親の介護で仕事を辞めるかどうか。そう考えたことがあるか、と聞かれたら、私は少し答えに困る。
仕事に行けなくなったら困る、と思ったことは何度もある。けれど、辞めるという道は、最初から私の選択肢に入っていなかった。
冷たい話に聞こえるかもしれない。ただ、私の家では、働いて得るお金がなければ、自分の暮らしも母の暮らしも回らない。辞めないことは、決断というより前提だった。
前提が決まっていると、考えることは変わる。辞めるかどうかではなく、辞めずにどう続けるか。この記事では、その順番で私が決めてきたことを書いておく。
最初に「仕事に行けなくなったら困る」と思った日
最初にそう思ったのは、母が急に入院したときだった。
その頃の私は、今の会社に移ったばかりだった。会社とのつながりはまだ浅い。どこまでなら事情を聞いてもらえるのか、見当もつかなかった。
準備は何もなかった。有給休暇も、まだ付いていなかった。
入院の当日に職場へどう連絡したか、休みが続いた間に何をしたかは、親が急に入院した日の仕事の休み方に書いた。ここで書きたいのは、その手前で頭をよぎったことの方である。
この先、母のことで仕事に行けない日が続いたらどうなるのか。
新しい会社で、何の実績もないまま休みを重ねる。そのうち居づらくなって、自分から辞めることになるのではないか。介護離職という言葉が、初めて自分の側に近づいてきた気がした。
妻に頼む道は、妻の仕事を止める道だった

最悪の場合は、妻に頼むことになるか。そう考えたこともある。
ただ、母の家までは距離があり、車がなければ通えない。妻が母のところへ通うとなれば、妻が仕事を辞めることになる。
妻はフルタイムで働いている。妻にも、妻の実家の事情がある。私の母のために妻の仕事を止めることは、できれば避けたかった。
そこで、しばらくは自分でできるところまでやってみる、と決めた。結果として、その時期は自分の手で乗り越えることができた。
介護離職というと、介護をする本人が辞める話として語られることが多い。けれど、実際に考えてみると、辞める候補は自分だけではなかった。
自分が辞めない代わりに、家族の誰かの仕事が止まる。それでは形を変えただけで、家の中で誰かが仕事を失うことに変わりはない。
自分も辞めない。家族の誰の仕事も止めない。私が最初に決めたのは、この二つだった。
休むことを、どう思われても受け止めると決めた

有給休暇がなかったので、休んだ日は欠勤になった。
幸い、管理職として採用されていたため、給料に大きな影響はなかった。これは私の場合にたまたま当てはまったことで、誰にでも言えることではない。
むしろ気になったのは、周りの目の方だった。知らない相手ばかりの職場で、来たばかりの人間が休みを重ねる。どう見られているかは、想像するしかなかった。
それでも、どう思われても受け止めようと覚悟を決めた。
そう割り切れたのは、父の長い闘病を家族で見てきたからだと思う。家族の誰かが病気と向き合っているとき、何を先にすべきかは、私の中ではっきりしていた。
職場で何か言われても、自分の中の優先順位は変えない。変えて後悔することはしない。そう決めている。
その代わり、仕事をしている時間は集中した。自分が急にいなくなっても、周りが困らずに済む形で、毎日の仕事を終えるようにした。
休む日のために何かを用意するというより、毎日の終わり方を変えた、という方が近い。優先順位を変えないことと、職場に迷惑をかけないことは、私の中では一組だった。
二度目の知らせは、一度目より落ち着いて受け止められた
その後、母が調理中に火傷を負ったことがある。
利き手の右手が思うように使えなくなり、暮らしに不自由が出た。このときも、仕事をどうするかはいろいろ考えた。
ただ、入院のときよりは落ち着いて判断できた。原因がはっきりしていて、命にかかわる状態ではなかったからだ。暮らしに支障は出るが、何をすればいいかは見えていた。
あのとき、もし火傷が最初の出来事だったら、私の動き方はもう少し違っていたかもしれない。先にもっと悪い経験をしていたことが、二度目には役に立った。
火傷のあと、母の買い物はヘルパーに頼むようになった。支援をどの時点で増やすかについては、介護サービスを増やすタイミングで考えたことをまとめている。
振り返ると、辞めるかどうかという考えが一番近くに来るのは、何も分からない最初の日である。経験が一つ増えるだけで、同じような知らせでも受け止め方は変わる。最初の日の気持ちだけで、仕事のことまで決めてしまわない方がいいと、今は思っている。
介護を理由に辞めた先輩は、4人いた

前の会社で、親の介護を理由に辞めた先輩は、私が覚えている限りで4人いる。
皆さん、穏やかな言い方で辞めていった。追い詰められて辞めた、という印象は受けなかった。
あとになって気づいたのは、皆さんの家がそれぞれ経済的に余裕のある家庭だった、ということである。
だからといって、それをうらやむ気持ちはない。辞めて親のそばにいるという選び方は、立派なものだと思う。ただ、私の家とは前提となる条件が違っていた。
介護で辞めるかどうかは、気持ちの強さだけで決まるものではない。家計の条件で、選べる道の幅が最初から違う。先輩たちのことを思い出すと、そう感じる。
同じように、周りに辞めた人がいて、自分も辞めるべきなのかと迷っている人は少なくないと思う。そのときは、その人と自分の条件を一度並べてみてもいい。比べるのは覚悟ではなく、暮らしの条件の方である。
働いて、そのお金で母の暮らしを支える
ここまで生きてきて、暮らしにお金が欠かせないのは当たり前のことだと思っている。
会社を辞めて介護に専念する、という形は、私の家では成り立たない。私が選んだのは、働いてお金を稼ぎ、そのお金で母の暮らしを支えるという形である。
わが家の家計は、ようやく一息ついたところだ。住宅ローンは終わった。子どもの学費がかかっていた間は苦しかったが、それも払い終えた。
車は好きだが、一時は手放していた時期もある。今も車には、ずっと我慢を続けている。
母の収入は国民年金だけである。今は母の蓄えと年金で暮らしているが、いつか蓄えが尽きる日は来る。そのとき、実家の暮らしにかかる費用を誰がどう補うか。それが、これからの課題だと考えている。
だからこそ、私は働き続ける理由がはっきりしている。自分の手元の資金をどう持たせるかは、今ある資金をどう持たせるかで整理した。母の分を補うことになっても、そこから先の自分の暮らしまで削らない範囲を決めておきたい。
辞める前に、辞めずに済む道を数えておく
最近、いろいろ調べたり人から話を聞いたりする中で、辞めなくても続けられる道があると分かってきた。
母の買い物は、今はヘルパーに頼んでいる。頼むまでに5年かかった経緯は、母にヘルパーを頼むまでに書いた。週に一度の買い物を任せられただけでも、私の負担はずいぶん軽くなった。
会社の制度もある。介護休業、介護休暇、短時間勤務。介護が必要になったと申し出れば、会社は使える制度を個別に知らせることになっている。私が調べた中身は、介護離職を防ぐために介護休業制度を調べた記事にまとめた。
介護サービスの相談先は、親が住む地域の地域包括支援センターが入口になる。制度と相談先の一覧は、厚生労働省の介護離職ゼロ ポータルサイトにまとまっている。
もし今、辞めることが頭をよぎっているなら、決める前に三つだけ確かめておきたい。
一つ目は、辞めたら家族の誰の仕事が止まるか。自分が辞めない代わりに、誰かが辞めることになっていないか。
二つ目は、辞めたあとの家計が何年もつか。親の暮らしの費用まで含めて考えると、思ったより短いことがある。
三つ目は、まだ使っていない支援は何か。ヘルパー、配食、会社の制度。一つでも残っているなら、辞めるのはそのあとでも遅くない。
私は、自分が元気なうちは、辞めるところまで追い込まれることはないと思っている。ただ、この先もずっと同じとは限らない。私が倒れたとき、母の暮らしを誰がどう支えるか。次に考えておくべきなのは、そこだと思っている。
