50代後半になり、自分の実家だけでなく、妻の実家のことも同時に考えるようになった。
私の母は、実家の離れで一人暮らしをしている。母の生活を支えながら、空き家に近い母屋、大工小屋、庭、墓や仏壇のことにも向き合わなければならない。
一方、妻の父も、妻の母が急に亡くなってから一人暮らしをしている。妻側の家族と外のサービスによる支援は動いているが、暮らしの安全や実家の今後に答えが出たわけではない。
若いころは、夫婦で新しい家庭を作ることばかり考えていた。いつか二人の予定の中に、それぞれの親と実家の用事が同時に入ってくるとは想像していなかった。
二つの実家を抱える難しさは、用事が単純に二倍になることではない。
どちらの親も大切だからこそ、予定が重なったときに何から動くか。相手の実家へどこまで関わるか。夫婦で同じ気持ちになれないときに、どう話すか。
今の私たちが考えていることを整理しておきたい。
二つの実家は、別々でも同じ予定に入ってくる
しばらくの間、私の生活では母と実家の用事が大きな割合を占めていた。
買い物や通院、書類の確認。週末には庭や道路側の枝を見る。母屋や大工小屋には、すぐには決められないものが残っている。
自分の親のことだから、自分が動く。それで予定を組んできた。
そこへ妻の実家のことが重なった。
妻の母が急に亡くなり、視力をほとんど失っている妻の父が一人で暮らすことになった。その経緯は、妻の父の実家問題が浮上したときの記事に書いている。
二つの実家は離れた場所にあり、困りごとの種類も支える人も違う。
それでも、私たち夫婦の暮らしに入ると、同じ休日や仕事後の時間を使うことになる。
私が母の買い物へ行く日と、妻が父の用事で動く日が重なる。仕事が忙しい週に、どちらかの親から連絡が入る。自分たちの予定を入れたあとで、実家の用事が増える。
親の用事は、日時が決まった予定だけではない。
電話のあとも気になっている時間。家へ行く前の買い物。書類を探したり、次に何をするか考えたりする時間もある。
回数だけでは見えない時間まで含めて、二つの実家は同じ予定に入ってくる。
相手の実家では、主役にならない
妻の父のことは、妻側の家族が中心になって動いている。
妻のきょうだいは、仕事や家庭の都合をつけながら、何かあれば駆けつけられる距離で支えている。私を含めた配偶者側は、声がかからない限り、先回りして口を出さないようにしている。
その距離は必要だと思う。
妻の実家には、私の知らない親子の時間がある。きょうだいの間で自然にできた役割も、亡くなった妻の母への思いもある。外から見れば合理的に思える提案でも、その家の人には違う響き方をする。
だから私は、妻の父の暮らしを心配していても、簡単に「こうした方がいい」と決めないようにしている。
ただし、口を出さないことと、関わらないことは同じではない。
妻が動く日は、自分たちの予定を組み替える。必要なら車を出す。荷物を運ぶ。調べものをする。妻が判断に迷っているときは、結論を急がずに話を聞く。
私の実家でも同じだ。
妻は片付けや配食サービスの検討を手伝ってくれた。それでも、母に話すことや父の道具をどう扱うかを、妻へ任せることはできない。
相手の実家を他人事にはしない。しかし、配偶者が主役を奪わない。
この線引きは、家を出た子が実家整理をどこまで担うかを考えたときにも、大切だと感じたことだった。
親の大変さではなく、用事の条件を比べる
予定が重なったとき、「どちらの親が大変か」で順番を決めようとすると苦しくなる。
母と妻の父はほぼ同年代で、一人暮らしという点は同じだ。それでも、家族との距離、連絡手段、住環境、外部サービスは違う。
その違いは、義父と母、それぞれの一人暮らしを比べた記事で整理した。
ここで比べたいのは、親の大変さではない。
今出ている用事の条件である。
| 確認すること | 先に動く目安 | 後へ回せる目安 |
|---|---|---|
| 安全・体調 | 今日動かないと事故や体調悪化につながりそう | 本人の生活が回り、次の確認時期を決められる |
| 期限 | 通院、行政手続き、支払いなど日が決まっている | 期限がなく、家族で相談してからでも間に合う |
| 本人の意思 | 今、本人に確認しなければ進められない | 本人が急いでおらず、答えを待てる |
| 代われる人 | 家族の誰かしかできず、代わりがいない | きょうだい、サービス、別の日程へ頼める |
| 家の整理 | 暮らしの安全を妨げている | 思い出の品や家の処分など、急いで結論を出さなくてよい |
この表は、二つの家を採点するためのものではない。
「今日はどちらへ行くか」を、親への愛情の大きさから切り離すための整理だ。
たとえば、母の庭が気になっていても、妻の父に期限のある用事があれば、そちらを先に考えられる。逆に、妻の実家の片付けを相談している時期でも、母の通院日なら動かしにくい。
安全と期限を見る。
本人にしか決められないことかを確認する。
ほかの人やサービスに代われるかを考える。
それでも重なるなら、「今週は私の実家を先にしたい」「今回はそちらを見てきた方がいい」と言葉にする。
私たちには、親同士を比べるより、用事を小さく分けて話す方が合っている。
きっちり分担しすぎない方が続いた
二つの実家の用事が重なり始めたころは、加減が分からなかった。
どちらの予定も落とせない気がして、先のことまで考えると落ち着かなかった。うまく回らないときには、妻も私も言葉が尖ることがあった。
当時は、一つひとつの役割を決めれば解決するように思っていた。
だが、親の状態も、仕事の忙しさも、毎週同じではない。家族の誰かが動けない日もあれば、予定していた用事がなくなることもある。
固定した分担だけでは、かえって苦しくなる。
続けるうちに、私たちは一週間のおおまかな見通しだけを話し、その都度動くようになった。すべてを同じ日に決めず、急がないことは次へ回す。誰かが動けるなら任せる。
力を入れすぎない方が、かえって回ることが分かってきた。
今では、実家の予定を理由に互いにいらだつことはほとんどない。
完璧な分担表ができたからではない。毎回同じ形にしようとするのをやめたからだと思う。
夫婦で同じ温度にならなくてもいい
私にとって、自分の実家は思い出の場所だ。
母屋には子どものころの記憶がある。離れには結婚後に家族で暮らした時間があり、大工小屋には父の仕事の跡が残っている。
妻にとっても大切な場所ではあるが、私と同じ記憶を持つ場所ではない。
同じように、妻の実家には妻の時間がある。妻の父母やきょうだいとの関係があり、私はそこへ外から関わっている。
夫婦だからといって、互いの実家を同じ温度で見ることはできない。
この違いを忘れると、自分の実家は事情を丁寧に説明するのに、相手の実家には効率を求めることがある。反対に、遠慮しすぎて相手だけに負担を残すこともある。
妻が私の実家を現実的に見て、「使っていないものは手放した方がいい」と言うことがある。頭では分かっていても、少し身構える自分がいる。
そのときに必要なのは、妻にも同じ気持ちになってもらうことではない。
なぜ私はまだ迷うのか。どこなら手をつけられるのか。言葉にして伝えることだと思う。
相手が迷っているときは、すぐ答えを出そうとしない。自分が迷っているときは、相手の現実的な意見を敵にしない。
同じ温度を求めない方が、二つの実家を一緒に考えやすくなる。
二つの家で、次に確認する一つだけを共有する

二つの実家には、まだ決まっていないことが多い。
私の実家では、母の暮らしを支えながら、母屋、大工小屋、墓や仏壇のことを少しずつ考えている。妻の実家でも、妻の父の今の生活が先にあり、家の今後を急いで決める段階ではない。
全部を一覧にしようとすると、それだけで重くなる。
今は、それぞれの家で「次に確認する一つ」が分かればよいと思っている。
連絡先を一つ確認する。
期限のある書類を一つ見る。
家族が使っているサービス名を共有する。
危ない場所がないか、本人に聞く。
墓や仏壇の話は、誰に聞けばよいかだけ確かめる。
個人情報や暗証番号を何でも同じノートへ集めるのではなく、必要な情報の所在と、確認できる家族を分かるようにしておく。
二つの実家を抱えるとは、二つの家をすぐ片付けることではない。
安全と期限を見て、今動く用事を選ぶ。相手の実家では主役にならず、必要なときには支える。夫婦で同じ気持ちになれなくても、次に何を確認するかは共有する。
答えはまだ出ていない。
それでも、二つの家を見ないふりはせず、そのとき動ける人が一つずつ進めていく。
今の私たちには、それが無理なく続けられる向き合い方になっている。
定時のあとの時間を使って、二つの実家のことを、夫婦で一つずつ整えていく。

