自己申告書に「転勤はできない」と毎年書いていた|親の介護と転勤を会社にどう伝えるか

自己申告書に「転勤はできない」と毎年書いていた|親の介護と転勤を会社にどう伝えるか 仕事

前の会社では、年に一度、自己申告書を出す決まりがあった。

その中に、転勤ができるかどうかを書く欄がある。私は30歳ごろから、そこに毎年「できない」と書いていた。理由の欄には、親の面倒を見なければならない、と書いた。

先輩からは、あまり書き過ぎると出世に響くぞ、と言われたことがある。それでも書き方は変えなかった。

今の会社にも、別の形で転勤の可能性はある。親の介護と転勤の話は、終わった昔話ではない。

この記事では、なぜ毎年そう書いたのか、書いて何が起きたかを振り返る。あわせて、親の介護を理由に転勤を相談する前に確かめておきたいことを整理しておく。

30歳ごろ、隣の県の工場へ行く年代になった

前の会社には30年近く勤めた。50歳になる年に同業の会社へ移った経緯は、50代で転職して気づいたことに書いている。

その会社では、技術職に転勤は基本的になかった。ただ、隣の県にも工場があった。数年に一度、技術職から1人か2人、そちらへ移る話が出る。

その話が出ると、職場が少しざわついた。

同僚の多くは、転勤ができない、あるいはしたくない事情があって、この会社を選んでいた。地元を離れない働き方ができることは、入社の理由の一つだったと思う。だから、誰が行くのかという話には、みんな敏感だった。

30歳ごろになると、私もその候補に入ってもおかしくない年代になった。自己申告書の転勤の欄を、自分のこととして読むようになったのはその頃からである。

その自己申告書は、年に一度、何を書いてもいい形式だった。ただ、私がいた頃は、直属の上司が目を通していた。思っていることを何でも書ける場ではなかった。正直に書きたいことほど、書きにくかった。

その中で、転勤の欄だけは、迷わず本当のことを書けた。

理由の欄に書いたのは、親のことだった

当時、父はまだ働いていた。ただ、病気はすでに発症していた。

私は一人っ子である。父の体のことを考えると、実家から離れることは考えられなかった。私の家族は、その頃、実家の敷地にある離れに住んでいた。

子どもも、まだ小さかった。家を離れたくない理由は、親のことだけではなかった。

それでも、理由の欄に書いたのは「親の面倒を見なければならない」の一行だった。転勤はできない、と書き、理由として親のことを添える。毎年、同じことを書いた。

家族の事情を職場でどこまで話すかは、人によって違う。親の用事で休むときに、上司から家族の誰かに頼めないのかと聞かれていた先輩のことは、男性が親の介護で仕事を休むときの前提として書いた。あの先輩も、家の事情を短く明かしていた。

自己申告書は、辞令が出る前に、こちらの事情を会社へ伝えられる数少ない場だった。口頭で毎回説明しなくても、書面で残る。私にとって、その欄は遠慮して空けておく場所ではなかった。

出世よりも、給料が上がらないことの方が気になった

先輩に言われた「出世に響く」という言葉は、正直なところ、少し引っかかった。

ただ、私が気にしていたのは、役職そのものではなかった。当時の私にとって、出世はそのまま給料が上がることだった。それ以上の意味は、あまり考えていなかった。

だから、給料が上がらないのは困る、とは思った。父の病気があり、子どもは小さい。お金が要る時期であることは分かっていた。

それでも、転勤はできないと書いた。代わりに、一言を添えることにした。今の持ち場で、今まで以上に頑張ります、と。

できないことだけを書くと、仕事から一歩引いているように読まれるかもしれない。行けない理由を書いたうえで、ここで何をするかを書いておく。添えた一言は、その程度の考えだった。

同じように、転勤の欄の前で手が止まる人は少なくないと思う。書けば評価に響くのではないか。書かなければ、ある日いきなり辞令が出るかもしれない。どちらにも不安がある。

結局、転勤の話が来ることはなかった

田んぼの向こうに小さく見える地方の工場

隣の県の工場へ移る話は、その後も数年おきに出た。私が選ばれることはなかった。

だから、私は転勤を直接断ったことがない。辞令が出て、それを断るという場面は、一度もなかった。

書いたことで出世に響いたかどうかは、確かめようがない。ただ、私自身は、影響を感じたことはない。

振り返ると、先輩の言葉は、私を心配しての助言だったのだと思う。会社の中で、どういう書き方が損になりやすいかを知っている人の言葉である。

一つ言えるのは、辞令が出てから事情を話すのと、何年も前から書面で伝えてあるのとでは、話の始まり方が違うということだ。選ばれなかった理由は分からないが、少なくとも、突然の辞令に一から事情を説明する場面はなかった。

私がいた会社は、まだ事情を聞いてくれる方だった

丘のふもとで二手に分かれる郊外の道

今振り返ると、前の会社は、まだ甘い方の会社だったのだと思う。

大きな会社ほど支店や拠点が多く、一人ひとりの事情までは聞き入れてもらえない、という話をよく聞く。転勤を断れば出世の話はなくなる。それは今も変わらない、と耳にすることもある。先輩の「出世に響く」という言葉も、そうした空気を知っていたからこそ出たのかもしれない。

中小企業の方が、転勤の可能性は低いのかもしれない。ただ、会社が大きくなれば、新しい拠点ができる。海外へ出ていくこともある。そうなれば、誰かがそこへ行かなければならない。

最初から転勤や海外勤務があると説明したうえで、人を採ることもある。それでも、すべてをそうした人だけで賄えるわけではない。長く勤めてきた社員が出向くことになる場面は多いのだと思う。

私は、たまたまそこに当てはまらなかった。それだけでも幸運だったのかもしれない。一方で、行っていれば開けた別の道を、知らないうちに逃していたのかもしれない。

どちらだったのかは分からない。どちらが良かったとも言えない。

今の会社には、ジョブローテーションがある

誰もいない朝の事務所と、色の違うマグネットが並ぶホワイトボード

今の会社では、私の部門に転勤はない。転勤があるのは営業である。

ただ、この会社はジョブローテーションが多い。いつ営業へ回ってもおかしくない、と思うくらいである。営業に回れば、転勤の可能性も出てくる。

そのことを考えなかったわけではない。母は今、実家で一人で暮らしている。通院の付き添いも、急な用事も、引き受けているのは私である。

今の会社には、前の会社のような自己申告書はない。代わりに、目標設定の用紙がある。今の勤務地と部署に加えて、5年先に希望する勤務地と職場を書く欄がある。

書いたとおりになるわけではない。それでも、毎年、希望として書いている。転勤のある部署へ回る可能性がある会社で、5年先の希望を毎年残しておける。前の会社の転勤の欄と、役割は近いと思っている。

それでも、もし営業へ回る話が来たら、最悪の場合は断ろう、という覚悟は持っている。

ただ、いきなり断る前にできることもあると思っている。昔に比べると、働く側が会社と条件を話し合える場面は増えた。異動の時期、行き先、期間。内容を調整してもらう余地はあるはずだ。

30歳のころの私は、書面に一行書くことしかできなかった。今は、自分の事情を説明し、条件を交渉する立場にもなっている。同じ「転勤はできない」でも、伝え方の幅は広がったと感じている。

親の介護を理由に転勤を相談する前に、確かめておきたいこと

最後に、同じ立場の人が転勤の話に向き合うときに、私が確かめておきたいと思うことを書いておく。

一つ目は、法律が会社に求めていることだ。育児・介護休業法の26条は、転勤で家族の介護が難しくなる人への配慮を会社に求めている。会社は、その人の介護の状況に配慮しなければならない(育児・介護休業法(e-Gov法令検索))。

ただ、配慮は「転勤させない」という約束と同じではない。事情を聞き、行き先や時期を考える。その手順を求めている、と読むのが自然だと思う。だからこそ、事情を伝えておかなければ、会社は配慮のしようがない。

二つ目は、事情を伝える場があるかどうかだ。自己申告書や面談、目標設定の用紙の希望欄のように、辞令の前に事情を書ける仕組みがあるなら、使った方がいいと私は思う。理由は長く書かなくていい。親の介護がある、通える距離を離れられない。その二点が伝われば足りる。

今は、親の介護が必要になったと会社へ申し出ると、会社は使える制度を個別に知らせ、利用の意向を確かめることになっている。2025年4月から、育児・介護休業法でそう決められた。黙っているより、先に伝えた方が話は早い。

三つ目は、断る以外の選択肢を持っておくことだ。時期を遅らせる、期間を区切る、通える範囲の拠点にする。転勤とは別に、長く休む必要が出てくるなら、介護休業という手もある。私が調べたことは、介護休業を申請する前に確認することにまとめた。

それでも条件が合わないときは、働く場所そのものを変えるという選択もある。私自身、50歳で会社を移った。理由は介護ではなかったが、働く場所を変えることは、思っていたほど遠い選択ではなかった。再雇用・転職・働かないをどう比べたかも、判断の材料になると思う。

30歳のころ、毎年書いた一行は、今も私の中で変わっていない。転勤はできない。理由は親のことだ。違うのは、その一行のあとに、話し合える条件を並べられるようになったことである。

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