親が運転免許を返納し、車を手放したとき、最初に思い浮かぶのは買い物の方法だった。
スーパーへどう行くか。病院へどう通うか。役所や薬局へ行くときは誰が送るか。
私も、母の免許返納を考えたときには、移動の問題を予定表に並べて考えた。
しかし、実際に車がなくなると、消えるのは移動手段だけではなかった。買い物へ行く回数が減る。人と会う機会が減る。急に必要になった物を、その日に買いに行けなくなる。自分で選ぶ機会まで、少しずつ小さくなる。
母は実家の離れで一人暮らしをしている。公共交通機関がほぼない地域で、徒歩圏内に小さなスーパーが一軒あるだけだ。
車がない暮らしは、便利か不便かという話だけではない。そこに住み続けるための生活の仕組みを、移動を中心に組み直す必要がある。
今回は、免許返納の手続きではなく、田舎の実家で交通手段がなくなると何が変わるのか、母の暮らしを通して整理しておきたい。
車を手放すと、買い物以外の選択肢も減る
母が免許を返納したきっかけは、ストマにシートベルトが当たることと、高齢者の事故報道を見て本人が運転を不安に感じたことだった。
返納後、車は処分した。家計の面では、自動車保険や車検、維持費を考えずに済む。運転そのものへの心配も減る。
一方で、車は移動の道具というより、田舎で暮らすための生活基盤だった。
食料品を買う。病院へ行く。薬局へ寄る。役所の手続きをする。灯油や日用品を用意する。誰かに会いに行く。以前は一台の車で済んでいたことが、車を手放したあとには、それぞれ別の手段を考えることになる。
車があった頃は、思い立った日に店へ行き、棚を見て決められた。車がなくなると、その場で決めて動く自由が先に小さくなる。何を買うかを前もって家族に伝え、まとめて頼む形に変わっていく。
返納するかどうかだけを考えていると、この変化は見落としやすい。減るのは移動の回数だけではなく、自分で決めて動ける場面の数でもある。
公共交通機関がほぼない地域では、徒歩圏内の意味が変わる

実家の周辺には、公共交通機関がほとんどない。徒歩圏内に小さなスーパーが一軒あるだけだ。
地図で見ると、歩いて行ける距離に見える。けれど、高齢の親にとっては、距離だけで判断できない。
退院後、母が自分でそのスーパーまで行けるようになるまでには、ほぼ一年かかった。退院直後は、家から少し離れたゴミ置き場へ行くことさえ負担だった。歩けるようになることと、買い物袋を持って帰れることは別だった。
道に坂がある。日陰が少ない。横断する道路がある。荷物を持つ。帰宅後に冷蔵庫へしまう。買い物には、歩く以外の動作も含まれている。
さらに、夏は長く暑い。冬は山から冷たい風が吹き下ろす。雨の日や雪の日もある。歩いて買い物へ行ける季節は思いのほか短い。
徒歩圏内という言葉は、若い頃の自分の感覚で使ってはいけない。親の年齢、体力、荷物、季節、道の状態まで含めて、初めて実際の距離になる。
母にとって、買い物は外出であり人との接点でもあった
母の買い物を支援するようになって、買う物だけを見てはいけないと思うようになった。
母は、私が訪問する日に買い物へ行くことを待っている。何を買うかを一緒に考え、店で自分で選ぶ。帰りの車の中で、その日の出来事を話す。
買い物は、食品を補充する作業ではなかった。家の外へ出て、店員や他の客と同じ空間に入り、自分の判断で物を選ぶ時間でもあった。
車がなくなれば、食品は配食や家族の買い物で補えるかもしれない。それでも、本人が選ぶ機会や、外の空気に触れる機会までは自動的に補えない。
親の買い物支援を続けてわかったことでは、買い物の量を調整するだけでなく、親が選ぶ時間を残すことについて書いた。交通手段がなくなる問題は、生活必需品の確保と同時に、本人の楽しみをどう残すかという問題でもある。
だからといって、暑い日や体調の悪い日に無理をさせるわけではない。外出できない日は、配食、家族の訪問、ヘルパーの買い物などを組み合わせる。そのうえで、気候や体調が許す日に、短い外出の機会を残す。私はその順番で考えるようになった。
病院や急な用事では、タクシーとの距離を考える

交通手段がなくなって、買い物より先に困るのは通院かもしれない。
予約日に家族が休めるとは限らない。病院のあとに薬局へ寄ることもある。急な受診なら、組んでいた予定を組み替えなければならない。
こういうとき、いちばん融通が利くのはタクシーだ。時間を選べて、家の前まで来てくれる。私も、母がもっと気軽に使えたらと思うことがある。
ただ、実家は役場も病院も大きなスーパーも、それぞれ結構な距離がある。田舎では、どこへ行くにも往復の料金がまとまった額になる。日々の買い物や通院のたびに使う手段としては、現実には頻繁には選べない。
だから母には、普段の用事は私の訪問やヘルパー、配達で組むと伝えている。そのうえで、急に具合が悪くなったときや、どうしても動けないときは、料金を気にせずタクシーを呼ぶように言い聞かせている。ためらって受診が遅れる方が心配だからだ。
母はストマの管理を続けている。用品の受け取りや急な受診は、車があった頃より予定を立てて考えるようになった。
通院や急な用事に備えるとき、私は次のことを確認しておく。
- 家から医療機関までの往復手段
- 薬局へ寄る必要があるか
- 荷物を持って歩く距離
- 家族が送迎できない場合の代替手段
- 急に受診が必要になったときの連絡先とタクシー会社の電話番号
これは、通院を家族だけで抱えるという意味ではない。母の通院に付き添って仕事を休むときにも書いたように、移動手段の問題は、親の暮らしだけでなく、支える側の仕事にもつながっている。
交通手段を目的ごとに分けて書き出す

車がなくなったとき、最初から完璧な移動計画を作ろうとすると、かえって動けなくなる。
まずは、親が一年の間にどこへ行くのかを書き出す方がよい。
- 日常の食料品を買う場所
- 通院先と薬局
- 役所や金融機関
- 散髪や日用品の買い物
- 法事や地域の用事
- 急な受診や困りごとの相談先
次に、それぞれを頻度で見分ける。毎週のように必要なもの、月に数回のもの、年に数えるほどのもの、そして予定できない急な用事。頻度がわかると、どこに家族の送迎を充て、どこをタクシーや配達に回すかが決めやすくなる。
すべてを家族の送迎にすると、家族の予定が崩れた日に生活全体が止まる。すべてを配達にすると、親が外へ出る機会がなくなる。だから、手段は一つに集約しない方がよい。代わりの手段を一つ知っているだけで、急な変更に対応しやすくなる。
地域によっては、予約制の乗り合い交通、福祉有償運送、自治体や社会福祉協議会の外出支援などが用意されている場合もある。利用条件や対象地域は違うため、市区町村の窓口や地域包括支援センターへ確認する。
母の暮らしでも、地域包括支援センターに相談する前に整理したいこととして、家族が補っていることや本人の希望をメモしておくことが、相談の入口になった。
大切なのは、制度名をたくさん覚えることではない。どこへ行けないと困るのか、何があれば外出できるのかを、具体的に伝えられるようにすることだ。
交通の問題は、住み続けるための条件を考えること
田舎の実家で交通手段がなくなると、家族はまず「どう送迎するか」から考え始める。私も最初はそうだった。
だが、送迎の予定だけを増やすと、家族が動けない日に生活が止まる。かといって、安全を思うあまり外出を先回りして減らすと、体を動かす時間や、人と話す時間、自分で選ぶ時間まで一緒に減っていく。
だから私が母に伝えているのは、二つのことだ。普段の買い物や通院は、無理のない手段を組み合わせて続ける。急なときや体調の悪い日は、料金を気にせずタクシーを使う。安全に外出を続けることと、いざというとき迷わないことを、両方とも残しておきたい。
母の実家は、公共交通機関がほぼない。今は、私の訪問、ヘルパーの買い物、配食サービス、必要に応じた外部の支援を組み合わせている。まだ十分だと言い切れるわけではないが、家族の送迎だけで解決しようとは考えなくなった。
交通手段を考えることは、親をどこへ連れていくかだけではない。どの暮らしを残したいか、そのために家族以外の手段をどう組み合わせるかを考えることだと思う。
答えはまだ出ていないが、親の暮らしが移動の不便さだけで小さくならないようにしたい。定時のあとの時間を使って、少しずつ実家で暮らし続けるための移動手段を整えていく。

