管理職のまま定年を迎えることを、最近よく考える。
若いころは、役職があることを一つの到達点のように見ていた。責任が増え、判断する側になり、会社の中で少し上の景色を見る。そういうものだと思っていた。
50代後半になった今、役職は自分を支えるものでもあり、離れにくくするものでもあると感じる。
不安なのは、仕事がなくなることだけではない。判断を求められる位置から、別の人の判断を支える位置へ移れるのか。自分が中心にいなくても仕事が進む状態を、寂しさではなく引き継ぎの結果として受け止められるのか。
管理職になったときの準備はあっても、管理職を終える練習はあまりしてこなかった。
これは出世や制度の話ではなく、役職を持ったまま出口へ近づいている、一人の会社員の実感である。
肩書きは、思っていたより体に染み込んでいた
管理職になったからといって、急に自分が変わったわけではない。
最初のころは、自分で手を動かした方が早い場面でも、人に任せることに戸惑った。正解が見えないまま、方向を示さなければならないこともあった。
それでも毎日続けるうちに、「そういう役割の人間」として振る舞うようになる。
会議で意見を求められる。部下の相談を聞く。上からの方針を、自分の言葉に置き換える。うまくいかない案件があれば、最後は自分が受け止める。
いつの間にか、管理職ならここで引いてはいけない、弱音を見せない方がよい、嫌われても成果を優先すべきだと考えるようになっていた。誰かに言われたというより、自分で役割に合わせてきたのだと思う。
そこで、ふと不安になる。
若いころに苦手だと感じていた上の人に、今の自分は近づいていないだろうか。私も誰かにとっては、話しかけにくい上司になっているかもしれない。
肩書きは名札ではない。周囲からの見られ方だけでなく、自分が自分を見る基準にもなっていた。
だから、外れることが怖い。
役職がなくなると、会社の中の位置だけでなく、自分の振る舞い方まで分からなくなるように感じるのだと思う。
憧れた先輩は、会社の外でも同じ人だった
前の職場に、当時の私にはとても格好よく見えた先輩がいた。
役職が高い人ではなかった。それでも、技術力と実績で周囲の信頼を得ていた。人柄もよく、その人を悪く言う後輩はいなかった。
一方で、信念を貫く人でもあった。正しいと思ったことは、相手が上司でも会社でも、そのまま口にする。立場のある人から見れば、扱いやすい相手ではなかったかもしれない。
その先輩が定年を迎える年、会社から残るように言われていたようだが、あっさり辞めていった。
しばらくして、関連会社の担当として打ち合わせに現れた。
会社のしがらみにとらわれず、やりたい仕事に集中できる。新しい環境も楽しい。
そう笑って話す姿は、以前と変わらなかった。
役職がその人を立たせていたのではない。会社という後ろ盾を離れても、仕事への向き合い方と人との接し方が残っていた。
私は、あの先輩のようになれるだろうか。
同じ道を選ぶ必要はない。ただ、会社の名前や役職がなくても、以前と同じ調子で人と仕事に向き合えるだろうかと考える。
先輩の姿を思い出すたび、管理職を終える準備は、新しい肩書きを探すことではなく、自分の中に何を残すかを確かめることなのだと思う。
定年後も働けることと、同じ役職でいられることは別だった

定年後の働き方には、定年の引き上げ、継続雇用、別の会社へ移ることなど、いくつかの形がある。
厚生労働省の高齢者雇用対策の案内では、65歳までの雇用確保について、企業は定年の引き上げ、定年制の廃止、継続雇用制度の導入のいずれかを実施すると説明されている。
ただし、働き続ける仕組みがあることと、役職、仕事内容、勤務条件が今と同じことは別である。実際の扱いは会社の就業規則や制度を確認しなければ分からない。
私は前の職場で、定年後に役割や処遇が変わりながら働く先輩たちを見てきた。
役職を離れた人への周囲の接し方が、少しずつ変わることもあった。誰かが冷たくなったというより、決める人が変われば、相談や情報が集まる場所も変わる。組織が次の世代へ移る以上、自然な変化なのだと思う。
頭では理解できる。
それでも、自分が同じ立場になったとき、気持ちが追いつくかは分からない。これまで判断していたことを、別の人の判断に任せる。会議で自分が先に話さない。部下だった人が責任者になれば、その方針を尊重する。
管理職を終える難しさは、役職名が消えることより、周囲の動き方が変わることを受け入れるところにあるのかもしれない。
出口で残すものと、手放すものを分けてみた
定年までに全部を渡そうとすると、何も終わらない。
そこで、管理職として残すものと、手放すものを分けて考えるようになった。
| 残しておきたいもの | 手放してよいもの |
|---|---|
| 判断に使った基準と経緯 | 自分と同じ結論を出してほしいという期待 |
| 問題が起きやすい場所と相談先 | 自分だけが知っている状態 |
| 失敗したときの戻り方 | 自分のやり方へのこだわり |
| 次の責任者が決められる余白 | 最後まで自分が中心にいる感覚 |
資料や手順だけを残しても、なぜその確認が必要なのかが分からなければ、次の人は同じ場面で迷う。
反対に、過去の判断を正解として固定してしまえば、後継者は自分の判断を持ちにくい。環境も道具も相手も変わる。私のやり方をそのまま再現してもらうことが、引き継ぎの目的ではない。
残したいのは答えよりも、考えた順番である。
何を先に確かめたか。どこから先は一人で決めず相談したか。問題が起きたとき、どこまで戻れば立て直せたか。そこまで言葉にできれば、次の人は自分のやり方へ変えていける。
定年までに会社へ何を残すかを考えたときも、会社に置いていく記録と、自分の中に残る経験を分けた。030番で考えたいのは、その記録を残したあとに、自分が決める位置から離れられるかということである。
引き継ぎが進んだ印は、自分を通らず仕事が動くこと
以前の私は、自分を通らず話が決まると、どこか落ち着かなかった。
聞いていない。先に相談してほしかった。そこには注意点がある。そう言いたくなる。
もちろん、安全、法令、顧客との約束など、管理職として止めなければならない線はある。ただ、自分の進め方と違うだけなら、口を出さなくてよい場面もある。
引き継ぎが進めば、自分への相談は減る。
会議で自分が話す前に、若い人同士で方向が決まる。確認の連絡が自分を経由しなくなる。これまで自分が説明していた相手へ、後継者が直接説明するようになる。
以前なら、役割が小さくなったように感じたかもしれない。
今は、それが目指していた状態なのだと考えたい。自分を通らなくても仕事が回ることは、必要とされなくなった証拠ではない。自分がいなくても続く形に近づいたということである。
若い世代へ仕事を任せるときの怖さや、口を出す線引きは、会社で若い世代に任せるのが怖かったに分けて書いた。
管理職の出口で必要なのは、任せ方の技術だけではない。
自分への相談が減る時間に耐え、必要なときだけ支える位置へ下がること。その変化を、自分の価値が下がった話にしないことも必要なのだと思う。
肩書きの外へ持ち出せるのは、権限ではなく姿勢だった
役職名、決裁権、社内の人間関係は、会社という場所があって意味を持つ。
会社の外へ、そのまま持ち出すことはできない。社内の資料や情報を自分のものとして持っていくこともできない。
それでも、残るものはある。
人の話を聞くこと。複雑な状況を整理すること。急いで結論を出さず、必要な順番を考えること。失敗したとき、感情だけで誰かを責めず、立て直す方法を探すこと。
憧れた先輩に残っていたのも、そういう仕事への姿勢だったのだと思う。
私はブログを書くようになって、会社の中では言葉にしないことを少しずつ整理している。親の老い、実家のこと、定年後への不安。役職とは関係のない時間に、自分で始めて、自分で続ける。
会社の外に大きな居場所ができたわけではない。それでも、役職がない時間を先に持っておくことは、管理職の自分だけが自分の全部ではないと確かめる練習になっている。
65歳を境に何をするかという広い不安は、65歳をゴールだと思っていた自分を疑い始めた記事で考えた。ここでは、管理職を終える前の準備に集中したい。
管理職を手放す準備は、今日の会議から始められる
定年の日に、急に管理職の自分を降ろすのは難しい。
本当は、その前から少しずつ位置を変えていくものなのだと思う。
会議で、最初に答えを言わず、次の人の考えを聞く。
自分しか知らない経緯を、判断の理由とともに記録する。
相談を受けたら、結論を渡す前に、本人がどう考えているかを確かめる。
自分を通らず仕事が進んだとき、すぐに取り戻そうとしない。
一つひとつは、小さなことだ。
それでも、決める人から、次に決める人を支える人へ、少しずつ位置を変える練習になる。
管理職だった時間を否定する必要はない。担ってきた責任も、そこで迷った時間も、自分の一部である。
ただ、その役割に最後までしがみつけば、次の人も動きにくくなり、自分も次の場所へ移れない。
今も、不安がなくなったわけではない。
役職が外れたあとに、静かに一歩下がれるかは分からない。会社の外で、あの先輩のように自然体でいられるかも分からない。
それでも、管理職を終える日は、何かを失う日だけではない。自分が握っていたものを次へ渡し、会社の外へ持ち出せる自分の姿勢を確かめる日でもある。
その日に慌てないように、今日の仕事の中で、少しずつ自分の位置を変えていきたい。
定時のあとの時間を使って、肩書きの外へ立つ準備を進めていく。

