50代後半になって、会社の外に自分の場所を持ちたいと思うようになった。
私が始めたのは、このブログを書くことだ。人を雇うわけでも、事務所を構えるわけでもない。分からないことを調べ、自分の言葉で記事にして公開する。それだけの小さな場所である。
副業という言葉を使えば、収入の話に聞こえるかもしれない。もちろん、その気持ちがまったくないわけではない。ただ、私が最初に欲しかったのは、会社とは別の基準で考え、選び、積み上げる場所だった。
なぜ50代後半で、そう思うようになったのか。始めたころの気持ちと、少し続けて見えてきたことを整理しておきたい。
会社の中では、役割が先にあった
私は長く、同じ分野の仕事を続けてきた。転職は経験しているが、仕事の軸そのものは大きく変わっていない。
会社には部署があり、役割があり、期限がある。何を優先するかは、仕事の目的や周囲との関係から決まる。分からないことがあれば、過去の経緯を知る人に聞くこともできる。
そうした環境の中で、私は仕事を覚えてきた。毎月の給与や社会保険だけではない。設備、情報、人とのつながり、長く働くうちに共有された前提にも支えられてきた。
一方で、会社の外へ出ると、その前提は使えない。
役職や勤続年数を知らない人に、自分の経験を言葉だけで伝える必要がある。何を書くかも、どこまで調べるかも、誰かが割り振ってくれるわけではない。
50代後半になり、会社の中で積み上げたものと、会社を離れても残るものを分けて考えるようになった。会社に縋らない状態を目指し始めた理由も、同じ問題意識から書いている。
会社員として働いてきたことは、今も私の土台だ。ただ、その土台の上に、会社の外でも自分で選べるものを一つ置いておきたいと思った。
父は、自分の名前で仕事をしていた

父は職人だった。会社という後ろ盾を持たず、一つひとつの仕事に自分で責任を負って生きていた。
子どものころの私は、毎月決まった給与が入る会社員の暮らしに憧れていた。安定していて、先が見えるように感じていたからだ。
だから私は会社員の道を選んだ。その選択を後悔しているわけではない。
ただ、この歳になって父を思い返すと、以前とは違うところが見える。
仕事を引き受けるのも、仕上がりに責任を持つのも父自身だった。道具を手入れし、次の仕事につなげるところまで含めて、父の仕事だったのだと思う。
今も大工小屋には、父が使ったカンナやノミが残っている。私には使いこなせない。それでも、道具を見れば、誰かが用意した役割ではなく、自分の名前で仕事をしていた時間を感じる。
ブログと父の仕事を同じものだと言うつもりはない。背負っていた責任も、積み重ねた技術も違う。
それでも、自分で引き受けたものを、自分の判断で仕上げて外へ出す。その入口に立ってみて、父の生き方を以前より具体的に想像できるようになった。
副業を、稼げる仕事だけで考えていた
副業という言葉には、しばらく距離があった。
若い人がするもの。特別な技能がある人がするもの。時間に余裕がある人がするもの。そんなイメージを持っていた。
さらに、始めるなら収入になる形まで考えなければならないと思っていた。何を売るのか。誰に頼まれるのか。どれくらい稼げるのか。そこから考えると、自分にできることは見つからなかった。
考え方が変わったのは、「副業として完成した形」から始めなくてもよいと思えたからだ。
まず一つ、自分で決めて続ける場所を持つ。そこで経験を言葉にし、公開してみる。収入になるかどうかは、そのあとに考えればよい。
ブログを最初に書いた時点では、成果と呼べるものはなかった。今も収益化は始めたばかりで、稼げると言える段階ではない。
それでも、始める前と後では違う。何を知らないのかが分かり、調べたものが記事として残る。会社の外へ出すものを、自分で一つ作れるようになった。
私にとっての副業は、最初から収入を生む仕事ではなく、会社の外で自分の判断を使い始めることだった。
小さな場所では、自分で題材と言葉を選ぶ
ブログには、上司からの指示も、決められた担当表もない。
親の老いを書くのか。実家の片付けを書くのか。50代後半の仕事や定年への不安を書くのか。題材は、自分で選ぶことになる。
選んだあとも、体験だけで書けるとは限らない。制度や手続きに触れるなら、今の情報を確認する必要がある。家族のことを書くなら、個人が分かる情報や、相手を責める表現を避けなければならない。
会社では、共有された事情を短い言葉で伝えられる。ブログでは、初めて読む人にも分かるよう、前提から言葉にする必要がある。
その違いは、思っていたより大きかった。自分では分かっているつもりでも、文章にすると説明できないことがある。調べるうちに、最初の考えが違っていたと気づくこともある。
書くことは、自分の経験をそのまま並べることではなかった。何を残し、何を外し、どこまで確かめて公開するかを決める作業だった。
会社の外の場所は、必ずしもブログである必要はない。学び直しでも、地域の活動でも、趣味の集まりでもよいと思う。
私がブログを選んだのは、すでに持っている経験を、言葉に変えて残せるからだ。新しい技能が十分に身につくまで待たなくても、今分からないことを調べるところから始められる。
最初の一歩は、立派な副業の形を探すことではなかった。会社とは別に、自分で選んだ題材へ時間を使ってみることだった。
最初の1か月には、書くことで過去の見え方が変わった。その時期の戸惑いは、ブログを始めて1か月、起きたことに残している。
会社の肩書きを知らない人が読む場所では、文章そのものが入口になる。うまく書けない日もあるが、自分の言葉で伝える練習を会社の外に持てたことは大きい。
会社の仕事との境界は、先に決めておく
会社の外に場所を作ることと、会社の仕事を曖昧に混ぜることは違う。
副業や兼業を考えるなら、勤め先の労働契約や就業規則、届出の要否を確認する必要がある。仕事の時間や情報、会社の信用に関わることを、個人の活動へ持ち込まないためでもある。
厚生労働省も、働く人が勤務先の副業・兼業ルールを確認し、本業と副業の業務量や健康状態を自ら管理する必要を案内している。現在の資料は「副業・兼業」で確認できる。
私にとっても、会社の外の活動は、本業を雑にする理由にはならない。睡眠や体調を削り続ければ、どちらも続かなくなる。
もう一つ意識しているのは、会社で知った個別の事情を書かないことだ。長く働けば、仕事の経験は増える。ただし、経験から得た考えと、会社や取引先を特定できる情報は分けなければならない。
境界があるからこそ、安心して続けられる。
何を始めるかを決める前に、使わない時間、持ち出さない情報、無理をしない線を決めておく。50代後半の副業では、始め方と同じくらい大切な準備だと思っている。
会社員のまま、外に言葉を置いていく
ブログを始めたからといって、会社を否定しているわけではない。今の仕事は続けているし、会社員として身につけた考え方に助けられる場面も多い。
始めたころは、記事が一つ公開されるだけで、自分の場所が少し広がったように感じた。その後、記事数は増えたが、気持ちの中心は大きく変わっていない。
すぐに結果が出なくても、調べたことと、自分で選んだ言葉は残る。昨日まで知らなかったことを確かめ、次に同じ場面が来たときの判断材料にできる。
会社の外の場所は、会社から逃げるためのものではない。会社だけでは扱いきれない自分の経験を、別の形で残す場所である。
続けるうちに、時間の使い方や結果との距離も考えるようになった。50代後半、ブログを続けるためにやめたことには、始めたあとに手放したものを書いた。
会社の外に大きな看板を掲げる必要はない。肩書きの代わりに、自分で選んだ題材を一つ置く。誰か一人に届く文章を、一つずつ増やす。それなら今の暮らしの中でも続けられる。
派手な成果はまだない。けれど、会社員だけで生きてきた私が、会社の外に自分の言葉を置き始めた。
今のところ、それが私にとっての副業の始まりである。定時のあとの時間を使って、少しずつ積んでいく。

