定年は65歳だ。
そう聞くと、どこかで「そこまで行けば一区切り」と考えていた。会社員としての長い時間が終わり、あとは少し楽になる。漠然と、そんなふうに思っていた。
けれど最近は、少し違って見える。65歳はゴールではなく、別の生活に入る入口なのではないか。
定年という数字は、時代とともに動いてきた
私が子どものころ、定年は55歳だった。
当時の平均寿命は、女性で61歳前後、男性で58歳前後だったという。今の感覚からすると、定年後の時間はずいぶん短い。長寿が当たり前ではなかった時代の前提だ。
その後、1980年代から90年代にかけて、定年は60歳へと移っていった。私が最初に入った会社も60歳定年で、当時の目には、定年間近の上司や先輩がかなりの年配に映ったのを覚えている。
そして今は、65歳まで働くことが前提になった。年金の受給開始年齢が引き上げられ、定年後も企業が一定期間雇用することが義務づけられた。
その移行期を、少し前の職場で見ていた。
定年を過ぎても同じ業務を続けながら、給与だけが大きく下がる先輩たちがいた。処遇への不満を口にする人も少なくなかった。その姿を見て、いつか自分も同じ立場になるのかと、漠然と思ったものだ。
ただ今振り返ると、制度がまだ追いついていない時期だったのだろう。本人の努力ではどうにもならない部分が大きかったし、不満が出るのは、それだけ真剣に働いてきた裏返しでもある。
私自身の定年も65歳だ。
数字としては前からわかっていたが、50代後半になってから、その重みが変わってきた。あと何年働けばいい、というより、あと何年しかない、という感覚に近い。
65歳になれば、仕事の責任からは解放される。そう考えれば気は楽になる。けれど、その瞬間に生活そのものが整うわけではない。収入、健康、親のこと、実家のこと、自分の居場所——むしろ、その先に持ち越されるものの方が多いのではないかと思うようになった。
ゴールだと思うと、その先を考えなくなる
65歳をゴールだと思っていたころ、私はその先を具体的に考えていなかった。
年金はどうなるか。収入はどのくらい下がるか。毎日何をして過ごすのか。誰と会い、どこに行き、何に時間を使うのか。
頭の隅にはあったが、現実として細かく見ていなかった、というのが正直なところだ。
「定年まで働く」という言葉には、便利なところがある。そこまで行けば何とかなる気がしてくるからだ。
仕事があるうちは、毎日の行き先がある。役割もある。多少の不満があっても、朝になれば会社に行き、会議があり、メールがあり、判断しなければならないことがある。
それは負担でもあるが、生活の枠でもある。
会社員を長く続けていると、その枠のありがたさに鈍くなる。仕事があることを当然のように感じ、早く楽になりたいと思う。自然な感情ではある。
ただ、枠がなくなったあとに、自分で一日を組み立てられるか。
最近はそこが気になっている。
親の老いを見て、時間の見え方が変わった
母を見ていると、時間の見え方が変わる。
母は今、実家の離れで一人暮らしをしている。がんの手術後、ストマのある生活になった。免許は返納し、車も処分した。
退院直後に比べれば、今の暮らしは落ち着いている。近くのスーパーまで歩いて行けるようになるまでには時間がかかったが、少しずつ自分の生活を取り戻してきた。
それでも、年齢による変化はある。
体調の訴え方、電話に出られないこと、買い物への不安、暑さ寒さへの弱さ。ひとつひとつは小さなことでも、生活の自由度は確実に狭くなっている。
父は60歳で亡くなった。今の感覚で言えば、ずいぶん早い。私はすでに、その年齢に近づいている。
父は大工の棟梁だった。自分が責任を取るという意識が体に染み込んでいて、仕事に向き合う姿勢も、精神的な落ち着きも、今の自分より一回りも二回りも大人だったと思う。
職人としての誇りと、一つひとつの現場への責任。サラリーマンにはない種類の重圧があったはずだ。
父がどんな気持ちで最後の時間を過ごしたのかは、もうわからない。ただ、その年齢に近づくにつれ、当時の父の心境を想像することが増えた。
そう考えると、65歳という数字を軽く見られなくなる。
65歳は、まだ元気でいられる年齢かもしれない。けれど、何も起きないことが約束された年齢ではない。親の老いを近くで見るほど、自分の時間もまた限りあるものだと感じる。
働かなくなった自分を、まだ想像できない
正直に言えば、働かなくなった自分をまだうまく想像できない。
仕事が好きかと聞かれれば、単純には答えられない。長く続けてきた仕事には愛着がある。けれど、会社という場所にずっといたいかと聞かれれば、それも違う。
強い愛社精神があるわけではないし、辞めたいわけでもない。距離を置きながら、与えられた場所でやることをやっている——そんな感覚に近い。
それでも、仕事は私の生活の大きな部分を占めている。
平日は会社に行き、判断し、人に伝え、調整する。うまくいかないことも多いが、そのなかに自分の役割がある。
最近ふと気になるのが、経済的にはもう十分なはずなのに、なかなか引退しない方々の姿だ。
経験も実績もあり、おそらく蓄えにも余裕がある。それでも仕事を続けている。ポジションを手放したくないのか、それとも本当に仕事が好きなのか。端から見ているだけでは判断がつかない。
ただ、そうした方々を批判する気にはなれない。仕事を通じて生き生きとしているなら、それも一つの答えだ。自分が同じ立場になったとき、すんなり手を引けるとも限らない。
私自身は、引退できるものなら早めに引退したいと思っている。けれど現実には、生活のために働き続けるしかない。実家の費用も私が担っている。困窮しているわけではないが、余裕があるとも言えない。
選択の自由がない立場だからこそ、自由がある人の選択が逆に不思議に映るのかもしれない。
その役割がなくなったとき、私は何を基準に自分を保つのだろう。
肩書きがなくなることより、毎日の手触りがなくなることの方が大きい気がする。誰かに必要とされているかどうかではなく、自分が何かに向かっている感覚を失うことが怖い。
だから最近は、仕事を終えたあとの時間に目が向くようになった。
会社の外で、何かを続ける。誰かに命じられたことではなく、自分で選んだことを続ける。その感覚を、今のうちから持っておきたい。
65歳の先にも、生活は続く
当たり前のことだが、65歳を過ぎても生活は続く。
朝は来る。食事をし、家のことをし、体調を整える。親のことが残っていれば、向き合う。実家の問題も、その頃にはおそらく終わっていない。
母屋をどうするか。離れをどうするか。墓や仏壇をどうするか。田舎の空き家が簡単には売れないことも、少しずつ見えてきた。
これらは、定年になったからといって消える問題ではない。むしろ時間ができた分、向き合う場面が増えるのかもしれない。
一方で、自分の体力や気力は今より落ちている可能性が高い。今ならできることが、65歳を過ぎても同じようにできるとは限らない。
だからこそ、定年後に考えればいい、とは思えなくなってきた。
少しずつ調べ、書き出し、片づけ、人に聞く。お金の見通しも持つ。完璧でなくても、準備を始めておく。
大きな決断を一度にする必要はない。ただ、先送りにしたものは、年齢とともに重くなる。
ゴールではなく、通過点として考える
65歳をゴールだと思うと、そこまで耐える発想になる。
あと数年頑張ればいい。そこまで行けば楽になる。そう考えると、今の時間は消化するものになってしまう。
通過点だと捉え直すと、見え方が少し変わる。
そこから先をどう過ごすか。そのために今、何を身につけておくか。どんな関係を残すか。どんな習慣を持っておくか。
はっきりした答えは、まだ持っていない。
英会話を続けている。ブログを書いている。投資も、遅いながら自分なりに進めている。実家のことも、少しずつ調べている。
どれも大きな成果にはなっていない。けれど、65歳の先に持っていけるものは、こういう日々の習慣なのではないかと思う。
仕事で得た経験。家族を支えてきた時間。親の老いと向き合っている現在。それらを、ただ大変だった記憶で終わらせず、自分の次の時間につなげていきたい。
65歳は終点ではない。
そう思えるようになっただけでも、少しは前に進んだ気がしている。
定時のあとの時間を使って、少しずつ考え続けていく。


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