健康診断の結果が、年々怖くなってきた

健康診断の結果が、年々怖くなってきた 人生後半

会社の健康診断の結果を見るのが、年々怖くなってきた。

若いころは、封筒を開けても深く考えなかった。身長、体重、視力、血圧、血液検査。数字は並んでいても、自分の暮らしとつながっている実感が薄かった。多少気になるところがあっても、忙しさの中でそのままにしていた。

ところが50代後半になると、同じ紙の見え方が変わる。

結果表に並ぶ数字が、ただの数字ではなくなってきた。仕事を続けられるか。母のところへ通えるか。実家の草刈りや片付けを、来年も同じようにできるか。そういう生活の前提として、健康診断の結果を見るようになった。

病気を大げさに恐れているわけではない。けれど、見ないふりをして済む年齢ではなくなってきた。そのことを、健康診断の封筒を開けるたびに感じる。

若いころは、結果表を軽く見ていた

若いころの私は、健康診断を会社の行事のように受けていた。

決められた日に会場へ行き、身長や体重を測り、採血をして、レントゲンを撮る。終われば仕事に戻る。後日、結果が届いても、ざっと見て机にしまう。どの項目もA評価で、しばらくはそれが当たり前だった。大きな異常がなければ、それで終わりだった。

体は、ある程度こちらの無理を受け止めてくれるものだと思っていた。

残業が続いても、睡眠が少なくても、食事が乱れても、数日すれば戻る。休日に少し寝れば何とかなる。そういう感覚があった。

それは、自分の体を信じていたというより、体の変化をまだ知らなかっただけなのだと思う。

30代、40代のころは、数字が少し悪くても、それが将来の自分にどうつながるのかまで考えなかった。血圧や血糖、脂質、肝機能といった項目も、言葉としては知っていたが、自分の暮らしを映すものとしては見ていなかった。

健康診断は、受けることが目的になっていた。

受けているから大丈夫。

会社で毎年受けているから、何かあれば分かる。

そう考えていたところがある。

しかし今は、受けるだけでは足りないと感じている。結果を見て、暮らしのどこを直すかまで考えなければ、ただ紙をもらっているだけになる。

若いころの自分には、その感覚がなかった。

数字は少しずつ、こちらに近づいてくる

健康診断の結果表と眼鏡を置いた自宅の机

健康診断の結果が怖くなったのは、急に大きな病気が見つかったからではない。

むしろ怖いのは、少しずつ近づいてくる感じだ。

体重が少し増える。血圧が以前より高めに出る。血液検査のいくつかの項目が、基準値の近くに寄ってくる。視力も若いころのままではない。何か一つが突然悪くなるというより、いくつもの数字が、静かに年齢を示してくる。

私の場合、血圧はすでに薬を飲んでいる。糖尿病も、今すぐ治療という段階ではないが、HbA1cの数字を見るたびに気になる。毎年、どこかの項目で再検査や注意がつくようになってきた。

主治医からは、体重を5kg落とすようにも言われている。

5kgという数字は、聞くだけなら小さく見える。だが実際に減らそうとすると簡単ではない。薄着になる季節には、腹まわりもごまかせなくなる。結果表の数字と、鏡に映る自分の姿が、同じことを言っているように見える。

結果表には、基準値が書かれている。

その範囲に入っていれば安心なのか。少し外れたらすぐ危険なのか。素人の私には、そこまで正確な判断はできない。だからこそ、自己判断で済ませないことが大事なのだと思う。

ただ、数字の変化そのものは、自分でも分かる。

前年と比べてどうか。

数年前と比べてどうか。

同じような生活をしているつもりでも、結果は少しずつ変わる。そこで初めて、食事、睡眠、運動、酒の量、仕事の疲れが、紙の上に現れているのだと気づく。

健康診断の結果表は、未来を決めつけるものではない。

けれど、今の暮らしの癖を見せてくれるものではある。

私の場合、数字が悪いかどうかよりも、「このまま同じ生活でいいのか」と聞かれているように感じることが増えた。

それが、怖さの正体なのかもしれない。

親の老いを見て、自分の健康も他人事ではなくなった

母のことを見ていると、健康は本人だけの問題ではないと感じる。

母は今、離れで一人暮らしをしている。ストマがあり、買い物はヘルパーに頼み、配食サービスも使っている。私も実家へ行き、通院や書類、外まわりのことを少しずつ見ている。

母の体調が変われば、暮らし全体が変わる。

通院の回数が増える。できていた家事が難しくなる。買い物や薬、食事、火の始末を確認する必要が出てくる。体の変化は、その人の生活の形を変える。

それを近くで見ていると、自分だけは別だとは思えなくなる。

私はまだ働いている。母のところへ行く。実家の草刈りもする。妻の父のこともある。会社では自分の役割がある。ブログも続けている。

そうしたものは、全部、自分の体が動く前提で成り立っている。

もし私が大きく体調を崩したら、母の暮らしを支える仕組みも揺らぐ。実家の外まわりも後回しになる。仕事も、家のことも、今と同じようには回らない。

健康診断の結果が怖いのは、自分が病気になることだけが怖いのではない。

自分の体を当たり前にして組み立てているものが、思っているより多いと分かってきたからだ。

父は60歳で亡くなっている。

その年齢に近づくにつれて、私は父の年齢を数字としてではなく、自分の時間として見るようになった。父の人生がそこで終わったことを思うと、健康診断の結果表も、以前のように軽くは見られない。

大げさに構える必要はない。

ただ、自分の体を後回しにして、親のことや仕事だけを優先する年齢でもないのだと思う。

家で測る数字も、見ないふりをしない

家庭用血圧計と体重計と記録用ノート

健康診断は年に一度だ。

年に一度の結果だけで、自分の体を全部分かろうとするのは無理がある。だから最近は、家で見られる数字も少し気にするようになった。

体重を測る。

血圧を測る。

睡眠時間を見る。

歩いた日と、ほとんど歩かなかった日を比べる。

どれも特別なことではない。だが、数字にすると、思っていた以上にごまかせない。

体重は、毎日少しずつ増えるわけではない。忙しい時期に外食が続いたり、夜遅くに食べたり、休日に動かなかったりすると、気づいたときには少し増えている。血圧も、病院や健診会場で一度測った数字だけでは分かりにくい。私は毎日、朝晩に測るようになった。家で落ち着いて測ると、また違った見え方をすることがある。

家で測るなら、上腕式の血圧計を一つ用意しておくと、毎日の記録を続けやすい。手書きで残すのが負担なら、測った数字をスマートフォンに自動で送れるタイプも選択肢になる。記録が残っていれば、あとで主治医に相談するときにも話しやすい。

※広告リンクです。価格や在庫、機能、対応アプリ、付属品は変わることがあります。購入する場合は各販売ページと公式情報を確認してください。血圧の数値や体調については自己判断せず、気になることがあれば医師に相談してください。必要だと思えない場合は、無理に買わなくて大丈夫です。

もちろん、私は医師ではない。

数字の意味を勝手に判断するつもりはない。気になることがあれば、病院で相談するしかない。けれど、相談するときにも、普段の数字が少しあるだけで話しやすくなる。

「最近どうですか」と聞かれても、記憶だけでは曖昧になる。

いつから高めなのか。

どんな日に上がりやすいのか。

体重はどのくらい変わったのか。

そういうことを少しでも残しておくと、自分の体を客観的に見やすい。健康診断の結果も、年に一度の点ではなく、日々の暮らしの延長として受け止められる。

若いころは、数字に縛られるのが嫌だった。

今は、数字を怖がるより、数字を見ないことの方が怖い。

検査は、もう遠い話ではなくなった

内視鏡検査の予定を準備する封筒とカレンダー

健康診断の結果を気にするようになるより前から、受ける検査は少しずつこまやかになっていた。

中年に差し掛かったころ、前の会社では、会社の費用で人間ドックを受けるようになった。会社の健康診断より項目が多く、時間をかけて見てもらえる。詳しく調べてもらえる安心はあったが、その分、これまで気にせずに済ませていたところにも目が向くようになった。

50歳を前にしたころ、主治医から大腸の内視鏡検査を勧められた。気は進まなかったが、受けてみると、ポリープが見つかった。

そのあと転職して、健診はまた会社のものに戻った。人間ドックに比べれば、見てもらえる項目は少なく、検査としてのグレードは落ちる。それでも、会社員が毎年受ける検診として、最低限のところは押さえてある。

母が大腸がんだったこともあり、今は一年か一年半に一度、大腸の内視鏡検査を受けている。ここ数回は、胃の内視鏡検査も同じ日にしてもらっている。一日で済むのはありがたい。

ただ、何度経験しても慣れない。できれば受けたくない、というのが正直なところだ。もっとも、進んで受けたい人はいないと思う。

それでも受けるのは、見つかるなら早い方がいいと、母のことを通して知ったからだ。検査の前のわずらわしさと、見ないままでいる不安を並べてみると、私の場合は、受けておく方がまだ落ち着いていられる。

こうして検査が暮らしに入ってきて、市の健診案内まで届くようになると、保険のことも頭の隅をよぎる。会社の健診で足りるのか。若いころに入ったままの医療保険が、今の自分に合っているのか。気にはなるが、保険は一度きちんと向き合いたいことなので、ここで中途半端に触れるより、別の記事として改めて書きたい。今は、検査と同じで後回しにはしない、とだけ決めておく。

怖さを、暮らしを変える合図にする

健康診断の結果が怖いと感じるのは、悪いことばかりではないのかもしれない。

怖いから封筒を開けない。

怖いから病院へ行かない。

怖いから数字を見ない。

そうなれば、怖さはただの重荷になる。けれど、怖いから少し歩く。怖いから血圧を測る。怖いから食べ方を少し見直す。怖いから気になる項目を医師に聞く。そう変えられれば、怖さは暮らしを直す合図になる。

私に必要なのは、大きな健康目標ではない。

急に完璧な食事にすることでも、毎日長時間運動することでもない。まずは、健康診断の結果をきちんと読む。前年と比べる。気になる項目を放っておかない。家で測れるものは測る。眠る時間を削りすぎない。週末に実家の作業を詰め込みすぎない。

そういう小さな見直しでいいのだと思う。

母の老いを見ていると、人は急に年を取るのではなく、少しずつ前提が変わっていくのだと分かる。できていたことが、少しずつ重くなる。回復に時間がかかる。無理の影響が、翌日ではなく翌週まで残る。

その変化は、母だけのものではない。

私も同じ道の途中にいる。

健康診断の結果表は、そのことを静かに教えてくれる紙なのだと思う。

怖がりすぎる必要はない。けれど、軽く見すぎてもいけない。仕事も、母のことも、実家のことも、これから先まで続けていくなら、自分の体を前提に入れて考えなければならない。

今年の結果表も、きちんと見る。

分からないところは調べる。必要なら受診する。毎日の数字も、少しだけ残す。派手なことではないが、今の私にはそれくらいの始め方が合っている。

定時のあとの時間を使って、少しずつ自分の体の前提を整えていく。

コメント

タイトルとURLをコピーしました