かつて、定時に上がることが後ろめたかった。
誰かに「帰るな」と言われたわけではない。ただ自分のなかにも、職場の空気のなかにも、そう感じさせる何かがあった。長い時間をかけて積み上がってきたその感覚が、ようやく整理できるようになったのは、ここ数年のことだ。
残業が「貢献」だった時代
入社した頃は、時代の空気というものもあったと思う。残業すること、つまり遅くまで会社にいることが、忙しさや仕事への向き合い方の証明として受け取られていた。
定時に帰る人について、何かしら言われている場面を見ることはあった。直接の悪口ではなくても、評価としては低めの調子で語られていた、というくらいの空気だ。若い私もそれを目にしていて、自分はそう言われたくないという気持ちが、知らないうちに行動を作っていた気がする。
良し悪しを言うつもりはない。今の感覚と当時の感覚は別物で、その時代にはその時代の論理があった、というだけのことだ。
家のほうにも、もう一つの理由があった
結婚は早かった。当時は貯えも少なく、体力だけはあった頃で、稼ごうという気持ちが強かった。
しばらくして父が闘病生活に入った。職人だった父はそれまでのようには動けなくなり、家族のかたちが少し変わっていく時期があった。家計の負担も増え、給与だけで支えるのが楽ではなく、残業手当が暮らしの一部になっていた。
いわゆる生活残業に近いものだったかもしれない。幸い、自分のいた業界は大きな経済ショックに直撃されず、残業の機会自体はあった。後から考えれば、そこは業界が恵まれていたのだと思う。
休日出勤は徐々に減っていったが、空いた週末は父の大工仕事を手伝うことがあった。父は体調と相談しながら、薬を飲み、できる範囲で仕事を続けていた。その姿を間近で見ていれば、健康な自分が疲れたとは言いにくかった。
定時で帰ることへの後ろめたさは、会社の側にも、家の側にも置かれていたのかもしれない。
自分が上の立場になってから気づいたこと
若い頃、仕事を残したまま定時で帰る上司について、よく思っていなかった時期がある。
その後、自分が管理職と呼ばれる立場になった。あるとき、ふと気づいた。自分も部下から、同じように見られ得る立場にいる。
おそらくその恐れが、私の足を席に縛りつけていた部分があったのだと思う。残業を選んでいたというより、抜けにくくなっていた、という方が近かったのかもしれない。
転職してから、空気が違うことがわかった
転職する頃には、世の中全体に残業削減の流れが来ていた。前職でも現職でも、その方向に少しずつ舵が切られていた時期だった。
仕事の忙しさそのものは、前職と現職で大きく違わない。ただ現職は扱う機械の納期が長く、納期管理にも前職ほどの厳しさがない。厳しい場所から少し緩めの場所に移った、と表現してもいい。慣れるまでに時間はかかったが、自分が負担を感じる場面は徐々に減っていった。
もう一つ感じたのは、管理職の動き方の違いだ。現職では、課長まではプレイングマネージャー的に動くが、部次長以上は早く帰っても咎められない、という暗黙の空気があった。よほどの状況でなければ、その層が遅くまで残っている場面は少ない。なかでも他業種から転職してきた管理職は、状況にかかわらず、はっきり定時で帰っていた。
外から来た人は、その職場特有の慣習や、見えにくい事情に縛られていない。良し悪しの話ではなく、外から来るというのはそういうことなのだと、自分が転職した側になってよくわかった。
「お先に失礼します」と言えるまで
最初は戸惑った。
30年近くかけて積み上げた感覚は、職場が変わったからといってすぐに外れるものではない。それでも、状況を見て「ここは離れていいところだ」と判断できた日は、はっきり「お先に失礼します」と言って帰るようにした。
転職後、緊急事態でない限り休日出勤はしていない。
一度だけ、納期遅れが大きな問題になった案件があり、連休を返上して対応したことがある。部下だけで抱えきれる量ではなかったので、自分も出ることを選んだ。海外出張は土日発・土日帰りの組み方になることが多く、その意味では休日が仕事になる日も残っているが、これは前職での休日出勤とは種類が違うものだと自分のなかで整理がついている。
そうして帰宅時間が早くなり始めた頃、妻から「体調が悪いのか」と聞かれたことがある。
それくらい、自分の日常は変わっていた。しばらくすると、定時で帰ることが普通になり、そういう会話も自然と消えていった。
帰った時間に、別のものが入ってきた
家にいる時間が増えると、最初は持て余した。
夕飯を食べて、ニュースを見て、それで夜になる。長く遅い帰りに慣れていたから、夜に何かをする習慣そのものがなかった。
そこに、しばらくしてから英会話が入ってきた。仕事で英語が必要になっていたことと、いつか引退後に海外に出てみたい気持ちと、両方が背中にあった。最初の教室は合わず、次の場所を探し、それを繰り返して、今はオンラインで毎日続けている。
ブログを始めたのも、定時後の時間があったからだ。一度は続けられなかった経験を経て、今回は出直して、何とか今のところは続いている。
どちらも、定時に帰る日が増えなければ存在しなかった時間の積み上げだ。
「恥」だった時間が、今を動かしている
振り返ると、定時に上がることへの後ろめたさは、誰かに押し付けられたものではなかった。
時代の空気、家の事情、上司として見られる立場、若い頃の自分が抱えていた目線。いくつかの理由が重なって、自分が選び続けてきた結果として積み上がっていた。それを解体するには、職場が変わるくらいの大きなきっかけが必要だったのかもしれない。
今は、仕事を終えたら帰る。帰った時間は自分のものだ。
そう静かに整理できるまでに、長い時間がかかった。ただ、気づいたのが今だった、ということでもある。かつて恥だと感じていた時間が、今の自分を少しずつ動かしている。
定時のあとの時間を使って、少しずつ続けている。


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