50代後半、ブログを続けるためにやめたこと

50代後半、ブログを続けるためにやめたこと 人生後半

ブログを書き始めてから、もうすぐ2か月になる。記事は、これでちょうど40本目になった。

続けてみて分かったのは、何かを続けるというのは、新しいことを足すだけでは成り立たないということだ。一日の時間は決まっている。そこに書く時間をねじ込むには、代わりに何かを手放すしかなかった。

今回は、ブログを続けるために私がやめたことを、いくつか書き残しておきたい。続けるための工夫というより、続けるために減らしたことの記録だ。


続けることは、足すことだと思っていた

始めたばかりのころは、続けるために何を足せばいいかばかり考えていた。新しい道具をそろえる。書き方の本を読む。時間管理のやり方を調べる。

どれも悪いことではない。だが、足せば足すほど、一日はかえって窮屈になっていった。書くための準備に手を取られて、肝心の本文に手が回らない日が続いた。

あるとき、順番が逆なのではないかと思った。足すことより先に、減らすことではないか。私の一日には、惰性で続けているだけの時間がいくつもあった。それを少しずつ手放していくほうが、書く時間は素直に空いてくる。

続けるとは、足すことではなく、置き換えることなのだと、今は思っている。

あれもこれも、と集めるのをやめた

情報を集めすぎず参考にするものを絞るための机の上

始め方を調べるのに、最初は本だけでなく、動画やほかの方のブログもずいぶん見て回った。世の中には、ブログの始め方を丁寧に教えてくれる情報があふれている。ありがたい一方で、数が多すぎて、どれに沿えばいいのか分からなくなった。

しばらく見ているうちに、気づいたことがある。出どころの違う人たちが、そろって同じことを言っている箇所がある。何人もが共通して挙げる方法は、それだけ確かなものなのだろうと考えるようになった。逆に、一人だけが声高に勧めるものは、ひとまず脇に置いた。

そのうえで、自分の生活の形や考え方、目指す場所に近い人のやり方を選んで参考にすることにした。当初は、年代の近い人を探していた。だが、私と同じ年代で、分かりやすく発信している方は思いのほか少ない。ないわけではないが、数は限られていた。探しているうちに、その条件は自然と外れていった。

結局のところ、ブログにせよ動画にせよ、若い方のほうが上手に使いこなしている。それなら、と迷いなくそちらを参考にさせてもらうことにした。惜しみなく知識を分けてくれる方々には、感謝しかない。ただ、なかには商売の色が濃いものもあるので、そこは見極めが要る。私は有料のサイトや塾の類は使っていないし、今のところ使うつもりもない。自分で選び、自分で確かめながら進めればいいと思っている。

完璧に書こうとするのをやめた

次にやめたのは、1本を完璧に仕上げようとすることだった。

書き始めのころは、1本に時間をかけすぎていた。何度も読み返し、言い回しを直し、納得がいくまで公開できなかった。丁寧に仕上げたい気持ちはあった。だが、その調子では数が積み上がらない。1本に力を入れすぎて、次を書く気力が残らない日もあった。

途中で考えを変えた。今の私に必要なのは、傑作を1本書くことではなく、書き続けることだ。下手でも、まず最後まで書く。直すのは後でできる。そう割り切ってから、ずいぶん楽になった。

ただ、これだけは崩さないと決めていることがある。間違った内容や、いいかげんな文章は出さない、ということだ。仕事でも、確認ができていないものを人に渡すわけにはいかない、という意識が長く身体に染みついている。その感覚は、ブログにもそのまま働いた。完璧を目指して立ち止まるのはやめても、確かめずに出すことはしない。傑作を狙うことと、正しく書くことは、別のことだと考えている。

時間は、減らして作るしかなかった

夜のテレビやスマホの時間を減らして書くための机

書く時間は、どこかから持ってこなければ生まれない。あれこれ手放したなかでも、いちばん効いたのは、ふだんの時間の使い方を見直したことだった。

まず、働き方を変えた。残業は、よほどのことがない限りしないと決めた。前職に比べれば、残業はずいぶん減っていた。それでも、きっちり定時で上がれる日は多くなかった。定時を過ぎても、メンバーの相談に乗ったり、区切りのいいところまで作業を続けたりしていた。かつては定時で帰ることに後ろめたさを感じていた時期もあり、その感覚がどこかに残っていたのだと思う。今は、急ぎでない相談は翌日に回し、帰れる日はきちんと帰る。そうやって空けた時間を、書くほうに充てている。

家での過ごし方も変えた。一つは、ドラマを見る本数を減らしたことだ。以前はいくつも追いかけていたが、今は食事のあいだに見るだけにして、食事が終わればそこで切り上げる。そう決めてしまえば、だらだらと続きを見ることはなくなった。もう一つは、寝る前のスマホだ。以前は布団に入ってから、なんとなく動画やニュースを眺めて、気づけば1時間が過ぎていた。翌朝、何を見たかも覚えていない。その時間を、机に向かう時間に置き換えた。やめてみて困ったことは、一つもなかった。

それでも、まだ要領を得ないせいで、1本書くのに時間がかかる。本当は削りたくないのだが、今は睡眠を1時間半ほど減らしてあてている。ここは、書くことに慣れて、少しずつ取り戻していきたいところだ。

すぐに結果を求めるのをやめた

これは時間というより、気持ちの話だ。

正直に言えば、収益のことが頭にないわけではない。会社の外に小さな場所を持ちたいという思いも、そこには含まれている。だから、始めてしばらくは、数字を気にしていた。どれくらい読まれているか、何か反応はあるか。毎日のように確かめていた。

だが、すぐに分かった。始めたばかりの場所に、目に見える結果はそうそう出ない。数字を追いかけるほど、気持ちのほうが先に細くなっていく。これでは続かないと感じた。

そこで、結果をすぐに求めるのをやめた。数字を見る回数を減らし、まず書いて残すことを支えにすることにした。今のところ、収益につながるようなこと、たとえばアフィリエイトのようなものは、まだ何もできていない。それでも、書いたものは確かに残る。結果はあとからついてくるかもしれないし、こないかもしれない。今はそれで十分だと考えている。

人と比べるのをやめた

人と比べず自分の進み具合を確かめるノート

もう一つ手放したのは、先を行く人と自分を比べることだった。

調べものをしていると、同じようなことを発信している人の記事が目に入る。読みやすく、整っていて、結果も出している。ありがたい存在だが、見るたびに、自分の拙さばかりが気になった。比べては落ち込み、また比べる。その繰り返しに、意味がないと気づいた。

その人たちは、私より長く続けてきた人たちだ。今の自分と比べる相手ではない。比べるなら、昨日の自分か、書き始めたころの自分でいい。

そう考えるようにしてから、人の記事は学ぶために読むものに変わった。落ち込むためではなく、いいところを盗むために読む。同じものを見ていても、構え方が変われば、受け取るものはまるで違った。

やめることで、続けられている

2か月近く書いてみて思うのは、続けられているのは、何かを足したからではないということだ。集めすぎていた情報、完璧を目指して立ち止まる癖、惰性で延ばしていた残業や夜の時間、すぐに結果を求める気持ち、人と比べる癖。手放したものを並べてみると、どれも続けることの邪魔になっていたものばかりだった。

やめるというと、後ろ向きに聞こえるかもしれない。だが、私にとっては前に進むための整理だった。減らした分だけ、書く時間と気力が空いた。それだけのことだ。

これから先、また続けるのが難しくなる時期が来るかもしれない。そのときも、新しい工夫を足す前に、まず何を手放せるかを考えてみたいと思っている。

派手なやり方ではない。けれど、足すより減らすことで、私はここまで続けてこられた。これからも、定時のあとの時間を使って、少しずつ続けていく。


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