退職後の自分が怖い、と以前に書いた。
そのときに気づいたのは、怖さの正体が、空いた時間そのものではないということだった。困るのは、一日の形が消えることだ。
会社員でいるあいだは、起きる時間も、出かける先も、やることも、だいたい決まっている。その枠がなくなったとき、自分は一日をどう組み立てるのか。
怖い、で止まっていても何も変わらない。だから最近は、退職後の一日を実際にどう作るかを、少しずつ考えるようになった。
理想の一日をきれいに描くという話ではない。続けられる骨組みを、今のうちに探しておきたいという話だ。
まず「動かない柱」を一本だけ置く
会社員の一日は、予定で埋まっている。
朝の出社時間があり、会議があり、締め切りがある。好きか嫌いかは別として、その予定が自分を動かしてくれている。
退職後は、その予定がほぼ消える。だから、つい「では一日の予定をどう埋めるか」と考えてしまう。
けれど、最近思うのは、埋めようとしない方がいいということだ。
退職してまで、また一日を予定でびっしりにする必要はない。むしろ大事なのは、埋めることではなく、一本だけ動かない柱を立てておくことではないか。
たとえば、起きる時間を決めておく。何時に起きるかだけは、毎日同じにする。
それだけでも、一日の始まりがぶれなくなる。何時に起きてもいいとなると、昨日より少し遅く、その次はもっと遅く、と崩れていきそうな自分が、容易に想像できる。
想像ではなく、実際にそうなった日がある。先日、何も予定のない休日に、いつもより一時間遅く起きた。それだけのことなのに、朝食が昼に近づき、午前がまるごと消え、何をするでもないまま夕方になっていた。一日が崩れるのは、たいてい朝の一時間から始まる。
朝にひとつ固定点があれば、そこから一日が立ち上がる。逆に言えば、その一点さえ守れれば、あとは多少ゆるんでも一日は形を保つ。
予定を全部埋めるのではなく、骨組みになる柱を一本だけ決める。退職後の一日づくりは、そこから始めればいいのだと、今は考えている。
午前は外、午後は内、と大まかに分ける

退職後の生活を想像すると、気をつけないと一日が家の中だけで完結してしまいそうだと思う。
買い物をして、家のことをして、テレビを見て、気づけば夕方になっている。それでも生活は成り立つ。ただ、何日もそれが続けば、外の空気に触れない暮らしが当たり前になっていく。
そこで考えているのが、一日を大まかに「外」と「内」で分けておくことだ。
午前のうちに、一度は外に出る。買い物でも、散歩でも、銀行や役所の用事でもいい。理由は何でもいいから、午前のあいだに玄関を出る。
午後は、家の中でできることをする。調べものをしたり、文章を書いたり、片づけをしたり。
細かく時間割を作るわけではない。午前は外、午後は内、というくらいのゆるい分け方だ。
それでも、この大まかな枠があるだけで、一日が家の中だけで閉じにくくなる。
午前に外へ出ると、もうひとつ良いことがある。朝のうちに体が動くと、その日の調子が出やすい。日の光を浴びて少し歩くだけで、頭がはっきりしてくる感覚がある。これは休みの日に何度か感じたことだ。逆に、起きてから一歩も外に出ない日は、午後になっても体がどこか重い。
会社に行かなくなると、外へ出る理由は自分で作るしかない。放っておけば減る一方だ。だから、午前に一度外へ出る、という枠だけは持っておきたいと思っている。
体を動かす時間を、予定の中に入れておく
退職後の一日を考えるとき、つい忘れそうになるのが体のことだ。
会社に通っているうちは、意識しなくてもそれなりに歩いている。駅まで歩き、階段を上り、社内を移動する。その積み重ねが、知らないうちに体を動かす時間になっている。
通勤がなくなれば、それが丸ごと消える。
意識して歩く時間を作らなければ、一日の歩数は驚くほど減るのだろう。家の中だけで過ごせば、ほとんど動かないまま夜になる。
体は当たり前に動くものだと、つい思ってしまう。けれど、父は六十歳で亡くなった。退職後の長い時間を、健康な体のまま過ごせるとは限らない。そう考えると、歩く時間を一日に組み込んでおくことは、ただの健康法ではなく、その先の時間を少しでも自分の足で過ごすための備えに思えてくる。
だから、体を動かす時間を、最初から一日の予定の中に入れておきたい。
特別な運動でなくていい。午前の外出を兼ねて、少し遠回りして歩く。それくらいでも、何もしないよりはいい。
正直に言えば、私は運動の習慣がある方ではない。だからこそ、退職してから急に始めようとしても、たぶん続かない。
今のうちに、休みの日に少し長めに歩いてみる。続けられそうな形を、働いている間に試しておく。それが、退職後の体のための小さな準備になる気がしている。
「始め」と同じくらい「終わり」を決めておく

一日の始まりを決める話を書いたが、同じくらい大事なのが、終わりを決めることだと思う。
会社員の一日には、終わりがある。退勤時間があり、その後の予定がある。区切りがあるから、その日の仕事を一区切りにできる。
退職後は、その区切りもなくなる。
始まりがゆるめば一日が立ち上がらないのと同じで、終わりがゆるめば一日が締まらない。だらだらと夜まで何かを続けたり、逆に何もしないまま一日が終わったり。区切りがないと、一日の輪郭はぼやけていく。
副業で文章を書く時間は、夜の短い時間に固定してきた。やる時間を決めておくと、毎回「今日はやるかどうか」を考えずに済む。同じことが、一日全体にも言えると思う。
夕方のここまでで、今日のことは一区切りにする。そう決めておけば、残りの時間は気兼ねなく休める。
区切りがあるから、休むことが後ろめたくなくなる。一日中ずっと自由だと、かえって何をしていても落ち着かない気がする。ここまではやった、と思える地点があるから、そのあとの時間を安心して手放せる。
何時に始めて、何時に区切るか。そのふたつだけでも自分で決められれば、一日はずいぶん扱いやすくなる。
退職後に必要なのは、隙間なく予定を詰めることではなく、始めと終わりという二本の杭を打っておくことなのだと思う。
一日だけでなく、一週間にも柱を置く

組み立てを考えるうちに、これは一日だけの話ではないと気づいた。
退職して困りそうなことのひとつに、曜日の感覚がなくなることがある。毎日が同じように過ぎていけば、今日が月曜なのか土曜なのか、すぐには分からなくなる。平日と休日の区別が消えると、一週間がのっぺりとひと続きになってしまう。
だから、一日に柱を立てるのと同じように、一週間の中にもいくつか固定点を置いておきたい。
毎日を同じ形にする必要はない。むしろ、曜日ごとに少し色をつける方がいいのだと思う。英会話のレッスンがある日、母の様子を見に行く日、文章をまとめて書く日。そういう予定が週の中に散らばっていれば、今日が何の日かが自然と戻ってくる。
ありがたいのは、それを今から新しく作らなくてもいいことだ。
英会話も、親のことも、ブログも、退職してから始めるものではなく、すでに今の生活の中にある。退職後に向けて、これらを一週間の柱として残しておけばいい。会社の予定が抜けた分を、何か新しいもので一気に埋めようとするより、今あるものを細く長く続ける方が、たぶん無理がない。
一日の骨組みと、一週間の骨組み。その二つがあれば、退職後の時間も、そうそう崩れない気がしている。
親の一日に、組み立てのヒントがある
退職後の一日をどう作るか。そのヒントは、案外、親の暮らしの中にある。
母は実家の離れで一人暮らしをしている。車を手放してからは外へ出る回数も減ったが、それでも一日の流れそのものは崩していない。
妻の父は、ほとんど目が見えない中で一人暮らしをしている。毎日、決まった時間にヘルパーが来て、掃除や洗濯、買い物を手伝う。
義父にとって、その訪問は家事を頼むだけの時間ではないようだ。会話好きの義父は、毎日人が出入りすること自体を、一日の張りにしている。
二人を見ていると、組み立てというのは大げさなものではないのだとわかる。
母には母の、義父には義父の、決まった時間がある。起きる時間、誰かが来る時間、外と関わる時間。大きな予定ではなく、小さな固定点が、その日を支えている。
私が退職後に必要としているのも、たぶんそういうものだ。
立派な生きがいや、ぎっしり詰まった予定ではない。一日の中にいくつか固定点があって、それを頼りに今日を始められる。親の暮らしは、それを先に見せてくれている。
完璧な一日ではなく、骨組みだけ決めておく
退職後の一日をどう作るか、と考えてきて、行き着いたのは単純なことだった。
完璧な一日を設計しようとしないことだ。
朝はこうして、午前はこれをして、午後はこうで、夜はこう過ごす。そんな理想の一日を細かく描いても、たぶんその通りにはならない。一度崩れれば、嫌になってやめてしまう。
そうではなく、骨組みだけを決めておく。
起きる時間という柱を一本。午前は外、午後は内というゆるい枠。体を動かす時間をひとつ。そして、一日を区切る終わりの時間。それを一週間の中にも、いくつか散らしておく。
それくらいでいい。あとの余白は、その日の体調や天気や気分に任せる。
余白を恐れないためにこそ、骨組みがいる。骨組みがあるから、余白を余白として楽しめる。何もない一日が怖いのは、骨組みごと何もないからだ。
私はまだ退職していない。だから、これは想像の中の一日でしかない。
それでも、今の休みの日に、少しずつ試すことはできる。朝の時間を決めてみる。午前に外へ出てみる。夜に区切ってみる。働いているうちに小さく練習しておけば、退職後の一日も、まったくの未知ではなくなる。
定時のあとの時間を使って、いつか来る一日の骨組みを、今のうちに少しずつ組んでおきたいと思っている。


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