会社に縋らない状態を目指し始めた理由

仕事

「会社に縋らない」という言葉を意識するようになったのは、転職してしばらく経ってからだ。

以前の職場では、そんな発想がなかった。30年近く同じ会社にいれば、縋っているのか、ただ根を張っているのか、自分では区別できない。転職という外側に出て初めて、自分がどういう状態に置かれていたかが見えてきた。


立場というものを、初めて意識した

転職した最初の年、年収が当初考えていた水準と違っていた。

理由を確認し、エージェントを介して話もした。最終的にこちらが受け止めることになった。新しい場所で実績も人脈もないのだから、そういう結果になるのは自然なことだ。今は冷静にそう思える。

ただ、あのときに一つ理解したことがある。私の立場というのは、会社の判断を受け取る側にある、ということだった。

前職では30年近い時間があった。発言の重みも、人間関係も、その積み重ねの上にあった。転職でそれをリセットした以上、ゼロから始めるのは当然だ。条件をどちらが提示しどちらが受け取るかは、その関係性の中で決まる。

縋るというのは、しがみつくことではない。判断する側ではなく、受け取る側にいる、というだけのことだ。

今の会社は、大きな問題がない限り、定年まで今の条件で働ける場所だと思っている。条件としては悪くない。ただ、それは成果と健康と業績が揃っていればという話で、何かが揺らげば変わり得る。当たり前のことだが、当たり前だからこそ、自分の側でも備えておきたいと思うようになった。


転職と同時期に、人と会えない時期が来た

前職を辞めるとき、他部門の人まであいさつに来てくれた。その数が、自分でも驚くほど多かった。30年近く積み上げた関係の重さを、辞めるときに初めて実感した。

転職直後は「また飲もう」という話もいくつかあった。実際には、それから間もなくコロナ禍に入った。集まれない、出かけられない、人と会うこと自体が控えるべきことになった。それが数年続くうちに、連絡の間隔が自然と空いた。

それを誰のせいにする話でもない。タイミングが重なった、というだけの話だ。

ただ、結果として仕事以外の人間関係はずいぶん薄くなった。現職にも同僚はいるが、関係の質は前職の30年とは違う。ここでまた長い時間をかけて積み上げていく年齢でもない。

職場の人間関係を否定しているわけではない。ただ、会社という場所が消えたあとに何が残るかを、現実として考えるようになった。


定年という日付は決まっている

前職の先輩から、定年後の話を聞く機会があった。役職が外れ、雇用条件が変わり、収入は前の水準とは別のものになっていた。それは特別な話ではない。多くの会社で起きていることだ。

私が今の会社で定年を迎えても、おそらく似たような変化があるだろう。

ただ、変わるのは収入だけではない。毎日の行き先がなくなり、役割がなくなり、人と会う回数が減る。生活の形そのものが変わる。

その日付は決まっている。決まっているのに、その先をどう過ごすかの輪郭は、まだ持てていない。それが正直なところだ。


「縋らない」は、辞めることではない

「会社に縋らない」というと、辞めることのように聞こえるかもしれない。そうではない。

私は今の仕事を続けている。続けるつもりでもいる。会社には感謝している部分も多い。

目指しているのは、「いつでも出られる状態」を保っておくことだ。出る予定はなくても、出られる状態であることに意味がある。

転職は一度経験している。たった一度だが、ゼロと一は違う。怖さが全くないとは言わない。ただ、前回をなんとか乗り越えた事実があるので、もう一度くらいなら耐えられると思っている。

もう一つ意識しているのは、転職先で通用するだけのものを持ち続けることだ。年齢が上がれば選択肢は狭くなる。それでも、贅沢を言わなければ同じ業界での需要はある。そのあたりは自分なりに調べた上でそう思っている。

収入を急いで作るより、動ける状態を保つほうが先だと考えている。


縋らないために、今やっていること

大きなことはしていない。ブログを書き、英会話を続けている。

ブログはまだ始めたばかりの初心者で、英会話もまだ話せるとは言えない。どちらも途上で、結果が見える場所まではかなりの距離がある。それは自分でも分かっている。

それでも続けているのは、長い道のりだからこそ、早く歩き始めるしかないからだ。50代後半から始めて、定年までに辿り着けるところは限られている。だから急ぐのではなく、止まらないことのほうを大事にしている。

会社に対する不満があるわけではない。今のところは、与えられた場所でできることをやっている。そのうえで、別の場所にも種を撒いておく。それだけのことだ。


まだ途中だが

「会社に縋らない状態」を達成したとは、まったく言えない。

スキルが通用するかどうかも、実際に動いてみなければわからない。種を撒いたものが芽を出すかどうかも、これからの話だ。

ただ、何もしていない状態と比べれば、少しだけ動いている。気づいたのは、この種のことに「完成」はない、ということだ。完全に縋らなくなることはないのかもしれない。それでも、自分の側でできることを続けるしかない。

定時のあとの時間を使って、少しずつ。

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