4月19日にブログを始めて、今日でちょうど1か月になる。
1か月で17本の記事を書いた。書きながら気づいたことを、ここに残しておきたい。
始めるまでに、時間がかかった
このブログが、私にとって最初の試みではない。
転職してまもないころ、無料のサービスでブログを開いたことがある。何本か書いて、そこで止まった。書きたいテーマを見つけられず、新しい職場に身体を慣らすことに精一杯だった時期と重なったのも大きい。準備のないまま始めたことを、後になって理解した。
それから何年も経った。書いてみたいという気持ちは消えなかったが、もう一度始めるための踏ん切りには、思っていた以上の時間が必要だった。
もう一度、始めることにした
今回は、有料のサービスで始めることにした。自分で選び、自分で続ける。そう決めた。
申し込んだ翌日、海外出張が決まった。すぐに記事を書き始めるつもりだったが、出発の準備と帰国後の対応が続き、最初の更新までに少し時間が空いた。順調なスタートではなかったかもしれない。それでも、続けることだけは決めていた。
前回の経験があったから、今回は焦らずに進めればいいと考えるようになっていた。
有料のサービスを選んだのは、お金を払えば続けられると思ったからではない。自分で決めたことに、少しだけ重みを持たせたかったからだ。無料で始めた前回は、やめても失うものがないように感じていた。今回は、始める前に考えた時間も含めて、簡単に手放さないようにしたかった。
もちろん、始めたからといって、すぐに書けるようになるわけではなかった。管理画面を開き、タイトルを入力し、最初の一文を書く。そこまでの小さな動作に、思っていたよりも時間がかかった。何を書けばいいのかを考えすぎると、書き始める前に疲れてしまう。最初から整った文章を作ろうとしないことが、続けるためには必要だった。
海外出張の準備と記事作成を同時に進めるなかで、ブログは生活の外側にある特別な活動ではなくなっていった。帰宅後に少しだけ文章を直し、翌日に画像を選び、時間があるときに見出しを整える。まとまった時間を取れない日も多かったが、少しずつ手を入れれば形になることがわかった。
17本を書いて、テーマが見えてきた
1か月で17本という数は、始める前には考えていなかった。毎日欠かさず書いたわけではない。書けない日もあったし、一つの記事に思った以上の時間がかかった日もある。それでも、次に何を書こうかと考える時間が、少しずつ生活のなかにできていった。
最初は、書きたいことを一つに絞るつもりだった。実際には、親のこと、実家のこと、仕事のこと、これからの暮らしのことが、別々のようでいてつながっている。定時のあとに何を考え、どう動くのか。その延長に、いくつものテーマがあることに気づいた。
記事にするために過去の出来事を振り返ると、経験の見え方も変わる。以前は失敗としか思えなかったことが、今の自分を支える判断材料になっていることがある。反対に、うまくいったと思っていたことの中にも、見直した方がいい部分が見えてくる。書くことは、経験をきれいに整理する作業ではなく、もう一度手に取って確かめる作業なのだと思う。
書き始める前は、頭の中にあるものをそのまま文章にできると思っていた。実際には、机の上に散らばったものを一つずつ並べるような感覚に近い。すぐに答えが出るわけではない。ただ、何が気になっているのか、どこで立ち止まっているのかが、少しずつわかってくる。その変化自体が、書き続ける理由になっている。
誰かの何かの足しになれば

書き続けるうちに、自分がなぜこれを続けているのかを、改めて考えるようになった。
記録として残したいという気持ちは、最初からあった。それに加えて、自分と近い場所にいる人に届けばいい、という思いが少しずつ大きくなってきている。同じような状況にいる人がどこかにいて、この記録が何かの足しになれば、それで十分だと思っている。
大げさな思いではない。共感してくれる人が一人でもいれば、書く意味はある。
読んでくれる人を意識すると、文章を書きにくくなることもある。役に立つことを書かなければいけない、きちんとした結論を出さなければいけないと考えるほど、最初の一文が遠くなる。誰かのために書きたいと思いながら、誰かを意識しすぎないことも必要なのかもしれない。
自分が経験したことが、そのまま別の人に当てはまるわけではない。家族の状況も、体調も、住んでいる場所も、仕事の事情も違う。だから、答えを示すよりも、迷いながら考えた過程を残す方が、自分の文章には合っていると思っている。以前の自分のように、何から考えればいいかわからない人が、少し立ち止まるための材料になればいい。
公開したあと、どの部分が届いたのかは正確にはわからない。数字で読まれたことは確認できても、どの一文を覚えてもらえたかまでは見えない。それでも、書いたものを手放して、読む人の受け取り方に委ねる。その距離感を持てることも、ブログを続けるうえで大切なことだと感じている。
仕事のあとに書くということ
このブログは、仕事のあとに書いている。最初から十分な時間があるわけではない。帰宅して食事をすれば、もう遅い時間になっている日もある。疲れているときは、文章を考えるより、何もせずに過ごしたくなる。
それでも、タイトルだけを決める、写真を一枚選ぶ、書いた文章を読み返す。そのどれか一つだけなら、できる日がある。記事を完成させることだけを目標にすると、できない日の自分を責めることになる。小さな作業も続きを作る一部だと考えるようになってから、取りかかるための抵抗が少し軽くなった。
ブログのために新しい時間が増えたわけではない。これまで何となく使っていた時間の一部を、書くことに振り分けているだけだ。短い動画を見ていた時間や、目的なく画面を眺めていた時間を、毎日すべて変えることはできない。それでも、少しだけ使い方を変えると、定時のあとの時間に自分のための場所ができる。
仕事を終えたあとに何をするかは、誰かに指示されるものではない。家族の用事や必要な手続きがあれば、そちらが優先になる。何もできない日もある。そのうえで、ほんの少しでも自分で選んだことに時間を使えた日は、翌日の気持ちが違う。ブログを書くことは、文章を残すだけでなく、仕事のあとの時間を自分のものとして確かめることでもある。
書くと、過去をもう一度見ることになる
1か月書いてみて、感じていることがある。
書くという行為は、過去をもう一度見つめ直す作業でもある。当時は正しいと思って選んだことが、時間を置いて見ると違って見えることがある。そのときは気づかなかったものが、今ならわかる。年月を経たからこそ、冷静に判断できることがある。
楽な作業ではない。だが、目を逸らさずに見直すべきことの方が、そっと閉じておきたいことより多いと感じている。
過ぎたことは変えられない。それでも、同じ判断を繰り返さないことはできる。書いて残すことで、自分のなかに教訓が積み上がっていく。読んでくれた誰かが、似た場面で立ち止まるきっかけになるなら、書いている意味はさらに大きくなる。
親のことを書けば、自分が親に向けてきた言葉や態度を見直すことになる。実家のことを書けば、懐かしさだけではなく、距離を置きたかった気持ちも出てくる。仕事のことを書けば、仕方がなかったと考えていた判断の中に、別の選択肢があったことにも気づく。書く前には一つの感情だと思っていたものが、実際にはいくつも重なっている。
過去を振り返るとき、自分を正当化するためだけの文章にはしたくないと思っている。あのときはそうするしかなかったという感覚も、別の方法があったかもしれないという見方も、どちらも今の自分の中にある。片方だけを残すと、出来事が簡単になりすぎる。迷いや矛盾を含んだまま書くことが、記録としては正直なのだと思う。
記憶は、思っているより頼りない
書いていて気づくのは、自分の記憶の頼りなさだ。
あのとき何を考えていたか、どう動いたか、どう感じたか。書こうとすると、思っていたよりも細部が出てこない。時間が経つほど、輪郭は薄れていく。だからこそ、形にして残しておく必要がある。
ただし、書いた記録が完全な事実になるわけではない。そのときの自分が見た範囲、そのときの自分が感じたことを残しているにすぎない。同じ出来事でも、別の人から見れば違う意味になる。記録は絶対的な答えではなく、その時点での自分の視点として受け止めている。
日付や場所、誰と話したか。何に迷い、どの言葉で引っかかったか。そうした細かいことを少し書いておくと、あとから読み返したときに記憶が戻るきっかけになる。大きな出来事だけを残そうとすると、日常の変化を見落としてしまう。何でもないように感じた一日が、後になって意味を持つこともある。
うまくまとめられない断片でも、何も残さないよりはいい。文章にならない感覚を短い言葉でメモしておけば、いつか続きを書けるかもしれない。書けなかったことも含めて、その時点の自分の状態を表している。完璧な記録を目指すより、残せるものを残す方が、自分には続けやすい。
まだ、書くことに慣れたわけではない
1か月続けたからといって、書くことに慣れたわけではない。記事を公開する前には今でも迷う。言葉が強すぎないか、説明が足りないのではないか、読んだ人に誤解されないか。公開したあとに、別の書き方があったと思うこともある。
迷いがなくなるのを待っていたら、いつまでも始められない。書いて、読み返して、必要なところを直す。その繰り返しの中で、自分に合う書き方を少しずつ探していくしかない。最初から完成した文章を書こうとするより、今の自分が書けるところまで書く方が、次につながる。
始めたばかりの文章には、未熟なところもある。それでも、その時期にしか書けない感覚がある。後から上手に整えられても、始めたときの戸惑いや勢いまで同じように戻すことはできない。だから、完璧ではない文章も、今の自分の記録として残しておきたい。
これからも、書き続けようと思う。記録の一つひとつが、いつか自分にとっても、誰かにとっても、何かの意味を持つかもしれない。
定時のあとの時間を使って、少しずつ書き残していく。

