実家の片付けは、考え始めるだけで気が重くなる。
母屋、離れ、大工小屋。押し入れ、納戸、古い棚、使わなくなった家電、父の道具。どこを見ても、何十年分の暮らしが積み重なっている。少し片付けようと思っても、目に入る量が多すぎて、最初の一歩で止まってしまう。
私の実家も、まだほとんど片付いていない。
母は離れで一人暮らしをしている。母屋は空き家に近い状態で、大工小屋には父の道具や古い農機具が残っている。
私は毎週、実家に通っている。ただ、仕事帰りの夜に寄ることが多く、その時間から片付けを始めようという気にはなかなかならない。週末に行くと、明るいうちに大工小屋や荒れた庭が目に入る。草木が伸びる時期は、道路側の垣根や、駐車場として使っている一角の雑草、道路にはみ出した枝が気にかかる。
全部に手は回らないので、人様の迷惑になりそうなところだけでも、と草を刈って帰る。家の中の整理は、いつかやろうと思ったまま、先に延びている。
ただ、最近は少し考え方を変えた。
実家の片付けは、いきなり物を捨てる作業ではない。最初にやるべきなのは、家の中に何があり、どこに判断が必要で、何なら今動かしてもよいのかを見えるようにすることだと思うようになった。
今回は、実家の片付けを何から始めるかを、自分の家に置き換えて整理しておく。
いきなり捨てようとすると止まる
実家の片付けで、最初に浮かぶのは「捨てる」ことだ。
古い服を捨てる。使わない食器を捨てる。壊れた家電を捨てる。何年も開けていない段ボールを捨てる。
たしかに、最終的には処分しなければならないものが多い。
しかし、最初から捨てようとすると、そこで止まりやすい。
これは残すべきか。
親に聞いた方がいいのか。
誰かの思い出のものではないか。
まだ使えるのではないか。
処分費用はいくらかかるのか。
一つひとつに判断が必要になる。
実家のものは、自分の持ち物とは違う。自分の家なら、使っていないものを自分の判断で処分できる。だが実家のものには、親の記憶があり、父の仕事があり、家族の時間がある。
特に私の実家には、父の大工道具が残っている。
道具として見れば、もう使う予定はない。だが、父が仕事で使っていたものだと思うと、簡単に処分していいとは言えない。古い農機具や祖母の代から残っているものも同じだ。価値があるかどうかではなく、誰の判断で終えるのかが難しい。
しかも最近は、その大工小屋に入ること自体が難しくなった。メインの入り口の扉が朽ちて、開かなくなってしまったのだ。力を入れてどうにか開けても、今度は閉めるのに苦労する。父が元気なら、こういうものはあっという間に直してしまっただろう。だが私には、そのスキルがない。
入れなければ、片付けようがない。何を残すか以前のところで、ハードルが一段上がってしまった。
だから、最初の作業を「捨てる」にしない方がいいのだと思う。
まずは見る。分ける。記録する。
捨てるかどうかは、そのあとでいい。
最初は生活に関係する場所から見る
実家の片付けといっても、場所によって意味が違う。
今、親が暮らしている場所。
もう使っていない場所。
重要書類がありそうな場所。
思い出の品が多い場所。
危険や不便につながる場所。
これを全部同じように扱うと、作業の順番が見えなくなる。
私の場合、母が暮らしているのは離れだ。離れは平屋で、母屋よりもコンパクトで、退院後の一人暮らしには向いている。ここは母の現在の生活そのものなので、むやみに片付ける場所ではない。
ただし、生活に関係する場所だからこそ、見ておく必要がある。
ストマ用品が取り出しやすいか。
薬や書類が一か所にまとまっているか。
食品が重なっていないか。
床に物が増えて歩きにくくなっていないか。
暑さ寒さに関係するものが使いやすい場所にあるか。
こうした場所は、片付けというより暮らしの整備に近い。
親の生活を変えるためではない。今の生活を続けるために、危ないところや困りそうなところを先に見る。実家整理の入口は、思い出の品を捨てることより、親が毎日使う場所を少し楽にすることなのだと思う。
母屋や大工小屋に手をつけるのは、その次でいい。
母が今使っていない部屋は、急いで片付けなくても生活は回る。反対に、離れの動線や食品、薬、書類が散らかると、毎日の暮らしに影響する。
実家全体を見る前に、まずは親が今日使う場所を見る。
その順番を間違えないようにしたい。
捨てるものより、探すものを先に決める

実家の片付けを始めるとき、処分するものを探すより先に、探すものを決めておいた方がいい。
私が最初に見つけたいと思っているのは、重要書類だ。
通帳。
印鑑。
保険証書。
土地や建物に関係する書類。
固定資産税の通知。
年金や医療、介護保険に関係する書類。
親戚や近所の連絡先。
墓やお寺に関係するもの。
母が入院したとき、私はこうしたものの場所が分からず慌てた。
通帳はあっても、どの印鑑と組み合わせるのか分からない。保険証書は古いものと新しいものが混ざっていて、どれが有効なのか判断しにくい。土地の権利書の場所も、すぐには分からなかった。
あのとき、実家の片付けとは、物を減らすことだけではないと実感した。
必要なものが、必要なときに見つかる状態にすること。
これも大事な片付けだ。
だから、最初は「何を捨てるか」ではなく、「何を探して、どこに置くか」を決める。
書類を一つの箱にまとめる。通帳や印鑑の所在をメモする。保険証書は新旧を分ける。固定資産税の通知を保管する場所を決める。親戚の連絡先は電話の近くにも置く。
これだけでも、次に何かあったときの不安は少し減る。
片付けの成果は、ゴミ袋の数だけでは測れない。
探しものの時間が減ること。家族が状況を分かること。親本人が聞かれたときに答えやすくなること。そういう変化も、実家整理の大事な進み具合なのだと思う。
一部屋ではなく、一か所だけ開ける

実家の片付けを一日で進めようとすると、どうしても大きな単位で考えてしまう。
今日は母屋の一部屋を片付ける。
押し入れを全部出す。
大工小屋の中を整理する。
そう決めると、作業量が大きくなりすぎる。
実家にいられる時間は限られている。買い物や通院、母の様子を見ることもある。半日あっても、実際に片付けに使える時間は思ったほど多くない。
だから、最初は一部屋ではなく、一か所でいい。
引き出し一段。
棚一段。
押し入れの上段だけ。
玄関の靴箱の一部。
台所の食品棚の一か所。
小さすぎるくらいでちょうどいい。
一か所だけなら、親にも頼みやすい。「この棚だけ一緒に見てもいいか」と言える。全部出してしまって収拾がつかなくなることも少ない。時間が来たら戻せる。
このとき大事なのは、作業後に散らかったまま帰らないことだ。
実家は、親がそのあとも暮らす場所だ。こちらが片付けたつもりでも、親にとって使いにくくなれば意味がない。物の場所を変えるなら、母が分かるようにしておく。捨てるものは本人に確認する。迷うものは、迷う箱を作って先送りにしてもいい。
片付けは、前に進めることだけが目的ではない。
親の暮らしを乱さないことも、同じくらい大事だ。
写真を撮るだけでも前に進む

片付ける時間がない日でも、できることはある。
写真を撮ることだ。
母屋の部屋を撮る。押し入れの中を撮る。大工小屋の入口から中を撮る。棚や段ボールの状態を撮る。外回りや雨どい、草の伸び方も撮っておく。
最初は、写真を撮るだけで何の意味があるのかと思っていた。
しかし、自宅に戻ってから見返すと、実家の状態を少し冷静に見られる。現地で見ていると、気持ちが先に動く。懐かしさもあるし、量の多さに圧倒されることもある。ところが写真にすると、どの場所から手をつければよいかが少し見えてくる。
この棚は書類が多そうだ。
この部屋は今すぐではなくてもよさそうだ。
この家電は処分方法を調べておいた方がいい。
この場所は転倒しやすいかもしれない。
そうやって、自宅で次の一手を考えられる。
業者に相談する日が来たときにも、写真は役に立つはずだ。家の広さや荷物の量を言葉だけで伝えるのは難しい。写真があれば、見積もり前の相談もしやすくなる。
もちろん、親の暮らしを勝手に撮ることには配慮がいる。
母に黙って部屋の中を撮るのではなく、「後で整理の相談をするために撮っておきたい」と伝える。見られたくない場所は撮らない。写真は家族内で使うだけにする。
写真を撮ることは、片付けの代わりではない。
けれど、片付ける前の地図にはなる。
親の判断が必要なものを分けておく
実家の片付けで一番難しいのは、判断する人が自分だけではないことだ。
親が残したいもの。
親も忘れているもの。
自分には価値が分からないもの。
親戚や近所との関係があるもの。
父や祖母の記憶につながるもの。
こういうものは、子どもだけで決めない方がいい。
反対に、明らかに判断しやすいものもある。
期限の切れた食品。
壊れて使えない日用品。
同じものが何個もある空き箱。
古い説明書や不要なチラシ。
母が今後使わないと分かっている消耗品。
こうしたものは、本人に確認しながら少しずつ処分できる。
つまり、最初にやることは、残すか捨てるかをその場で全部決めることではない。
判断が必要なもの。
確認すれば処分できるもの。
すぐには触らないもの。
この三つに分けることだと思う。
父の大工道具は、私にとって「判断が必要なもの」だ。電動工具やノコギリ、ノミ、カンナなど、職人の道具がそのまま残っている。今すぐ使わないからといって、処分の箱には入れられない。母にも聞きたいし、自分の気持ちもまだ追いついていない。
正直に言えば、大切な道具が整理されないまま置かれていることに、もどかしさを感じることもある。けれど、母には母の、触れずにおきたい思いがあるのかもしれない。自分の考えだけが正しいとは限らない。そう思って、強くは言わないようにしている。
一方で、古い空き箱や壊れた日用品は、時間をかけて迷うものではない。そういうところから減らしていけばいい。
実家整理は、気持ちの整理でもある。
気持ちが追いつかないものまで、無理に決めなくていい。決められるものから先に動かす。その積み重ねで、いつか大きな判断に向かう準備ができるのだと思う。
これまでに手放せたものもある
すべてが止まっているわけではない。実家の片付けで、これまでに手放せたものもある。
母の退院後、妻が整理に来たとき、驚くほどの量の衣類が出てきた。ストマになって着られる服も変わり、体型も変わっている。母は物を捨てるのが苦手な人で、最初は全部いると言っていた。ただ、年代的にもサイズ的にも、これから袖を通すことはないだろうという服が多かった。妻は迷わず仕分けていった。
これだけの服を買っていたのか、と驚く量だった。それでも、一人暮らしになった母にとって、服を選ぶことは数少ない楽しみの一つだったのだろうと思うことにした。そう考えると、気持ちは少し収まった。
食器も多かった。田舎では昔、法事や葬儀を家で営む習慣があり、店かと思うほどの数がそろっていた。その文化も時代とともに薄れてきたので、母を説得して大半を手放した。石油ファンヒーターも、置いておけば使ってしまうかもしれないと思い、処分した。暖房は安全のため、すでに電気式に替えてある。
こうしたやり取りの中で、自分のことも少し見えた。私は迷ったとき、残す方に舵を切る。これはおそらく、母から受け継いだものだ。妻に「あなたもお母さんと同じね」と言われたときは、図星を指されたようで、少しばつが悪かった。
妻は迷わず手放せる人なので、片付けのときは頼りになる。思い返せば、我が子も物をためこむ方で、妻に片づけられて嘆いていたことがあった。こういうところは、案外似るものらしい。
だから私は、「確認すれば手放せるもの」と「まだ手元に置いておきたいもの」を分けるようにしている。父の道具は、後者だ。ただ、自分の癖を知っているからこそ、「とりあえず残す」がそのまま「ずっと決めない」にならないよう、気をつけていたいと思う。
片付けは、親の暮らしを終わらせることではない
実家の片付けを口にすると、親は身構えるかもしれない。
自分の暮らしを否定されたように感じる。早く片付けてほしいと思われているように受け取る。家を明け渡す準備をさせられているように感じる。
そうならないように、言葉には気をつけたい。
私自身も、母に「片付けよう」と言うとき、どこかで言い方を探している。
母の暮らしを終わらせたいわけではない。母が離れで一人暮らしを続けられるように、危ないものを減らし、必要なものを見つけやすくし、家族が状況を把握したいだけだ。
母屋や大工小屋の問題も同じだ。
すぐに壊すと決めたわけではない。父のものを雑に扱いたいわけでもない。ただ、自分が知らないまま残し続けると、最後にもっと大きな負担になる。その負担を、子どもにそのまま渡したくない。
だから、片付けは親の暮らしを終わらせるためではなく、次の世代に重すぎる形で残さないための準備なのだと思う。
一気に答えは出ない。
私の実家も、まだ母屋は残っている。父の道具も残っている。仏壇も墓も、これから考えなければならない。分かっていても、すぐに動けないものはある。
それでも、最初の一か所を開けることはできる。書類を一つまとめることはできる。写真を撮ることはできる。母に、次に来たとき一緒に棚を見たいと伝えることはできる。
実家の片付けは、決断の連続ではなく、小さな確認の積み重ねなのだと思う。
まずは捨てるより、見る。減らすより、分ける。急ぐより、続ける。
今のところ、これが私にできる始め方だ。
定時のあとの時間を使って、少しずつ進めていく。


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