退院前に病院で説明は受けた。実物も見せてもらった。それでも、家に戻ってから母のストマが日々どんな状態にあるのかは、私にはほとんど分からないままだった。
パウチの交換がうまくできているのか。装着部に問題は起きていないか。食事は合っているのか。見当もつかないまま日々が過ぎていった時期があった。あれから一年が経った。少しずつ、分かってきたことがある。
退院前に、家族も一緒に説明を受けた
退院が近づいた頃、病院から「家族にも同席してほしい」と声がかかった。妻と二人で出向き、医師と看護師から説明を受けた。
実物を見たのは、そのときが初めてだった。体の外に管が出て、パウチが接続されている。これから一緒にやっていくものだ、と頭では理解しながらも、すぐには飲み込みきれない感覚があった。母は説明を聞きながら、静かに頷くだけだった。
家族が同じ場で説明を受けておくことの意味は、後になって分かってきた。家でパウチを目にしても、こちらも自然に振る舞えたし、母に余計な気遣いをさせずに済んだ。最初に同じ景色を見ておく時間が、家族にはあってよかったと思っている。
生活のかたちが少しずつ変わった
退院後しばらくして、いくつかの「新しい当たり前」が増えた。
外出するときは、妻が用意したリュックに緊急時のストマセットを入れて持ち歩く。準備は妻が早くから整えてくれていた。家族で一緒に出かけるときには、玄関で「リュック持った?」と声をかけるのが自然なやりとりになった。
服装も、腹部を圧迫しないゆったりとしたものを選ぶようになった。母なりに、無理のない形を探しながら整えていったように見えた。
体の世話については、母はできるだけ自分でやろうとしていた。今の段階で下の世話まで人に頼むことには、恥じらいの気持ちがあったのだと思う。自分でできる範囲は自分でやる、というやり方が、そのまま回復のペースを母なりに作っていく形になっていた。
接続部の扱いに慣れるまでには少し時間がかかった。慣れるまでのあいだは、ストマのことをふと忘れて、何かにぶつけたり引っかけたりすることもあったらしい。幸い、大事には至らなかった。
一年後の小さな前進
ある日、母が一人で近所のスーパーに歩いて行ったという連絡が来た。
離れから徒歩で行ける距離に、小さなスーパーが一軒ある。退院直後は、そこまで歩くことが目標の一つだった。実際にできるようになるまで、一年近くかかった。
最初に「一人で行ってきた」と聞いたときは、少し驚いた。当たり前に見えることが当たり前にできるようになるまでの距離は、退院直後の様子を知っているとよく分かる。
ただ、実家のあたりは夏が長く、冬は山から冷たい風が吹き下ろす土地だ。加えて、ここ数年の夏は猛暑が当たり前になり、年寄りが昼間に歩くこと自体が危険な日が続く。冬は冬で、外を歩けば体が芯から冷える。年寄りが一人で歩いて買い物に行ける季節は、思いのほか短い。歩ける時期にどれだけ自分で動けるか、というのが今のところの現実的な目安になっている。歩けない時期は私や配食サービスが補う形で回している。
食欲も、一年ほどして戻ってきた。もともと食べることが好きな人で、食事を楽しめるようになったのが嬉しかったのか、しばらく食べすぎて、医師から少し控えるように言われたこともあった。食欲が戻ったこと自体は、よい方向の変化として受け止めている。
買い物に行ける日が増えるにつれて、食品の買いだめも自然と落ち着いていった。
変わらないこと、続いていること
一年経っても、変わらないことはある。
定期通院は続いていて、私が付き添う。頻度は最初より落ち着いてきた。ストマ用品の受け取りも、特定の薬局でしか扱いがなく、免許を返納した母には行けない場所だ。受け取りは私が担当している。
体調の変化を伝えてくる回数は増えた。以前は黙っていた小さなことを、電話で話してくれるようになった。声だけで状態を判断するのはまだ難しいが、伝えてくれること自体は良いことだと思っている。
「慣れた」と「大丈夫」は違う
一年という時間が経つと、こちらも慣れてくる。
訪問のたびに異変を探すような構えは、最初より薄れた。それは自然なことでもあり、少し気をつけたいことでもある。「いつも通り」が続くと、変化に気づくのが遅れる。
母自身も慣れてきた部分はある。慣れることと、問題がなくなることは別だ。ストマは元に戻るものではない。変わったのは、その状態の中でどう動くかの感覚を、母なりにつかんできたということだ。
私の方も、何をどこまで確認すればよいか、少しずつ整理されてきた気がする。
定時のあとの時間を使って
月数回の訪問では、話す内容が変わってきた。
最初は体の状態の確認が中心だった。一年が経った頃には、買い物の様子や近所の話も出てくるようになった。会話の中身が変わったことは、母の生活が落ち着いてきた一つの表れだと思っている。
一年後に「あのころより良くなっている」と言えるのは、当たり前ではない。ありがたく受け止めていることの一つだ。
定時のあとの時間を使って、少しずつ関わりを続けていく。


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