母が脚立を出して、剥がれた扉を直そうとしていた|高い所の作業を止めたあとに残るもの

母が脚立を出して、剥がれた扉を直そうとしていた|高い所の作業を止めたあとに残るもの 親の老い

先日実家へ行くと、脚立と壁紙が出して置いてあった。

どうしたのかと母に聞くと、大工小屋の扉の、表面が剥がれた部分に貼ろうとしていたらしい。

剥がれていたのは、扉の高い位置だった。高さは2mを少し超える。私でも、脚立に上るのをためらう位置である。そこへ、一人暮らしの母が自分で上がろうとしていた。

幸い、まだ上る前だった。私はすぐに、やめるように言った。ここでは、そのとき止めたことと、止めたあとにも残っているものについて書く。

母屋にしまってあった脚立と壁紙が、出してあった

脚立も壁紙も、もとは母屋に置いてあったものだ。

母屋は、今はほとんど人が住んでいない。母は同じ敷地の離れで暮らしていて、母屋には用があるときに入るくらいである。その母屋から、母は脚立と壁紙を運び出していた。

大工小屋は、大工だった父が仕事に使っていた建物だ。今は父の道具や古い農機具がしまってある。

その扉の傷みが進んで、表面が剥がれてきた。同じ敷地で暮らす母は、日ごろからそれを目にしているはずだ。見るたびに気になっていたのだろう。

壁紙を貼れば、剥がれたところは隠れる。母の考えは、たぶんそのくらいのものだったと思う。扉を直すというより、見えている傷みを覆いたかったのだろう。

2mちょっと。私でもためらう高さだった

見上げる高さで表面が剥がれた、古い小屋の木の扉

脚立は、母にとって特別な道具ではない。

昔は、父の仕事を手伝うときに、普通に立てていた。職人の家で、脚立を出すのは日常の一部だった。母の中では、今も同じ感覚が続いているのかもしれない。

ただ、あのころと今とでは、母の体が違う。母はもともと体が丈夫なほうではなく、年齢も重ねた。脚立を立てることはできても、2mを超える高さで両手を使い、壁紙を貼る作業は、別の話である。

国民生活センターは、高齢者の脚立・はしごからの転落について注意を呼びかけている。医療機関から寄せられた事故情報では、その半数以上が60~70歳代だった。呼びかけの最初に置かれているのは、脚立やはしごを使わない方法を考えることである。

同じ呼びかけには、一人きりで作業しないこと、作業中の「あと少し」をなくすことも並んでいる。母の場面に当てはめると、三つとも外れていた。脚立を使う前提で、一人で、剥がれたところを全部覆うまで続けるつもりだったはずだ。壁紙を貼る作業は、腕を上げたまま手元を見続ける。「あと少し」が起きやすい作業でもある。

母は一人で暮らしている。もし上から落ちても、すぐに気づく人はいない。近所の人と顔を合わせる機会も、前よりずっと減っている。高さの問題に、一人でいる時間の長さが重なっていた。

やってほしそうな顔をしていたが、諦めるように言った

やめるように言ったとき、母はやってほしそうな顔をしていた。

私が代わりに上って貼れば、母の気がかりは一つ消えたのかもしれない。

それでも、私は諦めるように言った。

扉の表面に壁紙を貼っても、建物の傷みは止まらない。剥がれた部分を隠せるのは、次に剥がれるまでの間だけだ。私には、焼け石に水にしか思えなかった。長くはもたない作業のために、母も私も高い所へ上がる理由はない。

ただ、こう言って断ったことで、母の中の気がかりが消えたわけではない。母が気にしているのは壁紙のことではなく、目の前で傷んでいく建物のほうなのだと思う。

扉だけではなく、建物が変わり始めていた

建て付けが悪くなり、枠との間にすき間ができた小屋の側面の扉

大工小屋の扉は、以前から開け閉めに苦労していた。力を入れれば開くが、閉めるのにも手間がかかる。

そこへ今度は、側面にある扉の建て付けも悪くなった。こちらも簡単には開けられない。

一枚の扉が悪いのではなく、建物自体が変形し始めているのだと思う。扉は、その変化がいちばん先に表に出る場所なのだろう。

実家の修繕をどこまでやるかを考えたとき、私は脚立より高い所と屋根の上には上がらないと決めた。自分が手を出す範囲の線である。

その線は、私だけのものではなく、母にも要るのだと思う。母もまた、自分で直せると思っている。職人の家で暮らしてきた人にとって、傷んだところを自分で何とかするのは、ごく当たり前のことなのだろう。

気になると、ずっと気にする

古い作業台に残されたカンナやノミなどの大工道具

母は、気になるとずっと気にする性格である。

側面の扉が開けにくくなったことも、一度口にした。一度口にしたことは、この先も何度も口にするのだと思う。

それを責めるつもりはない。毎日そこに暮らし、毎日その建物を見ている人が、傷みを気にしないほうが難しい。私は週に一度行くだけだが、母はその間もずっと見ている。

ただ、大工小屋の中には、父の思い出の道具や、簡単な農機具がしまってある。電動工具やノコギリ、ノミ、カンナといった職人の道具に、祖母の代から残っている物まで混じっている。扉を直せば済む話ではない。いずれは中の物をどうするか、建物をどうするかを考えなければならない。

大工小屋だけではない。母屋も離れも含めて、建物はいずれ処分を考えないといけないだろうと思っている。中の物を出すだけでも大変な作業になり、費用も相当な額になるはずだ。実家を売るか、貸すか、壊すかを整理したときも、答えは一つに決まらなかった。

母が気にしているのは、扉一枚である。けれど、その向こうには、私がまだ手をつけていない大きな話が続いている。

止めるのは、一度では終わらない

今回は、上る前に気づいて止められた。

けれど、同じようなことは、この先いくらでも起きると思う。建物は傷み続けるし、母はそれを見続ける。見れば気になり、気になれば何とかしようとする。今回が脚立と壁紙だっただけで、次は別の道具かもしれない。

そのたびに止めることになる。一度言えば分かってもらえる、という話ではない。

今回、私は代わりにやるとは言わなかった。伝えることは、たぶん毎回同じになる。高い所には上がらないでほしいこと。直しても長くはもたないこと。

この暮らしがいつまで続けられるのか。それが、今の私の悩みである。

母の暮らしに、今のところ大きな変化はない。料理は昔から好きで、一人になっても自炊を続けてきた。ただ、自分で作る機会は少しずつ減っているように思う。最近は冷凍食品がおいしいと分かったようで、買い物のたびに冷凍食品が増えた。外へ出ることも減り、話す話題はテレビのニュースくらいになった。

どれも、一つずつなら困ることではない。そこへ今回、一人で高い所へ上がろうとする日があった。一人暮らしの限界を考え始めるサインとして以前書いたものとは違う形だが、目を離せないことが一つ増えたのは確かだ。

止めるのは一度では終わらない。そのたびに、根気よく話すつもりでいる。

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