見守りカメラという言葉を聞くと、離れて暮らす親の様子をスマートフォンで確認できる機械を思い浮かべる。
倒れていないか。知らない人が入っていないか。電話に出ないとき、何か起きていないか。
家族の不安を減らす道具として、便利そうに見える。
私の妻の父の家には、玄関に見守りカメラが設置されている。妻が中心になって考え、家の中全体ではなく、玄関の出入りを見るために置いたものだ。
一方、私の母の家には、まだ設置していない。必要になればWi-Fiルーターを用意することも考えているが、機械を置けば安心できると簡単には決められない。
親の暮らしを見守るためのものが、親にとっては見張られているものになるかもしれないからだ。
今回は、見守りカメラを比較するのではなく、入れる前に家族で考えておきたいことを、私の家族の状況に沿って整理しておきたい。
見守りカメラを考えたきっかけは、安心より不安だった
妻の父は、妻の母が急に亡くなったあと、一人暮らしになった。
視力をほとんど失っているが、頭ははっきりしていて、会話も達者だ。慣れた家の中なら、記憶を頼りに移動できる。本人は「一人で大丈夫」と言う。
それでも、家族から見ると心配な場面がある。
玄関に誰か来ても、相手の顔が見えない。訪問販売なのか、知り合いなのか、家族が行ったのかも本人だけでは判断しにくい。視力の問題があるため、家の外で何が起きているかを確認することも難しい。
そこで、玄関の出入りを確認するためにカメラを置いた。
見守りカメラを考えるとき、家族は「何か起きたらどうしよう」という不安から始めやすい。私もそうだと思う。
ただ、不安をそのまま機械に預けると、見る範囲が広がりすぎることがある。家族が安心したいからといって、親の一日を常に映す必要はない。
まず、何が心配なのかを分ける必要がある。
訪問者の確認なのか。外出と帰宅の確認なのか。転倒や体調変化の確認なのか。防犯なのか。
目的が違えば、必要な場所も機能も変わる。目的が曖昧なまま「高機能なもの」を選んでも、家族が見るべきものは整理されない。
妻の父の家のカメラは、玄関しか映さない

妻の父の家のカメラは、玄関に設置されている。
部屋の中や寝室を映すものではない。誰が来たか、誰が帰ったか、玄関先に不審な人がいないかを見るためのものだ。
この置き場所が、今の義父の暮らしには合っていた。
家族が訪ねたとき、本人がすぐに気づかなくても、玄関の映像で確認できる。知り合いが供え物を置いていったことも分かる。訪問販売のような業者が来たときは、家族があとから確認して注意を促せる。
カメラは目立つ高い位置に設置している。見えない場所に隠すのではなく、そこにカメラがあると分かる形だ。防犯の意味もあるし、家族に隠れて見られているという感じを減らせる。
以前、私は見守りカメラがあると、家族がいつでも親の様子を見られるものだと思っていた。
だが、義父の家で使っているのは、常に画面を開いて生活を監視するためではない。必要なときに玄関を確認するための道具だ。
この違いは大きい。
見守りカメラの映像を毎日長時間見ても、親の安全が増すわけではない。家族が画面を見続けることで、親の行動が気になりすぎることもある。通知が来るたびに確認し、確認できない時間が不安になると、機械を入れたあとに負担が増える場合もある。
「何かあったときに確認する」のか、「いつも様子を見る」のか。
最初にこの線引きを決めておくことが大事だと思う。
母の家に同じカメラを置けない理由
私の母は、実家の離れで一人暮らしをしている。
免許を返納し、車も手放した。買い物は私が訪問する日に一緒に行くことが増え、昼食は配食サービスで補っている。ヘルパーには買い物を頼んでいる。
家族や外部の人が訪ねる仕組みは、少しずつできている。
それでも、私の実家に見守りカメラを入れるかというと、すぐには決められない。
母はスマートフォンの操作が得意ではない。新しい機械を置いても、何のためのものか分からなければ落ち着かないかもしれない。家の中を見られることに抵抗を感じる可能性もある。
また、母は体調や困りごとを言葉にするのが得意ではない。反射的に「大丈夫」と答えることがある。かといって、カメラで見ればすべてが分かるとも思っていない。
映像に元気そうに映っていても、食事が取れているかまでは分からない。玄関を出入りしていても、通院や買い物に困っていないとは限らない。カメラに映る範囲の外に、暮らしの問題があることもある。
母の場合、必要なのは家の中を細かく見ることより、まずは電話、訪問、配食、買い物の中で変化を確認することかもしれない。
以前、一人暮らしの親を支える見守りサービスを調べた。電話や訪問、配食、センサー、カメラには、それぞれ向き不向きがあると整理した。カメラは、見える情報が多いから最初に選ぶものではない。
母の性格、家の通信環境、家族が実際に対応できる時間まで含めて考える必要がある。
カメラで何を見るかを先に決める
見守りカメラを入れる前に、家族で「何を見るか」を言葉にしておきたい。
私なら、次のように分けて考える。
- 玄関の出入りを確認したい
- 訪問者が誰かをあとから確認したい
- 夜間や外出時の防犯に使いたい
- 転倒や急な体調変化を知りたい
- 家の中の生活リズムを把握したい
このうち、最後の二つは、カメラだけでは判断しにくい。
転倒した姿が映る場所に置かなければ、転倒には気づけない。映像が止まっていても、外出中か、昼寝中か、通信が切れているだけかは分からない。カメラがあっても、本人が助けを呼べなければ対応が遅れることがある。
「映っているから安心」とは限らない。
映像は、ある時間のある場所の情報に過ぎない。電話や訪問、配食の受け取り、買い物の様子など、別の情報と合わせて見るものだと思う。
逆に、訪問者の確認や玄関の防犯が目的なら、玄関だけで足りる場合がある。設置場所は、家族が見たい場所ではなく、目的を満たす最小限の場所から考える。そうすれば、親のプライバシーに踏み込みすぎずに済む。
親の納得と、家族の見るルールを決める

見守りカメラは、本人に知らせずに設置するものではないと思っている。
親の安全が目的でも、本人が納得していないまま使えば、安心のための機械が、家にいること自体を落ち着かなくさせる。暮らしている本人の気持ちを置き去りにしてはいけない。
伝えるときは、「見張るため」ではなく、「何を心配して、どこだけ確認したいのか」を具体的に話したい。
たとえば、玄関の訪問者を確認したい。夜に何かあったときに、家族が玄関の状況を見られるようにしたい。部屋の中は映さない。見るのは家族のうち誰か。そういった条件を先に伝える。
家族側でも、次のことを決めておく必要がある。
- 映像を見る人を誰にするか
- どの時間帯に確認するか
- 録画を残すのか、残すならどれくらいか
- 通知が来たときに誰が連絡するか
- 連絡が取れないとき、誰に相談するか
特に大事なのは、通知のあとに誰が動くかだ。映像で異変に気づいても、動く人と連絡の順番が決まっていなければ、確認しただけで終わってしまう。カメラを置くだけでは、対応の仕組みはできない。
家族で決めきれないことがあれば、地域包括支援センターに相談する方法もある。困っている場面を先に書き出しておくと、機械で見る問題と、人に相談する問題を分けやすくなる。
カメラを置かない選択も、見守りの一つ

見守りカメラを調べると、画質、暗視、動体検知、録画、音声通話など、いろいろな機能が目に入る。
機能が多いほど便利に思えるが、親の生活に必要なものばかりではない。通信環境がなければ使えないし、電源や機器の不具合もある。
カメラを置かない場合でも、見守りはできる。
決まった時間に電話する。配食の受け取りを確認する。訪問したときに冷蔵庫や玄関の様子を見る。買い物に一緒に行く。ヘルパーやケアマネジャーに変化を共有する。
人の目と機械の目を、親の状態に合わせて組み合わせればよい。
妻の父の家では、玄関カメラが役に立っている。母の家では、今のところ配食、電話、訪問、買い物の方が生活に自然に入っている。家庭が違えば、同じ見守り方にならなくてよい。
カメラを導入しないことは、何もしないことではない。本人の納得が得られないなら、別の方法を選ぶことも、親の暮らしを尊重する見守りだと思う。
まずは「何が分かれば安心か」を話す
見守りカメラを入れるかどうかは、機種を選ぶ前に決めることがある。
家族の側から「何を見たいか」を挙げていくと、範囲は広がる一方になる。順番を変えて、「何が分かれば安心か」から考えると、必要な場所と機能は案外絞られる。妻の父の家では、それが玄関だった。
母の家では、同じ答えになるかまだ分からない。今は、日々のやり取りの中で見える変化を頼りにしながら考えている。
答えはまだ出ていないが、まずは母と、どこまでなら見られてもよいと思えるかを話したい。定時のあとの時間を使って、少しずつ見守りの形を整えていく。

