母が離れに移って、母屋は空き家のままになっている。売るのか、貸すのか、壊すのか。どの選択肢も「これでいい」と言い切れない。
母屋も離れも、父が自分の手で作った建物だ。祖母と父と母と私が暮らした場所と、父が私のために建ててくれた場所。壊すということは、その時間を終わらせることでもある。それがわかっているから、なおさら動けない。
母が離れに移ったのは、母屋が向いていなかったから
実家には三棟がある。母屋、離れ、大工小屋。
母が離れに移ったのは、手術のあとのことだ。ストマを装着しての生活が始まり、病院のソーシャルワーカーとも相談しながら、退院後の暮らし方を考えた。
母屋は二階建て、60坪以上の木造だ。浴室が広く、お湯を出すのに手間がかかる。寝室は二階で、毎日の移動範囲が大きい。エアコンがあるのは居間と寝室だけで、座敷には設備がない。冬は寒く、夏は暑い。一人暮らしには、明らかに向いていない構造だった。
離れはユニットバス、お湯はワンタッチ、平屋でコンパクト。全室フローリングでバリアフリーだ。段差がなく、掃除もしやすい。年寄りにも優しい作りになっている。以前は私たち家族が使っていた場所で、私が引っ越してからは空けたままになっていた。それを整えて、母に入ってもらった。
以来、母屋は誰も使っていない。
父が作った二つの家
母屋には、かつて祖母と父と母と私が暮らした。二階建て、60坪以上。賑やかだった時期がある。
父は職人だった。体を病んで療養生活に入った時期がある。そのとき、リハビリを兼ねて母屋の改築に取り組んだ。大工の腕を振るいながら、少しずつ自分好みの空間にしていった。父にとって、母屋はただ住む場所ではなかった。
離れも、父が建てた。
私が実家に戻るタイミングのことだ。同居は可哀想だという考えから、父がなけなしの貯えと、すでに治療中だった体を振り絞って建ててくれた。以前の敷地にはもっと古い家があって、それを建て直した形だ。会社員だった私も週末に手伝いに来た。学生時代から夏休みや長期休暇のたびにアルバイトとして手伝ってきたので、簡単な作業なら一人でこなせた。
古い家を一度更地にしてから新築した方が、手間の面では早かったはずだ。それでも父は、ずっとそこにあった建物を解体することに踏み切れなかった。後になってそう思うようになった。
父と大工という仕事
父には、私に大工を継いでほしいという気持ちがあったと思う。
手伝いのたびに厳しく指導を受けた。よく喧嘩をした。結局、私は会社員の道を選んだ。父は反対しなかった。何も言わずに送り出してくれた。
大工という仕事に誇りを持っていた人だった。生活に困ることはなかったが、決して裕福とは言えなかったと思う。体が弱くなってきたとき、サラリーマンと違って保証がないことを、身に染みてわかっていたはずだ。息子に同じ苦労をさせたくないという気持ちと、技術を継いでほしいという気持ち。その両方が父の中にあったと、子どもながらに何となく感じていた。
私自身も迷っていた。手伝いを重ねるうちに、面白さもわかってきた。それでも、父と違う道を歩んでみたいという気持ちの方が強かった。選ばなかったその道が、今も三棟の形で残っている。
選択肢は三つしかない
「母屋をどうするか」と考えると、選択肢は三つしか出てこない。
売る、貸す、壊す。
それ以外の答えを、私はまだ思いついていない。
売る場合、まず「売れるか」という問題がある。公共交通機関がほぼない地域で、徒歩圏内に小さなスーパーが一軒あるだけ。車がなければ生活が成り立たない場所に、60坪以上の古い木造家屋を買う人がいるかどうか。農地が周辺に点在していることも、話を複雑にする可能性がある。
貸す場合、現状のままでは貸せる状態にない。リフォームが必要で、入居後の管理も継続的に必要になる。私は月数回、定時のあとの時間を使って実家を訪問するのが精いっぱいだ。賃貸管理に関われる体制ではない。
壊す場合、解体費用の相場を以前調べたことがある。母屋60坪以上、離れ40坪、大工小屋。三棟まとめると300万円から500万円以上になる。解体したあとの土地をどうするかという問題も残る。農地が混在していて売買できない区画もある。更地にすれば固定資産税の軽減特例がなくなり、むしろ税負担が増えるケースもある。
どれも、「これだ」とはならない。
使わない間に起きていたこと
母が離れに移ってからも、母屋の電気・ガス・水道の契約はそのまま続けていた。いつ使うかわからないという気持ちからだ。
水道はとくに止めにくい理由がある。年に数回、お経のためにお坊さんに来ていただく。そのたびにトイレを使っていただくし、来ていただく前後の掃除にも水が要る。夏のお盆は扇風機だけでは申し訳ない気持ちになるが、それでも来ていただいている。電気も照明のために継続している。
ガスは別の事情で動くことになった。
離れの水回りが故障し、台所とお風呂が使えなくなったことがある。急いで母屋で生活してもらおうとした。ところが、ガスコンロに火がつかなかった。プロパンガスだったので、契約先の農協に電話したが、週末だったため通常の対応は受けられなかった。別の窓口に電話すると、休日対応の担当者につないでもらえた。ガス会社のOBの方らしく、機器に詳しかった。
事情を話すと、長期間使用していない場合はガスも機器も正常でない可能性が高い、操作は避けた方がいい、休み明けにプロパンガスの交換と機器の点検を受けてからにするよう、指示があった。
結局その場は別の方法で対応した。その後、母屋のガス契約は一旦止めてもらうことにした。
大型の古い冷蔵庫は、母が離れに移るタイミングで処分していた。一人暮らしには大きすぎると判断し、小さいものに買い替えると同時に業者に引き取りを依頼した。家電の処分は、新しいものを購入するタイミングが一番動きやすい。
思い出としての財産、負債としての現実
大工小屋には、父の道具がそのままになっている。
60歳で亡くなった。現代の感覚では早い死だった。道具は大工小屋に残っていて、誰も手をつけないまま今に至っている。使う人間は、もういない。
かつて、実家は財産だと思っていた。母屋も離れも大工小屋も、父が建てたものだ。家族が暮らした記録がある。思い出としての価値は本物だと今も思っている。
ただ、資産としての財産かどうかは別の話だ。売れない土地、維持費のかかる建物、解体にも費用がかかる三棟。現実を整理すれば、むしろ負債に近い。
結婚して家を出た子に、これを背負わせるわけにはいかない。自分の代で整理をつけなければという気持ちは、年々強くなっている。
月数回の訪問のたびに、母屋の様子も確認する。窓を開けて換気し、草が伸びていれば刈る。雨漏りなど致命的な症状は、今のところない。それだけのことをしながら、「まだ大丈夫」を確認して帰る。
時間を買っている、という感覚がある。
答えは出ていないが、考えることはやめていない
実家の母屋をどうするか。今の私には、答えがない。
売る・貸す・壊すという三つの選択肢のどれにも、踏み切れていない。費用の問題、立地の問題、気持ちの問題が絡み合っていて、どれか一つを解決すれば片付く話ではない。
同じような状況の家庭は、少なくないのではないかと思う。親が元気なうちは「そのうち考える」で先送りしてきて、いざ向き合ってみると選択肢のどれもが重い、という経験は珍しくないはずだ。
逃げているつもりはない。ただ、答えが出ないまま答えを出そうとすることの危うさも感じている。
定時のあとの時間を使って、少しずつ考え続けるしかないと思っている。


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