると、そのときに仏壇や墓のことも、母と一緒に知っておけばよかったと思う。
それ以降、法事の段取りも、親戚や関係者への連絡も、ほとんど母に任せてきた。母自身も、こうしたことの多くを父に頼ってきた人だ。私に分かっていなかったところがあったのと同じように、母にも十分にはわかっていない部分があったのだと思う。
定期的なお経は続けてこられた。ただ、それ以外の法事の準備や連絡については、今も私が分かっていないことが残っている。誰かに咎められたわけではない。それでも、母だけの記憶や経験に頼らず、もう少し早くから一緒に確かめておけばよかった。
母を責めたいわけではない。私も母に任せることで、考える時期を先へ送ってきた。大事なのは、過去の段取りを採点することではなく、これから必要になることを二人で確かめられるうちに確かめることだと思っている。
地域のしきたりと、今の暮らしのこと
私はかつて、実家の離れに暮らしていた。事情があって引っ越し、今は地元から離れている。それ以来、地域の行事と日常的に関わる距離からは少し遠ざかってきた。
長男が地域の役員当番や溝掃除などを担うのが当たり前、という空気が長く続いてきた土地でもある。実際には、墓の管理と地域の役を担うことは別の話だ。それでも私の中では、どちらも「地元へ戻って前に立つこと」として重なって見えていた。
一つを引き受けたら、ほかのことも引き受けなければならない。そんなふうにまとめて考えていたため、仏壇や墓のことへ踏み出すこと自体を先延ばしにしてきた面がある。
長く暮らした土地で、今も近くに住んでいる同級生がいる。離れたからといって、つながりが消えるわけではない。
ただ、移動の負担や、慣習の中で動くことの難しさまで考えると、自分が引き受けきれない部分の方が大きいと感じている。これは土地や、そこで暮らしを支えてきた人たちを否定したい話ではない。今の生活拠点から、続けられることと続けにくいことを分けて考えた結果だ。
私のあとを、当然に任せられる人はいない

墓じまいを考え始めた一番の理由は、この先の管理を誰が担うのかということだ。
私は一人っ子で、子どもも結婚して遠方で暮らしている。実家に戻る予定はないし、戻ってほしいとも思っていない。
そうなると、私のあとに墓や仏壇の管理を引き継ぐと決まった人はいない。
子どもに頼めば、年に何度かは手を合わせに来てくれるかもしれない。だが、それを当然の役割として渡していいのかという迷いがある。
実家の母屋も、離れも、大工小屋も、自分の代で整理したいと考えてきた。墓や仏壇だけを、誰かが何とかしてくれるものとして残すことは難しい。
大切に思うことと、次の世代に管理を渡すことは同じではない。子どもの気持ちや暮らしを確かめず、役割だけを残したくはない。墓じまいを決める前に、後継者のいない墓をどうするかを考える必要がある。ようやく、そこを出発点に置けるようになった。
今の形を終えることと、供養を続けること
正直に言えば、墓じまいという言葉には抵抗があった。何かを終わらせるように聞こえるし、自分の都合で片づけるような響きにも感じられた。
それでも、少しずつ受け止め方が変わってきている。
今の形のまま残しておくことだけが、大切にする方法なのか。通うことや手入れが難しくなったとき、別の場所や別の形で供養を続ける方が、私たちの暮らしに合う場合もある。そう考えると、墓じまいは、すべてを終わらせることとは限らないと思えるようになってきた。
終えるのは、今ある管理の形かもしれない。手を合わせることや、家族の記憶まで終える必要はない。受け継いできたものを大切にしたい気持ちを残したまま、無理のない形に整え直す。そのように考えると、私の中にあった抵抗は少しやわらいだ。
決める前に、分からないことを分けておく

今すぐ墓じまいをするつもりはない。母が元気で、今の形を大切にしているうちは、急いで結論を出す話でもないと思っている。
ただ、知らないままにしておくことはやめたい。結論を急ぐ代わりに、分からないことを三つに分けてみる。
- 今の事実として確認すること:墓地の使用名義、管理者の連絡先、年間の費用、法要の段取り
- 母に聞きたいこと:墓や仏壇をどう考えているか、大切にしたい習慣は何か、話しておく親族はいるか
- まだ決めなくてよいこと:墓じまいの時期、改葬先、仏壇を残す場所や形
三つに分けてみると、今すぐ決めることは意外に少なかった。結論を急ぐと母にも自分にも負担が大きいが、名義や連絡先を確かめることなら始められる。考えることと決めることを分けるだけで、「墓じまい」という大きな言葉に飲み込まれずに済む。
費用や役所の手続きは、別にまとめた墓じまいの費用と手順を見ながら確認できる。けれど、母の気持ちや家族が残したいものは、資料を読むだけでは分からない。
母が元気なうちに、聞いておきたいことがある。墓をどう考えているか。仏壇をどうしたいか。父のこと、祖父母のことを、どんな形で残したいか。切り出しにくいテーマだが、答えを迫るのではなく、まず母が大切にしてきたことを聞くところから始めたい。
実家の母屋も、父の道具も、古い仏壇も、墓も、すべてをそのままの形で残すことはできないかもしれない。だからといって、すべてを忘れるわけでもない。
形を変えながら、何を残すのか。まだ答えは出ていない。今の事実、母の気持ち、まだ決めなくてよいことを分けられただけでも、以前より話を始めやすくなった。
定時のあとの時間を使って、少しずつ向き合っていく。

