母の介護保険について、最初に私は大きな思い違いをしていた。
認定された要介護度が低かったとき、「この程度ではあまり頼めない」と受け止めてしまった。退院後の母はストマのある生活に慣れておらず、体力も落ちていた。それでも、認定結果の数字だけを見て、使えるサービスは限られているのだろうと思い込んだ。
今振り返ると、そこが最初のつまずきだった。
区分を変えようとしたわけではない。要介護度を上げてもらおうと動いたのでもない。ただ、区分がどういう基準で決まるのかを調べて、今の母に何ができるのかを知りたかった。調べてみると、要介護度を上げることが目的ではなく、今の生活で何に困っているのかを正しく伝えることが大事なのだと、少しずつ分かってきた。
今回は、母の介護保険の区分を調べたときに、私が感じたことを整理しておく。
最初の認定を、私は軽く見てしまった

母が退院する前後、病院のソーシャルワーカーに相談しながら介護保険の申請を進めた。
当時の私は、介護保険についてほとんど知らなかった。高齢の親が一人で暮らすなら、何か支援を受けるために必要な制度なのだろう。その程度の理解だった。
認定調査があり、主治医の意見書があり、しばらくして結果が出た。
結果を見たとき、私は少し拍子抜けした。母は退院直後で、歩く距離も限られていた。ストマの管理も始まったばかりだった。買い物も通院も一人では難しい。こちらから見ると、かなり支援が必要な状態に見えていた。
それでも、認定された要介護度は低かった。
そのとき私は、「この等級ではたいして頼めない」と思ってしまった。制度をよく知らないまま、数字だけを見て判断した。だからヘルパーの利用も最小限にし、買い物や食事のことは家族で何とかする方向に寄せた。
今なら、少し違う受け止め方をすると思う。
要介護度が低いことは、支援が不要という意味ではない。使える範囲の中で何を組み合わせるかを考える入口だった。それなのに私は、入口の前で勝手に狭いと決めつけていた。
母のためというより、自分の理解不足で選択肢を減らしていたのだと思う。
区分は、点数を取りに行くものではなかった
要介護度を上げてもらおうという気はなかったが、区分がどう決まるのかは知っておきたかった。それで、介護保険の仕組みを調べ直した。
最初に印象に残ったことがある。
要介護認定は、病気の重さそのものではなく、どれくらい介護の手間が必要かを見る仕組みだということだ。厚生労働省の説明でも、病気の重さと要介護度の高さは必ずしも一致しないとされている。
これは、言われてみれば当然かもしれない。
同じ病名でも、生活の困り方は人によって違う。体は動いても見守りが多く必要な人もいれば、病気は重くても家の中の動作はある程度できる人もいる。家の環境や家族の支援によっても、見え方は変わる。
母の場合も、病名や手術の大きさだけで見ると、家族としてはもっと支援が必要に思えた。
しかし認定で見られるのは、日常生活でどれくらい介助や見守りが必要かという部分だ。本人がどこまで動けるか。何に手助けがいるか。どの場面で危ないか。そういう具体的な生活の中身が大事になる。
このことを理解していなかったので、私は最初、認定結果を「低く見られた」と感じていた。
だが、そういう話ではなかったのだと思う。
必要なのは、点数を取りに行くように困りごとを並べることではない。母を必要以上に弱く見せることでもない。反対に、母が元気に見えるところだけを伝えてしまうことでもない。
事実を、生活の場面に分けて伝えることだ。
入浴はどうしているか。
掃除はどこまでできるか。
買い物に行ける季節と行けない季節があるか。
薬やストマ用品を自分で管理できるか。
電話に出られないとき、家族はどう判断しているか。
通院や役所の手続きに、誰が付き添っているか。
こうしたことを一つずつ整理しないと、親の暮らしは外から見えない。
区分を調べるというのは、要介護度を上げるための作業ではなく、今の生活を正確に見てもらうための準備なのだと思うようになった。ちなみに、母の区分は今も最初のまま変わっていない。変えることが目的ではないと分かったので、それでいいと思っている。
生活が落ち着くほど、困りごとは見えにくくなる
実家の離れで母の一人暮らしが始まってから、生活は少しずつ落ち着いていった。
昼食は配食サービスを使うようになった。買い物は私が週に一度ほど行く。電話で様子を聞き、必要なものを確認する。ストマ用品の受け取りや通院の付き添いは、今もこちらで対応している。
母にとって買い物は、ただの用事ではない。車という足を手放してから、外に出る機会はぐっと減った。人と顔を合わせることも少なくなった。だから一緒に買い物に行く日は、数少ない外出であり、楽しみのひとつになっているようだ。私が行く日を心待ちにしている。
正直に言えば、毎週続けることが楽なわけではない。それでも、母が楽しみにしているのも事実だし、できる範囲で続けている。
大きな事故が起きていないことは、ありがたい。
ただ、生活が落ち着いて見えるほど、困りごとは外から分かりにくくなる。
母は「大丈夫」と言うことが多い。できないことを一つずつ説明するより、今できていることを先に言う。これは母の性格でもあるし、その世代には珍しくない感覚なのだと思う。
ただ、「大丈夫」と言うときほど、確かめてみると大丈夫でないことが少なくない。スマホはほとんど使えず、役所や薬局の手続きを一人で進めるのは難しい。最近は、間違った手続きをしてしまわないよう、何かあれば必ず私に相談してほしいと伝えている。
訪問すると、細かい変化も見える。
食品を多めに買い置きする傾向がある(以前よりは減ってきた)。
電話に気づかないことがある。
通院や薬局の手続きは一人では難しい。
ストマ用品の管理にも、こちらの確認が必要になる。
ひとつひとつは、小さなことだ。
しかし、その小さなことが重なると、一人暮らしを続ける負担になる。家族が訪問して補っているから回っているだけで、本人だけで成り立っているわけではない。
この「家族が補っている部分」は、外から見えにくい。
認定調査のとき、本人が「できます」と言えば、できているように聞こえる。家の中で何とか歩ければ、生活できているように見える。だが実際には、買い物、通院、薬、ストマ用品、食事、電話、季節ごとの体調管理を家族が横から支えている。
区分を調べるとき、まず見なければならないのは、要介護度を上げたいという気持ちではない。
今の暮らしが、何によって成り立っているのか。
そこを言葉にすることだった。
ケアマネジャーに相談する前に、暮らしを書き出した

区分を調べながら、まずやったのは、母の困りごとを書き出すことだった。
きれいな資料ではない。ノートに思いつくままに書いた。
買い物。
通院。
ストマ用品。
電話。
食事。
暑さと寒さ。
掃除。
ゴミ出し。
お金や書類。
書いてみると、母本人が困っていることと、家族が困っていることは少し違うと分かった。
母本人は、買い物に行けない日や体調の波を気にしている。一方で私は、電話に出ないときの判断や、通院のたびに仕事を調整すること、薬局や役所の手続きが平日にしか進まないことを重く感じている。
どちらも大事だ。
ただ、介護保険で見てもらうべきなのは、家族の都合そのものではなく、母の生活にどんな支援が必要かという点だ。そこを混ぜると、話がぼやける。
だから、書き出すときは分けて考えるようにした。
母が一人でできること。
母が一人では難しいこと。
家族が補っていること。
外のサービスに任せられそうなこと。
こうして分けると、相談の仕方が少し変わる。
「区分を上げてほしい」と言うより、「今こういう場面で支援が必要になっている」と伝えた方が、話が前に進む。ケアマネジャーに相談するときも、感情だけで話すより、生活の事実を持っていく方がいい。
親の介護は、どうしても不安が先に立つ。
このままで大丈夫なのか。もっとサービスを使えないのか。自分たちだけで支え続けられるのか。そういう気持ちは出てくる。
ただ、不安をそのままぶつけても、相手は判断しにくい。何に困っているのか、どの場面で支援が必要なのか。そこまで落とし込んで初めて、相談になるのだと思う。
「大丈夫」の裏側と、近所への気がね
介護保険の話で難しいのは、本人の前で生活の困りごとを話さなければならない場面があることだ。
母は、人に頼ることを快く思わない人だと思っていた。できることは自分でやりたいのだろう、と。
ただ、実際にはそう単純でもない。困ったときには、誰かに頼ることもある。手続きや段取りを一人で進めるのは難しく、誰かが間に入らないと物事が前に進まない場面が増えてきた。それでも、頼ったことを私には言わない。頼ること自体より、私に心配や負担をかけることを避けたいのだと思う。
以前、こんなことがあった。
母が、近所の方に用事を頼んでいたことがあった。私はそれを後から、頼まれたご近所の方から聞いて知った。母は、私に知られると気を遣わせると思ったのか、そのことを話していなかった。お礼も伝えられないままになっていて、私は申し訳ない思いをした。
悪気があったわけではない。私に心配をかけたくなかっただけだと思う。
ただ、こういうことがあると、私が定期的に顔を出さないと、ご近所に迷惑をかけてしまうのではないか、という気がねも出てくる。
その母の前で、「ここができていない」「これは危ない」「家族が支えている」と話すのは、気が進まない。
本人の力を奪うように聞こえないか。
年寄り扱いしているように受け取られないか。
母の自尊心を傷つけないか。
そう考えると、つい言葉を弱めてしまう。
しかし、言葉を弱めすぎると、必要な支援が伝わらない。
ここが難しい。
母を責めるために話すのではない。できないことを並べて、本人を小さく見せるためでもない。今の暮らしを続けるために、どこを外から支えてもらうかを考えるために話す。
そう自分に言い聞かせながら、言葉を選んだ。
たとえば「できない」ではなく、「一人でやるには負担が大きい」と言う。「危ない」ではなく、「見守りがある方が安心だ」と言う。「家族が大変だ」ではなく、「家族が行けない日にも続く仕組みが必要だ」と言う。
言い換えで現実を隠すわけではない。
母の尊厳を残しながら、必要な支援を伝えるための言葉を探す。介護保険の相談では、そこにも気を使うのだと知った。
サービスを増やすことは、敗北ではない

以前の私は、家族でできることは家族でやるべきだという感覚が強かった。
買い物も、通院も、書類も、母のことなら自分が動けばいい。自分が一人っ子である以上、自然と自分が動くものだ。どこかでそう思っていた。
だが、実際に続けてみると、家族だけで支えることには限界がある。
私は仕事をしている。妻にも生活がある。出張もあれば、体調を崩すこともある。道路が混めば実家まで時間がかかる。夜に電話がつながらないだけで、判断に迷うこともある。
こちらが無理をすれば、一時的には回る。
しかし、無理を前提にした仕組みは長く続かない。私一人に頼った形が、この先ずっと続けられるとは限らない。
配食サービスを使い始めたときもそうだった。最初はどこか後ろめたさがあった。だが今は、母の昼食が毎日届くことが暮らしの土台になっている。サービスを入れたことで、家族の関わりが薄くなったわけではない。むしろ、家族が見るべきところが少し整理された。
介護保険のサービスも、同じように考えればいいのだと思う。
ヘルパーを頼むことは、家族が手を抜くことではない。親を外に任せることでもない。家族だけでは見えにくい部分を、外の目で支えてもらうことだ。
サービスを増やすことは、敗北ではない。
親の生活を長く続けるための、現実的な調整なのだと思う。
区分を調べて、見えたこと
介護保険の区分を調べたことで、私は要介護度そのものより、母の暮らしを見る目が少し変わった。
何ができて、何が難しいのか。
家族がどこを補っているのか。
外のサービスに任せた方がよい部分はどこか。
母が自分で続けたいことは何か。
こうしたことを、以前より分けて考えるようになった。
要介護度が上がるかどうかは、こちらが決めることではない。認定には決まった流れがあり、調査や主治医の意見書、審査を経て判断される。家族にできるのは、今の生活をできるだけ正確に伝えることだ。
そのためには、日ごろから見ておく必要がある。
訪問したときに何を見るか。
電話で何を聞くか。
配食サービスの受け取りに変化はないか。
通院や薬の管理で困っていないか。
季節によってできることが変わっていないか。
区分を調べることは、書類上の知識を得ることであると同時に、親の暮らしを見直すきっかけでもあった。
母の一人暮らしが、いつまで今の形で続けられるかは分からない。どこかで支援を増やす必要が出てくるかもしれない。住まいの見直しを考える日も来るかもしれない。
そのときに慌てないためにも、今の暮らしを見える形にしておきたい。
まだ、分からないことは多い。制度のことも、サービスの選び方も、母のこれからの変化も、全部を見通せているわけではない。
それでも、最初のように「等級が低いから頼めない」と決めつけることだけは、もうしないでおきたい。
親の状態を見て、必要な支援を考え、専門職に相談する。
派手な解決ではないが、今の私にできる準備はそこからだ。
定時のあとの時間を使って、少しずつ見直していく。


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